知識商人登場!當仲寛哲の巻[第6回 良品計画との出会い]
結城:
中内さんに出会って、
松田さんに出会って、
同時にLinuxにも出会った。
昔話の方にずっと行ってしまうと危険なんですけど、
ダイエーを辞めましたよね。
まあ、誰でも辞める時はあるので、
あまり詳しくは聞きたくはないんですが。
そして、フリーになった。
このあたりの経緯を少し語っていただいた方がいいでしょうか。
★中内功さんに「共損強栄」を学ぶ
當仲氏:
そうですね。
ダイエーが、なんか、大企業病みたいになっちゃって。
ただ、一つあるのは、僕は、
中内さんに教えてもらったっていうのはあったと思うです。
世の中の役に立つこととか、お金儲けではないこととか。
お金は後からついてくるかもしれないけれど。
中内さんは「共損強栄」とよく言ってました
「きょうぞんきょうえい」という字は、普通は共存共栄ですが、
彼の場合、共に損して強く栄えると書くんです。
やっぱり、そうやって、みんなでですね、
お互いに磨き合ってですね、
損だ得だと言わないでですね、
ちゃんと正しいことをやると、ということを、ずっと……。
結城:
―ここで今、當仲さんが、思わず嗚咽を漏らしてしまいました。
中内さんのことを思い出してですね。
當仲氏:
なんか涙腺がですね…、弱くなって、いかんですね。
結城:
その中内さんが言っていたことを、
結局は、當仲さんが意思を継ぐということになってるわけですが、
「やろう!」ということで、
このLinuxの考え方をベースに独立するわけですね。
當仲氏:
そうですね。
やはり、世の中で、いいことをちゃんとやりたいという
そういう気持ちが強かったんですね。
結城:
當仲さんが独立したばっかりの時に、僕は会いまして、
當仲さんに「販売革新」(商業界刊)の連載をお願いした。
今のようなお話がとうとうと繰り広げられて、
これは素晴らしいと思って、
その志に打たれたというのを思い出します。
そのあと、結構、なんて言うんでしょうかね、
自転車に乗ってフラフラしながらも(笑)、
着実に仕事を増やしていくということになるわけですね。
最初に上手くいった大きな仕事というのは、良品計画でしょうか。
★磯見精祐先生の「君はもっと仕事せんといかん」
當仲氏:
そうですね。
無印良品ブランドの良品計画でお仕事をいただいたのが、
ステップアップのきっかけになりました。
実は、仕事を始めた当時は何の手掛かりがあったわけでもなく、
気負いだけで独立をして、
半年も一年も、何も仕事の無い時期があったわけなんです。
商業界の勉強会で杉山ゼミに参加させていただいた。
一番初めに、
「ダイエーがダメになったのは、何かを、君、言いなさい」
と言われてですね。
人の悪口をいうのは僕は嫌いなんで、言いたくはなかったんだけど、
「一度は聞きたい」という話になって押されてですね、
「一度だけですよ」ということでダイエーの話をしたことがあった。
それで、私のやってきたこともお話させていただいたら、
「まあ、面白いな」というお話になって、
それで勉強会に通わせていただくことになったんです。
結城:
杉山ゼミは現在、「商業問題研究会」、
通称RMLCといわれる経営勉強会です。
商人舎のサイトでもその活動を報告していますが、
その前身の勉強会に参加したんですね。
當仲氏:
その中で、半年ぐらい過ぎてですね、
「ところで、君、何やって食べてるの」という話になった。
「アルバイトで食べてます」というと、
「君はもっと仕事せんといかん」と、
お亡くなりになられた磯見精祐先生に叱られました。
「君、コンピュータとか難しいことやってるから、
僕はよう説明せんけど、一回あいさつに行け」と
良品計画を紹介くださった。4年ぐらい前の話です。
当時、衣料雑貨をされていた加藤取締役にお話をきいていただくと、
加藤さんも
「コンピュータの話なんて、俺よく分からないからやめてくれ」と。
でも、私はコンピュータ屋というよりは
業務改革の方をずっとやっていたので、小売業の人間なんですね。
当時は、仕事もなく、胸の中もグルグルになっていたので、
その思いの丈をぶつけてやろうと思って、
お会いしていろいろと話をしたところ、
「これは、なかなか気持ちのいいやつが来たな」って思ってくださった。
そして、同席されていたのが、今の小森取締役でした。
後から聞いたら、彼も最初は、
なんか、この忙しいのに呼び出されて嫌だったそうです。
ところが、話を聞いて、これはおもしろそうだということになった。
結城:
また、いい出会いがあった。
★「売上げ概算日報」システムを3日で作る
當仲氏:
ちょうどその頃、良品計画は
システムのリニューアルを図ろうとしていた真っ最中だったんです。
大手のSIベンダーにいろいろ見積りを出させているという、
そういう時期だったんですね。
そのときにスーパーの店員上がりの私が、
「自分達でやれば、自分達で開発ができるんだ」という話をした。
彼は「これだ!」と思ったようで、
それから1、2週くらい、
新橋にあった私の小さい事務所にずっと通われて、
根掘り葉掘り、この技術について、聞かれたんですね。
それで、これはできそうだということで、
スタートをしたのが「売上げ概算日報」という、
当時の松井社長が毎日見られる、営業日報ですね。
それと寸分違わぬものを、君が言うように
「安く、早く、柔軟に」
あっという間にできるんだったらやってみろというお題がきたんです。
お店から上がってくるPOS明細の一番細かなデータから
社長が見るような全社の情報を集約したものを一気に作ることが、
もし、できるんであれば、
後の社内の情報システムというものは、
その間にあるんだから、できるだろうと。
だから、実験としては最高だというころで、
そういう課題をいただいたんですね。
私はそれをですね、どれくらいでやったのかな。
後で山崎さんに聞いたら、
