35年目の令和名人会と井上ひさし「100年後へのメッセージ」
今日は令和名人会。
1989年、結城義晴が、
食品商業編集長に就任したとき、
執筆者の先生方が集まって、
就任祝いのゴルフコンペが開催された。
有難いことだった。
これをきっかけにして私は、
ゴルフにのめりこんでいった。
そのときの主要なメンバーの先生方が、
これで終わらせるのはもったいないと、
毎月、一緒にゴルフを楽しむことにした。
平成の時代には「迷人会」と称したが、
やがて「名人会」となった。
令和の時代に入っても続いて、
だから「令和名人会」と名乗るようになった。
35年が経過する。
今は半年に1回くらい。
もっと増やしたい。
雨模様の朝だったが、
まったく傘を使うこともなく、
快適なラウンド。
上総モナークカントリークラブ。
1959年11月の開場。
もう65年が過ぎる。
残念ながら鈴木國朗プロが、
体調不良で欠席。
そこで三人でラウンド。
ゴルフでは「スリーサム」という。
宮本洋一さんと結城義晴。
宮本さんはブルーチップ㈱社長。
撮影は亀谷しづえ。
バックティーからラウンドした。
面白かったが、
私は散々な目に遭った。
名物ホールの8番パー3。
200ヤードを超える打ち下ろし。
結果は宮本プロの圧勝。
当然のことだが。
風呂に入りながら、
いくつかの重要なことを教わった。
やってみよう。
帰りは大渋滞。
その理由は、
「ちばアクアラインマラソン」
この海底トンネルの正式名称は、
「東京湾横断道路」。
一般名称は東京湾アクアライン。
起点は神奈川県川崎市川崎区浮島町、
終点は千葉県木更津市中島。
15.1 km。
開通は1997年12月18日。
27年が経過する。
そのアクアラインを利用して、
マラソン大会が始まったのが2012年。
もう12年が過ぎた。
マラソンコースは潮浜公園前からはじまって、
アクアラインの最高点40.85mが15キロ地点。
海ほたるパーキングエリアで折り返して、
三井アウトレットパーク木更津を横目に、
牛込海岸でフィニッシュ。
ハーフマラソン、車いすマラソンも、
コース設定されている。
9時45分スタートで、
フィニッシュは16時。
アクアラインや高速道路の渋滞は、
2時過ぎから徐々に解除された。
これならば渋滞にも不満はない。
一度、マラソンを走ってみたいとも思った。
ゴルフ会もゴルフ場も、
海底トンネルもそのマラソン大会も、
時間が経過するごとに、
歴史が刻まれる。
いいことだ。
現代を生きる私たちも、
その歴史を大事にしたいものだ。
井上ひさし著『ふかいことをおもしろく』
最後のページに短い文章がある。
「100年後の皆さんへ、
僕からのメッセージ」
100年後の皆さん、お元気ですか?
この100年の間に、戦争はあったでしょうか?
それから、地球が駄目になるのではなく、
地球の上で暮らしている人間が、
駄目になってはいないでしょうか?
僕たちの世代は、それなりに
一所懸命に頑張ってきたつもりですし、
これからも頑張るつもりですが、
できたら100年後の皆さんに、
とてもいい地球をお渡しできるように、
100年前の我々も必死で頑張ります。
どうぞお幸せに。[井上ひさし]
心から同感したい。
井上さんは100年後へのメッセージを残して、
2010年に亡くなった。
私たちはそれぞれが、
100年後の皆さんに、
メッセージを残さねばならない。
小売業が残すものは、
店だろうか、商品だろうか。
いつも、だれもが、
そんな気持ちで生きていけば、
絶対にいい社会になる。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
「100年後の皆さんへ、僕からのメッセージ」
「私たちはそれぞれが、100年後の皆さんに、メッセージを残さねばならない。」
とても感銘を受けます。世代間の分断を生まないたまにも、こういう心持ちでいたいです。政治家にも、こういう心持ちでいていただきたいです。
吉本さん、ありがとうございます。
「今」は混乱の極みです。
民主主義がこれほどないがしろにされる時代は、
多くはなかったと思います。
だからこそ100年後に向けて、
それぞれがメッセージを残すのがいい。
井上ひさしさんは、そう言っているのだと思います。