「東北関東大津波大震災」結城義晴渾身の現地ルポ「二章 宮城・岩手の人々編」
昨夜11時32分頃、
3月11日以来最大震度の余震。
震源は宮城県沖の深さ約40キロ。
マグニチュードは7.4。
私はこの瞬間、
東北自動車道上り車線・栃木県黒磯市のあたりを、
盟友・鈴木國朗さんと一緒に走っていた。
走っていたと言っても、
ランニングではなく、
ドライビング。
4月5日から3日間で、
鈴木さんとともに1600キロを走破し、
被災地の商業人を訪問、支援・激励し、
深夜の2時過ぎに横浜に帰着。
しかし、ほんの数時間前に会っていた人々が、
また震度6強の余震を被っている。
その心を察すると、私の心も痛んだ。
心より、お見舞い申し上げたい。
仙台市宮城野区や栗原市で震度6強、
岩手県大船渡市、釜石市などで震度6弱が観測された。
今日8日の午前中現在で、
死者2人、重軽傷者132人。
この余震直後から、
青森、秋田、岩手の3県全域が停電。
宮城県内も広範囲の停電。
もう、「いい加減にしてくれ」といった気分になる。
一番気がかりだったのは、原発。
幸いに大きな事故にはつながらず、
ちょっとだけ安心。
3月から運転停止中の女川原発は、
微量の放射性物質を含む使用済み核燃料プールの水が建屋内に流出。
ほんとうに微量だったため環境への影響はないと発表された。
福島第一原発は施設への影響なしとして、復旧作業続行。
柏崎刈羽原発も、新たな損傷・電源トラブルなしとの発表。
日本原燃六ケ所再処理工場は使用前検査中だったが、
外部電源が一時遮断されたものの、非常用発電機使用で問題なし。
被災地を回って、まだまだ、
「第2段階の救済レベル」の地区が多いことを実感したが、
それでも原発問題だけは未だに「快方」に向かっていない。
余震はすべての人に、
このことを思い出させた。
さて、一昨日から昨日にかけて、
会った人々。
まず、4月6日の夕方、
石巻のヨークベニマルの二人の店長。
湊鹿妻店の物江信弘さん(左)と、
石巻蛇田店の小林稔さん(右)。
湊鹿妻店は津波によって崩壊。
物江店長は屋上に残った500人の命を守りきった。
お二人のドラマは来週月曜日4月11日、
震災1カ月後の日に紹介する。
それから盛岡市に移動して、6日の夜、
㈱ベルプラス会長の遠藤須美夫さんと、
社長の澤田司さん。
澤田さんは、
コーネル大学リテール・マネジメント・プログラム・オブ・ジャパンの第二期生。
ベルプラスの「ビッグハウス石巻店」も、
大津波によって、すっかり破壊された。
それでも、力を合わせて復興に邁進。
そのビッグハウス遠野店。
この店では、ベルプラス専務の高橋政敏さん(右)と、
取締役管理部長兼社長室長の菊地甚成さん(左)に会った。
中央はこの店の副店長さん。
がんばろう東北。
明日に向かって
力を合わせて、
がんばろう岩手。
7日の朝には、㈱ジョイスの幹部のみなさん。
真ん中が社長の小苅米英樹さん。
左端が専務の青木洋一さん、
右端は営業本部執行役員販売部長の佐々木寧さん。
小苅米さんと青木さんの間になぜか三井物産の花牟礼真一さん。
小苅米さんはコーネル大学RMPジャパン第一期生、
佐々木さんと花牟礼さんは第二期生。
コーネルつながりで、震災後の対応について意見交換。
ジョイスは組織の力で、
この震災を乗り切ろうとしている。
「組織力」が語られたことは、
私、ほんとうにうれしかった。
ジョイス応接室の窓から、
雪をかぶった岩手山の雄姿が見えた。
夕方には、ジョイス大船渡店店長の五日市守さん。
店舗裏のプラットフォームまで、
津波の水が押し寄せた。
それでも勤務していた従業員は全員無事で、
お客様にも怪我がなかった。
今では、がんばって店を維持している。
ジョイス大船渡店が入っているショッピングセンター「サンリア」。
ここでは「がんばろう気仙!!」
盛岡市内では、
㈱ユニバースの盛岡南店店長の工藤公一郎さんにも、
ちょっとだけ会った。
工藤店長はこの5月の商人舎USA視察ベーシック編に、
参加してくれる。
奥州市のKマートのみなさん。
たった1店舗のスーパーマーケットだが、
みんなの力を合わせてお客様に奉仕し続けている。
3月の成績は前年比200%。
そして昨日の最後には、
大船渡の㈱マイヤ社長の米谷春夫さん。
米谷さんは16店のうち6店を失った。
お母様も亡くした。
自宅は津波にさらわれた。
それでも「ライフラインを守る」使命感で店を開ける。
<マイヤ物語は、4月19日掲載となりました>
「ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ」
復旧から復興へ、私たちは歩を進める。
私のブログも、
急ぎ足ではなく、
一歩ずつ話を展開しよう。
3月11日午後2時46分の大地震と、
30分後にやってきた大津波。
そのときから、たくさんの商人の物語が始まった。
たくさんの商人の物語は、大きなうねりとなって、
そのお客様の生活を守った。
たくさんのお客様から、
普段は聞くことのできない「ありがとう」の言葉を引き出した。
一つひとつに、
一人ひとりが、
死に物狂いで取り組んだ。
それが「ありがとう」のこだまとなって、
東北の街々に響き渡った。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
私はこの「ありがとう」が、
東北を蘇らせると信じている。
この「ありがとう」が、
日本を救うと確信している。
「ありがとう」が、
私たち自身を、
人間らしくさせてくれると考えている。
こころより、ありがとう。
皆さんも、良い週末を。
被災地のみなさんが、今夜、
やすらかに眠ることができますように。
被災地のみなさんのその眠りが、
明日の活力ある目覚めにつながりますように。
今週もこのブログに来てくださって、
ありがとう。
<結城義晴>