第18話 ユダヤ系ロシア人の女友達2011年11月30日(水曜日)
デルタ大学に入学してから、ジョージ君の勉強生活が始まった。
大学受験以来であった。
しかもすべての教科は英語である。
苦手な物理や化学まであった。
一番難しいのは文学と歴史だった。
歴史は好きだったが、固有名詞が憶えられない。
とにかく、Reading(読み)は辞書を引きながら、何とかなった。
しかしHearing(ヒアリング)とSpelling(スペル)が問題だった。
何を言っているのか、さっぱり解らない。
そこで会話に慣れるため、ジョージ君はカフェテリアでは、必ず白人の女の子の隣に腰をかけ、話をするように心掛けた。
他の日本人留学生からは胡散臭く思われたに違いない。
ここは短大で、多くの学生は18歳から20歳の高卒だった。
もちろん、コミュニティーカレッジは、職業訓練や高校の授業についていけなかった人の救済という役目もあったので、大人もたくさんいたが、授業が終わるとさっさと帰って行った。
自然と会話をするのは、若い10代の女の子だった。
「ジョージ、家族に紹介するから家に夕食に来ない?」と18歳の娘に招待された。
普通の家庭だった。
彼女はジョージ君に「You are so cute」と言った。
意味が解らず、辞書を引く、「Cute―かわいい」とある。
俺がかわいい?
白人の美的センスはどうかしている。
キャンプ・ファイヤーの夜と同じだ?
赤ちゃんの時から、親からでさえ、一度もかわいいなどと呼ばれたことはないのである。
それがかわいいなどと?
今から考えると、キュートは、気持ちが可愛い、無邪気、無邪気なほどバカという意味であったように思える。
当時は顔がかわいいと言われたと思った?
気持ちは確かに可愛かったに違いない。
言葉がわからないということは、赤ちゃんと同じである。
やがて私立の4年制大学、UOP(University Of Pacific) がストックトンの街にあることを知った。
ここはスタンフォード大学と並んで授業料が高く、“お嬢さま・おぼっちゃま大学”であった。
日本の青山学院大学、上智大学と提携しており(当時)、たくさんの学生が日本に交換留学し、そして日本びいきになって帰ってきていた。
かつてジョージ君が居候させてもらっていた、マンチェスター・アパートの梅尾さんの部屋の隣に、たまたま日本帰りの3名の女子大生が入った。
梅尾さんの部屋から日本語が聞こえたらしく、彼女たちの方から訪ねてきた。
日本食レストランYONEDAに一緒に食事に行ったりして、仲良くなった。
そのうちの2人はまぁまぁかわいかった。
あとの1人はジョージ君の好みではなかった。
毎週末の金曜日、彼女たちは梅尾さんのアパートにきた。
ジョージ君も彼女たちを目当てに、必ず訪れた。
ジョージ君はその中の1人、メアリーに興味を抱いて、何度かデートに誘った。
彼女は振り向きもしなった。
「George, You are a maniac」
「マニアックって、何だ?」
3人の女の子は笑った。
梅尾さんが言った、「ジョージ君、それは偏執狂という意味だ。まあ、この場合は色魔とか?色狂いとでも訳そうか?まあ、簡単に言えば、しつこいと言っているのだよ。あきらめたら?」
ところが、ジョージ君が全く関心の無かった1人、ユダヤ系ロシア人のナターシャはジョージ君に興味を持っているようだった。
彼女は尋ねた。
「ところでジョージは、日本のサラリーマンをやめてアメリカに来たのはなんで? 私なら絶対に日本のサラリーマンの地位を手にしたら辞めないわよ。だって、ほどほどにやっていれば絶対首にはならない。生活は保証され、奥さんも子供も養えるでしょう。賃金は年功序列、終身雇用、アメリカ人から考えたら天国よ。まして、大卒でしょう。アメリカの会社がどんなに厳しいか、あなたは知らないのよ、生存競争はたいへんよ。あなたはきっとよほどのバカか、よほどの人物なのね」
日本にいる時は、アメリカの厳しさなど知る由もなかった。
結局その後、彼女の誘いで時々、2人は会ってお茶を飲むようになった。
ある日、彼女は言った。
「私、お医者さまになるわ」
ジョージは耳を疑った。
“医者になりたい?君の最終学歴は高卒だろう、26歳にもなってまだ大学の2年生、アルバイトでウェイトレスをしている身分で、何を寝惚けているのだ?”と思ったが、黙って聞いていた。
「ところでジョージ、この決心を両親に伝えるから、今週の週末、私の実家に一緒に行こう。」
その金曜日、バークレー市の山の上にある、彼女の実家に行った。
彼女の家は、サンフランシスコ湾が一望できる高級住宅地の一画にあった。
両親も妹も弟も凄い歓迎をしてくれた。
特に両親は、彼女が上智大学に留学をしていた時、一ヵ月間、日本を見学したことがあり、大の日本ファン。
日本大好き人間のようだった。
また、日本人も、日本文化も尊敬をしていると言った。
食事が終わると、ナターシャが口を開いた。
「お父さん、お母さん、私はお医者さまになりたいの。これから10年ぐらいかかると思うけど、いろいろ援助してくれる?」
ジョージ君は、内心、しつこく思った。
“お前はウェイトレスで、26歳で、まだ大学も終わっていない。バカなことを言うな”
父親がニコっと笑った。
「ナターシャ、それは良い考えだ、やってみないさい。できると思うよ」
母親もニコニコしながら言った。
「You can do it! できるわよ、やりなさい。お金はないけど、それはなんとでもなる」
弟と妹も、「お姉ちゃん、頑張って、絶対にできるから!」
途中から遊びにきていた、ナターシャの2人の女友達までもが一緒になって、「You can do it. Yes, you can do it!!」 の大合唱が始まった。
昔、富士山の裾野で夏合宿をした時、ジョギングをしているアメリカの海兵隊と何度かすれ違ったことを思い出した。
彼らは「Yes, you can do it. Yes, we can do it」と言いながら走っていた。
これがアメリカの精神文化か?
