「夕刊フジ」の休刊と「販売革新」の隔月刊化
「夕刊フジ」が休刊する。
休刊といっても、
実際には廃刊だ。
私は雑誌社の社長や編集統括をしていたが、
休刊・廃刊はしたことがない。
お陰様で私の在任中は、
右肩上がりで雑誌は好調だった。
タブロイド判の夕刊フジは、
1969年の創刊。
夕刊専門紙は珍しかった。
駅やコンビニなどで販売して、
サラリーマンに人気だった。
産経新聞社からの発刊だが、
その産経の休刊の理由。
第1はデジタル端末の普及、
第2は原材料費の上昇。
しかし一番の理由は、
売れなくなったから、
読まれなくなったから。
同時に電子版も廃止、
夕刊フジの公式サイト「zakzak」も、
更新を休止する。
来年1月末。
産経新聞社のコメント。
「創刊55周年の節目に、
夕刊紙としての一定の役割を終えた
という判断に至りました」
夕刊専門紙というジャンルで、
夕刊フジのライバルは、
日刊ゲンダイ。
1975年の創刊。
講談社の発刊。
新聞社対雑誌社。
夕刊紙は産経対講談社。
雑誌社の夕刊紙が生き残った。
しかしこちらも先行きは不透明だ。
それから東京スポーツも、
夕刊専門スポーツ紙だ。
こちらは明治時代創刊の「やまと新聞」が源流。
「プロレスの東スポ」でもあるし、
誤報・ガセネタ・飛ばし記事が多いから、
「飛ばしの東スポ」の異名もあって、
存在感はある。
私はほとんど読まないが、
それでも感慨は深い。
一方、「販売革新」誌も、
2025年2月号をもって、
隔月刊になる。
寂しい限りだ。
1977年に私は㈱商業界に入社し、
販売革新に配属された。
編集長は故人となった緒方知行さんだった。
私の本籍地は、
まだ販売革新にある。
このころ別冊号として、
「関西スーパースタディ」などが発刊された。
私はその後、食品商業に異動し、
その編集長となった。
さらに編集担当取締役に就任すると、
私は販売革新編集長を兼務した。
お陰様で好評を博した。
このブログでも何度か紹介した。
我らが「プライスウォーズ」の正体。
1962年刊の林周二「流通革命」を受けて、
チェーンストアのイノベーションを推進する。
それがこの雑誌のテーゼだった。
私が商業界を辞して、
それから商業界が自己破産して、
この媒体は売却された。
それでも継続的に月刊誌として発刊された。
有難いことだと思っていた。
編集諸氏を陰ながら応援していた。
しかしこのたび隔月刊となる。
残念ながらこのスピードの時代に、
2カ月に1回の発刊では、
役目を果たすことはできない。
私ならどうするか。
秘策はあるがそれは明かさない。
それでも月刊商人舎は、
「商業界」と「販売革新」の役目を担いつつ、
鋭い切り口と強い主張を提示していこう。
商業界や販売革新は、
商業の「近代化」を推進する役目だった。
商人舎は商業の「現代化」を標榜する。
末ついに海となるべき山水も
しばし木の葉の下くぐるなり
伴蒿蹊(ばんこうけい)の歌。
伴は江戸時代後期の国学者で歌人。
故田中角栄元総理は、
揮毫(きごう)を求められると、
好んでこの歌を書いた。
山水も最後にはついに海へと流れ込む。
しかし山水はときには、
木の葉の下を潜ったりするものだ。
大事を成し遂げるには、
目立たない、地味な境地に至っても、
投げ出したりしてはいけない。
くじけてはいけない。
地道なことをこそ、
おろそかにしてはならない。
商売は本来、この山水だ。
雑誌づくりも、山水だ。
派手なことばかりやろうとしたから、
夕刊フジは消えていった。
まあ、それがコンセプトだから仕方ない。
しかしたいていの仕事は、
地道なことをおろそかにしてはならない。
高い志をもちながら、
一人ひとりの顧客や読者と、
正面から向き合わねばならない。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
紙かデジタルか等は手段の話に過ぎないと思います。
何を目指しているのか、そのビジョンに人は共鳴し、その目指すものを何とかして実現しようとするその使命感と志に人は感動し共感するのだと思います。
正直、かつての愛読誌だった食品商業等はいつの間にか読まなくなっていました。
ありがとうございます。
私も今の食品商業は読みません。
毎月届けられるので、
ざっと見るだけですが、
残念ながら使命感と志がありません。
寂しいことです。