2時間くらいで作ってたとか言ってましたが、
僕は3日くいらいかけた記憶があるんで、
話が良くなっているのかもしれませんね(笑)。
いずれにしても、非常に短時間で作ることができた。
結城:
すごいですね。
當仲氏:
しかも秋葉原で買ったパソコンを背中にしょってですね、
一休さんじゃないけど、
ここにデータを入れたら出して見せようみたいな、
そんな感じでやったんですね。
當仲氏:
それの後にですね、松井社長が、
各地域ごとに苦戦をしている店があるんじゃないかと考えられていて、
各地域のそれぞれの店舗の状況を、こういった形で見たいと。
そのシステムが「柔らかい」というのであれば、
おまえに、それができるかという話がでた。
それをまた、1日、2日で作った。
今までスタッフの人が十何人もかかって作ってたものらしいんですけど、
そういうシステムがなかったんですね。
手作業でやっていたものを、
コンピュータでできるということが分かって、
これは、なんか使えそうだなと、そういったことになった。
それから社内の本部の勤怠管理のシステムだとか、
非常にややこしいものをさせられた。
それもまた2カ月くらいでできあがったので、
「これだけできるんだったら、いろいろできそうだ」と。
それで無印良品全体のマーチャンダイジングのシステムを
このやり方に置き換えようという決断を、
松井社長がされたんですね。
それがきっかけになったんです。
結城:
それは、すごい。
★260のMDシステムを6人で半年で作る
當仲氏:
でも当時は、有限会社で、小さな会社で、人がいないわけです。
それがこんな一部上場の大きな会社のマーチャンダイジングのシステム、
当時で、260個ぐらいのシステムがあったんですが、
それをやるっていっても、
どうやってやろうかと困ってしまった。
人もなかなか集められなかったんです。
そのとき、東信電気の役員をされていた
井上さんというNECの出身の方が、
このLinuxのやり方を見て、
「これはおもしろい」ということを言っていただいて、
「誰か人をつけないと君のところは仕事にならないだろう」と、
若手をタダで貸してくれたんですね。
井上さんって方は、NECの「文豪」というワープロを開発をされた天才肌の人です。
結城:
當仲さんの人柄もあるが、みんなに支えられている。
當仲氏:
そうして20代前半の新入社員を5人と私の6人で、
この無印商品のシステムを全部作ろうと始まった。
「安い、早い」という成果をここでちゃんと見せないと、
僕たちは、もうダメになってしまうだろうと思って、
自分が持ってる技術の中で、
自分で一番いいと思ってるものをどんどん使って、やったんですよ。
その結果、6人で、半年で、
約260のシステムを作ることができたんです。
★道具屋に徹して、集中して作る
當仲氏:
システムを作る前に、既存で動いていた大きなシステムがあったので、
それをリプレイスをして、
なおかつ新しいものを組み立てるという作業だったんです。
既存のシステムを、いちいちプログラムの中まで調べると大変なので、
業務を全部調べて、プログラムは見なかったんです。
僕はシステムというのは業務にあるという信念を持っています。
要は業務を見て、全部ヒアリングして、
今やっていること、今やろうとしていること、
そういったことを全部聞いて、
それでコンピュータをこういうふうに使おうという感じでやったんです。
普通考えると、既存で動いているものをイコールで作るんだから、
プログラムをコピーしたらとか、そういう発想になるんですけど、
そういうことは一切しなかったんですね。
それで、そのやり方が、
今までのコンピュータの無駄なシステムをコピーしないで済んだという、
いい結果に結びついて、非常にシンプルにできあがった。
20代の前半の、去年まで学生やってたような子達を集めて、
そういう仕組みが、半年でできたんです。
もちろん彼らは小売業のことは分からないんですが、
人に素直だったんですね。
コンピュータを道具として捉えたときに、
自分達は業務は分からないから、一生懸命業務の話を聞こうと。
コンピュータのことは、専門学校とか大学で勉強してきたから、
技術は技術で一生懸命やって、
そして分からないことは全部聞こうという、
そういう姿勢でやったんです。
「われわれはシステム屋だから、こんなシステムいかがですか、
こんな業務のシステムはいかがですか」
というようなことはやらなかったんです。
結城:
道具屋に徹して、集中してやろうということが、いい結果に結びついた。
當仲氏:
もともと、ある大手の会社が2年以上かけて、
数百人の体制でやろうとしていたことなんですよ。
それを、6人で半年で、
外注も一切出さないで、完成させることができた。
それは、良品計画にとっても当然コストダウンにつながりました。
★そして、作っては捨てる、作っては捨てる
當仲氏:
業務システムっていうのは生き物なのです。
会社の方針が変われば、システムが変わるということだから、
コンピュータという道具を使って、
そのシステムをフォローできるようなものを作っていかなきゃならない。
その会社のやりたいことを、
システムでずーっと作り続けていかなければならない。
今でもそれは続いていて、
だいたい1週間に1システムくらい作ってるんですね。
作っては捨てる、作っては捨てる。
要は会社の新陳代謝と同じくらいのスピードで
コンピュータシステムを作って捨てる。
そういうことをやり続けているのが、
この良品計画のシステムなんです。
僕にとっても、これは一つの大きなステップアップになりました。
結城:
その良品計画のシステムを作る、
本当にベーシックなLinuxデモンストレーションを
今回のCDオーディオセミナーでは、DVDビジュアルで提供しますが、
「早い、安い、柔らかい」をみてもらいたいですね。
続きます