そこには否定形や、ネガティブな意見はまったくなかった。
不思議な光景であった。
この人達は何を考えているのだ、彼女が失敗する可能性や、途中で挫折する、その時のことを考えないのか?
ジョージ君が25歳でアメリカに留学をしようと決意した時の光景を思い出した。
誰ひとりとして「You can do it」と言ってくれた人はいなかった。
会社の上司も同僚も友達も親も兄弟も、全員が「You can’t do it. お前には出来ない、止めておけ、無理だ。気が狂ったのか?」と、出来ない、出来ない、の大合唱だった。
もちろん、ジョージ君の能力に疑問符が付いていたから、無理もない話だが、個人のケースではなく、これは文化の違いだと思えた。
ナターシャはユダヤ系のロシア人、そしてアメリカンだった。
これこそアメリカ人の考え方?いや、ユダヤ人の考え方かもしれない?
ジョージ君はやがて、彼なりの一つの結論を出した。
これはアメリカ人の前向きな、ポジティブな考え方と同時に、ユダヤ民族の選民思想が背景にあると思った。
ユダヤ人は選ばれた民だから何でも出来ると信じている。
まず、可能性を信じているから、多くの人が挑戦し、実現していく。
あとは確率の問題だ。
挑戦した彼らの多くは学者になり、大富豪となり、マスコミや金融業界、政界を牛耳っている。
それは彼ら宗教の成せる技だと考えた。
明治時代のリーダーたちがなぜ無理矢理、大和民族の優秀性を唱えたのか。
“大和民族、日本人は選ばれた民だから、何でも出来る、不可能はない”と信じさせたかったのだ。
アジアの貧困な農業国家・日本は優秀であると信じたことで、戦前にはすでに5大強国までになった。
この思想のまま、戦争に向かったことで日本は不幸な歴史を背負ったが。
それでも“大和民族は選ばれた民、優秀である”と信じることによって、多くの可能性が広がる。
今の日本人はあまりにも否定的、マイナス思考だ。
早く自虐的歴史観を改め、日本人の良い面を復活させないといけないとジョージ君は強く思った。
ユダヤ人から学ぶことはたくさんある。
この数カ月後、ナターシャはジョージ君に言った。
「アメリカの永住権が欲しいでしょう?私が助けてあげる」
ジョージ君にとって、2度目のアメリカ女性からの結婚話だった。
だが、ここでも返事が出来なかった。
ジョージ君は若いくせに、いつも心と体が一致していた。
彼女から3度にわたる情熱的なアプローチも、ジョージ君の体は反応しなかった。
彼女は焦った。
また怒って言った。
「あなたは病気かもしれない。明日、医者に行きなさい」
また、こうも言った。
「ジョージ、アメリカ人の私が東洋人の英語もわからない、金もない、仕事もないあなたと結婚することが、どんなに特別なことか理解できないの?結婚してあげると言っているのよ?感謝しなさいよ」
彼女から、白人の優越性という本音を聞き、ジョージ君の心と体は一層委縮した。
やはりそんな風に考えていたのか?
理解できないわけではなかったが、やはりしらけた。
冷静に考えてみれば、当たり前でもある。
英語がわからない外国人は、一般的には経済力もなく、苦労するのは目に見えていた。
当時の日本は、まだまだアメリカ人が尊敬するほどの経済力も技術力もなかった。
でもジョージ君は気にならなかった。
反発しても、感情的になっても問題解決はしない。
日本人が尊敬されるように努力するしかないのである。
あとは背をどのようにして、あと10センチ伸ばせるか?
これを研究するのも価値があると思えた。
お金より、背丈があと10センチ欲しい、ジョージ君であった。