さよなら、津田沼イトーヨーカドー。ありがとう。
1977年の開業。
私が㈱商業界に入社した年だ。
つまり私はヨーカドー津田沼店とともに、
流通業界に身を置いてきた。
はじめはサンポーショッピングセンターだった。
1967年10月21日、津田沼駅北口に、
地下1階地上4階の寄合百貨店が開業。
3階と4階には扇屋津田沼店がテナント出店した。
扇屋はその後、扇屋ジャスコとなり、
さらに1999年にジャスコに吸収された。
1976年には長崎屋津田沼店がオープン。
どこでも長崎屋が一番乗りだった。
翌1977年7月1日、
西武津田沼ショッピングセンターが開業。
パルコと西友の二館だった。
この津田沼駅北口駅前には、
戦後闇市時代からの店々があった。
その区画整理事業が行われて、
西武流通グループが進出した。
そして11月、新京成新津田沼駅のビルに、
イトーヨーカ堂津田沼店が進出。
夕方になると乗客たちが、
国鉄津田沼駅から、
新京成新津田沼駅に乗り換える。
そのすべての乗客がイトーヨーカ堂の店に、
吸い込まれていくような光景だった。
イトーヨーカ堂津田沼店は、
すぐに一番店となった。
翌1978年2月には、
イトーヨーカ堂向かいに丸井津田沼店、
10月には津田沼駅南口にサンペデックがオープン。
ダイエーと髙島屋を核店にした、
本格的なリージョナルショッピングセンターだった。
これを「津田沼戦争」と呼んだ。
この戦争にはすぐに決着がついた。
1978年2月に扇屋ジャスコが撤退、
7月にサンポーが閉館。
長崎屋も同年、わずか2年で退散した。
この店は1979年3月、
大塚家具のショールームとなった。
ダイエーと組んだ髙島屋は、
開店から10年目の1988年8月に撤退。
1981年には船橋のららぽーとが開業、
百貨店業態としてそごうが出店していた。
西友も1985年11月、売場を縮小。
地下1階の食品売場に特化した店となった。
全体としては津田沼パルコレッツ館になった。
イトーヨーカ堂の勝利である。
津田沼店は同社の一番店として、
10年ほど君臨した。
高島屋の跡には「エキゾチックタウン」ができた。
核はダイエーの非食品ディスカウンター「バンドール」だ。
ダイエー本体の店は、
同社の一番店となった。
だがその後、
イトーヨーカ堂に水をあけられる。
そして2003年、新津田沼駅北側に、
イオン津田沼ショッピングセンター開業。
核店はジャスコ津田沼店だった。
新京成電鉄の線路を挟んで、
イオンとイトーヨーカ堂が対峙し、
JRの線路を挟んでダイエーが南側の商圏を占めた。
しかしダイエー津田沼店は、
2005年11月30日に閉店した。
ダイエーの撤退跡は、
2008年3月13日、モリシア津田沼として、
再オープン。
核店はイオンモリシア津田沼店だった。
イオンは貪欲だ。
北口の丸井も2007年2月12日に撤退。
11月にミーナ津田沼に変わった。
ユニクロがキーテナントとなった。
2011年11月21日、
イオン津田沼ショッピングセンターが、
イオンモール津田沼に変わった。
2013年4月、ダイエー跡のモリシアの向かいに、
「奏の杜forte(フォルテ)」が開業し、
ベルクが核店として入った。
2017年1月31日、西友津田沼パルコ店撤退。
生鮮食品店の集まる「つだぬマルシェ」ができた。
一方、2017年9月5日、
モリシアにイオン傘下のダイエーが入って、
ダイエーモリシア津田沼店として再進出。
「イオンフードスタイル」のバナーを掲げる。
2023年2月28日、津田沼パルコが閉鎖。
ベイシアが津田沼パルコ跡地に、
「Beisia Foods Park」としてオープン。
そして2024年9月29日、
イトーヨーカドー津田沼店閉店。
午後7時の閉店に向けて、
売り切れた売場には紅白の幕がかけられた。
7階には特設展示コーナーが設けられた。
歴史と概要の展示。
年表もつくられた。
開店記念大売り出しの写真。
お礼の言葉も集められた。
セブン&アイのCIではなく、
全部イトーヨーカ堂のハトのマークだった。
さようなら、
津田沼イトーヨーカドー。
ありがとう。
〈結城義晴〉
4 件のコメント
津田沼戦争、懐かしいです。「食品商業」誌面でも特集が組まれてた記憶があります。売場からも猛烈な闘志が感じられる熱さがありました。
吉本さん、ありがとうございます。
戦争の結果はすぐに出ました。
それから46年が経過して、
当時の顔触れは誰もいなくなった。
今、イオンモールとイオンスタイルと、
ベルクとベイシア。
考えてみれば津田沼は、今風の競争です。
私もある日日から津田沼て、働きましたエレターガルとして働きましたありがとございまました私ねの青春時代でした
イシハラタカコさま、ありがとうございます。