知識商人登場!當仲寛哲の巻[第1回 中内功氏との出会い]
商人舎と商人ねっとのコラボ企画「CDオーディオセミナー『知識商人』対談シリーズ」。
業界のトップとの対談を音でお届けする好評シリーズに、
コンピュータリテラシー研究会の座長の當仲寛哲さんが登場しました。
本来は、知識商人対談ブログコーナーでご紹介すべきところですが、
何しろ、本研究会の座長の人柄がわかる話でもあり、情報システムをメーンに話が進みますので、
このコーナーで、じっくりと連載していきます。
情報システムとは何かが、実によくわかる対談です。<事務局>
知識商人 VOL.10
「情に報いる仕組みを作る」
ユニバーサル・シェル・プログラミング研究所
代表取締役
當仲 寛哲 氏
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結城義晴:
皆さん、こんにちは。商人舎の結城義晴です。
毎月みなさんにお送りしております「CDオーディオセミナー」、第10回目であります。
記念すべき第10回に、これまた記念すべき人をお迎えしました。
今回お招きするのは、
ユニバーサル・シェル・プログラミング研究所、
代表取締役所長、當仲寛哲さんです。
42歳。私も、ユニクロの柳井正さんも羨ましいなあという42歳であります。
2009年5月、柳井さんとお会いしたときに、「羨ましい」発言が。
その當仲さんは、情報システムの会社をやっておりますけれども、
同時にコーネル大学リテールマネジメント・プログラム・オブ・ジャパン
の講師もこなしております。
学生さんからアンケートを取りましてもっとも人気のある先生の一人でもあります。
今日は、その當仲さんとコンピュータと情報の問題、
そして、そういったことを通じて
人がどうやって成長していくかという問題を語り合いたい。
そう考えています。よろしくお願いします。
當仲寛哲氏:
初めまして。ユニバーサル・シェル・プログラミング研究所、
略してUSP(ユーエスピー)研究所の當仲です。
よろしくお願いします。
★「会社の建て直しをやりなさい」
當仲氏:
わたくしは、今は、コンピュータの会社を営んでいるんですが、
もともとはスーパーのダイエーの出身です。
ダイエーではお店で食品を売っていました。
今は、残念ながら無くなってしまいましたが、千葉県の津田沼店に入社しまして、
それから、千葉店で食品のマネージャー、
グロサリーのマネージャーをさせていただきました。
その後、本社に異動します。
それから衣料品の商品部に配属されて、そこで業務改革をやってきました。
当時、CEO、最高責任者の中内さんに、業務改革、
要は「会社の立て直しをやりなさい」と言われたところからスタートしまして、
12年ですか、ダイエーで仕事をさせてもらいました。
そしてダイエーを出たのが今から5年前になります。
結城:
具体的にはどのような改革を?
當仲氏:
ダイエーの時代にやったことは、システムの改革なんですが、
実は、私、システムの部隊とかには一度も所属したことはありませんでした。
実際には、店舗の経験、商品部の経験を生かして、
いわゆるコンピュータを使うユーザーのサイドに所属しながら、
そのサイドからシステム改革をやってきました。
システムと言ってもコンピュータを使うわけなんですが、
当時、ちょうど1992年に私はお店に入って、
93年から衣料品の改革の仕事をいうのをスタートしたんです。
私は、実は食品が好きで食べ物が大好きなので、それでダイエーに入ったんです。
だから、衣料品の改革をやれと言われて、正直面食らったんですね。
私のような、およそファッションとは関係ない人間が、
いったい何が出来るのかなと思いまして。
それで、まずいろんな人に話を聞いてみようと。
いろんなお店に出かけたり、あるいは商品部のバイヤーさんに話を聞いてですね、
「いったいどうやれば、この業績が悪いのを良くすることができますか」
とみんなに聞いてまわったんですね。
★みんながバラバラな意見を言う
當仲氏:
みなさん、それぞれ思いがあって、
「こうすれば会社は立ち直る」とかいうような話をそれぞれされたんですけれども、
僕は食品の出身ですし、専門用語がいっぱい飛び交ってですね、
正直あまりよく理解できなかったところもあるんです(笑)。
でも、一個だけ気がついたことがあったんですね。
それは何かというと、みんな言ってることがバラバラなんです。
それで、そのバラバラさ具合に僕はものすごく引っかかりを覚えた。
なんで、こんな一つの会社で、一つの衣料品という部門にいながら、
会社を立て直すという話になったら、みんなこんなバラバラなことを言うんだろうと。
「なんでそんなふうに思うんですか」ということを、
しつこく、しつこく「なんでなんでなんで」と三回くらい聞いてみると、
だいたい人間、本音が表れてくるんです。
そんなふうに聞いてみると、
みんな自分の経験で話をしてるんですね、すべてが。
当時、ダイエーは、結構お店の数があってですね、
お店の全てを全部経験してきた人っていうのはいないんですね。
それで、商品部門も非常に巨大化してきてて、
取り扱いの商品も増えていたのに、
誰一人として全体を見ている人はいないんですね。
みんなの話っていうのは、
自分が経験した話、自分が見た話、聞いた話だけで、すべてで、
それを根拠に改革の意見を言ってるってことに気がついたんですね。
それだと、みんなバラバラになってしまったら、意見が一つにならないんだったら、
いくら大きな会社だと言っても、上手くいかないだろうと、素人ながらに思ったんですね。
當仲氏:
そこで目をつけたのが社内の情報システムだったんです。
★同じ情報をみて、自由に分析できる情報システムづくり
當仲氏:
当時ダイエーは、大型汎用機っていうIBMの大きなコンピュータを使っていまして、
そこから出てくる数字を基に、いろいろ商品の分析とか売場の分析をやっていたんです。
だけど、そこから出てくる数字というのが非常に貧弱なものだったんですね。
具体的には過去4週間の単品ごとの売れしか出てこないんです。
そういう数字が出るというのはとうぜん、大事なんですけど、
4週間というのはだいたい一カ月弱ぐらいのデータしかないということです。
単純な話、「去年と比べてどうだったの?」という話ができないわけなんですね。
売場という括りで考えたときに、
その売場全体では、去年と比べてどう変わったのかという分析もできない。
それをやろうと思った人たちが、当時、何をやっていたかと言うと、
4週間しか出ないので、毎日のように
コンピュータから出てくるデータを紙に打ち出したり、
表計算ソフトに商品部の若者がデータを全部インプットしてですね、
それを一年間残して、それでもって一年後に、
そのデータを全部売り場ごとに集計をして、
それで去年と比べてどうだったということをやっていた。
そのやり方もその人によってバラバラで、
その人が辞めたら、そのノウハウは全部消えてしまうという状況だったんです。
こんなことをやっていては、まず、みんなで同じものを見ることができない。
何十年と経験のある人でも、組織でも、何か物事を進めることはできない
ということに気がついたんですね。
僕は衣料品のことは、プロではないし、そんなに詳しくなかったので、
何かお手伝いできることがあるとすれば、
こういった情報システムをちゃんとして、
要はみんなが同じ情報を見て、しかも自由に分析ができるような、
そういったものを作ろうと考えたんですね。
それをきっかけに、情報システムをやり直そうと思ったのがスタートです。
結城:
それが原体験というんでしょうか。そうだったんでしょうね。
當仲氏:
そうですね。
食品で昨日まで私はマネージャーで物を売っていたわけなんですけども、
中内さんに、いきなり衣料品の改革をやれって言われて、僕はもう面食らいまして、
それで、どうやったらいいか何も分からないし、
彼は、コンピュータやれとも、一言も何も言っていないですね。
要は会社の業績を良くしろ。
それだけなんですね。
★「金も権限もやらないが、自由にやってよい」
當仲氏:
それで、まあ初めに彼が言ったのはですね、
改革をやるにあたって三つ条件があると。
一つ目は「お金を一切使ってはいけない」と言われて、それはまず面食らいましたね。
二つ目が「お前に一切権限はやらない」と。
「あなたが言っていることが正しければ、みんな耳を傾けるでしょう」。
「死ぬ気で説得すれば必ず説得できるから、そういう権限は一切やらない」と。
お金もなくて権限もないんだったら、これは困ったなと思ったんです。
けれど、三つめの条件が「ただし、自由にやっていい」ということでした。
当時、お店から来たばかりで右も左も分からなかったんで、
この「自由」という言葉に結構いい響きを感じて、
「じゃあひょっとして会社に来ても来なくてもいいのかな」
とかいろんなことを考えましたね。
実際もう、ほとんど自由出勤みたいな形で、
自分で「あのお店に行ってみよう」と思ったらそのお店に行くし、
「あの人に聞いてみよう」と思えばらその人のところに出かけて行って聞いてみる。
非常に自由な時間の中で、プロジェクトの初めはスタートしたんですね。
結城:
それは何歳のときですか。
當仲氏:
それは26、7…、うーん、27歳のときですね。
★「つまらない紙切れ一枚より、僕と一緒にやろうや」
結城:
中内さんとの出会いというのはやっぱりその時ですか。
実務上で中内さんとの接点ができたのは?
當仲氏:
そうですね。
入社の時に当然、リクルーティングということでお会いはしてます。
私は、大学の時はコンピュータを専攻してる大学にいたんですけども、
実際には不良学生で、アルバイトばっかりやっていて、
ほとんど学校に行ってなかったんですね。
それで、大学の紹介を受けて、ITの会社に入るというのができなくなっていまして、
アルバイトに、毎日明け暮れていました。
ちょうど25歳ぐらいの頃は、
小売流通業でアルバイトをしていることが多かったんですね。
僕は、三越で臨時店員をやってますし、ファミレスの店員もやってますし、
その中でも、僕は関西出身なので、ダイエーは馴染みがありました。
しかも、僕は神戸の方だったんで、ダイエーの城下町。
もうダイエーというのが、大好きで、大好きで、しようがなかったんです。
ダイエーのご飯で大きくなったというふうに、そういうふうに思っています。
大学で陰気なコンピュータの研究をやっているよりも、
人とも物とお金が溢れて活気があって、商売の世界は面白いなと感じていました。
当時のダイエーというのはやっぱりまだ元気がありましたし、
新しいこともやってみたいと思っていたんで、魅力があったんですね。
それで、大学を飛び出て、ダイエーに入ろうと決めたんです。
ところが、僕は修士論文を書かないで大学を出ようとしたら、
さすがにそれは大学から「待った」がかかったんですね。
大学の側からも「不良学生の君がちゃんと心を入れ替えて、
あと半年ちゃんと大学で修士論文を書いたら卒業させてやる」みたいな話も来た。
僕は、もう出たい一心でどうしようかと悩んでいたときに、
当時の人事担当の方だと思うんですけど、気を利かせて
中内さんに、恐らくその話をしたんだと思うんです。
中内さんが、あるパーティで、つかつかと私のところにやって来て
「君、大学でややこしいことになってるみたいやな」と話しかけられ、
「いやー、僕はですねー、いやー」と口籠っていたら、
「実は僕も本当は大学出てないんや」というような話をし始めた。
「ところが、こうやって仕事で成功したら
いつの間にか大学を卒業したということになっていた」
「だから君も気にしないで、つまらない紙切れ一枚のために、
半年棒に振るよりも、そんなことよりも僕と一緒に仕事しようや」
というふうに言ってくれた。
それが中内さんとの出会いの初めなんです。
続きます