〈第5話〉 米国同時多発テロの経験と病んでいった心と身体
第2章 ―――― Beginning of My Journey (旅の始まり)
米国同時多発テロの経験と病んでいった心と身体
2002年に癌を宣告される前の年まで働いていた日系旅行会社のロサンゼルス支店で、私はオペレーション主任という役職に就いていた。小さい会社ながら部下を抱える立場上、責任は重かった。人一倍、負けん気が強かった私は、風邪を引いても休みを取らず、体を酷使して働いていた。それでも仕事が好きだったし、女性ながら会社のトッププレイヤーとして働くことにプライドも持っていた。家に帰れば子供の世話と家事をこなし、寝る時間も惜しんで働く主婦を十年近く続けた。
仕事は非常に忙しかったが、結果として2倍や、時には3倍のボーナスを年の暮れに貰えるので遣り甲斐を感じていた。私の有給休暇は1ヶ月以上も溜まっていたが、特に休みを取りたいとも思わないほどに働く事が楽しかった。
そして、2001年の9月11日。あの忌まわしい米国同時多発テロが発生した。
当時、米国に在留していた殆どの人がこの惨事の瞬間に、自分が何処で何をしていたか克明に覚えているという。それほどショッキングな、脳裏の奥にべったりと張り付くような出来事だった。
その日の朝、私は仕事へ行く準備をしながら、コーヒーを片手にテレビのスイッチを入れた。 モーニングニュースを見るというよりも、車で通勤する私は、毎朝の交通情報をチェックしてから出掛けるのが日課だった。
突然、画面には飛行機が衝突して煙があがっている、どこかで見たような建物が映し出されていた。“え、事故?これってもしかしてニューヨークの建物・・・” と思って見ていると、続いてもう一機が隣の建物に激突した。レポーターの悲鳴が上がる。
私の携帯電話が鳴った。会社のスタッフからだ。
「ゆう子さん。今、テレビ見てる?」
「さっき、スイッチを入れたところ。一体何が起きているの?」
「ニューヨークのツインタワーに、飛行機が続いて衝突したでしょ?」
「うん、見た。」 そう言った時、背中に冷たい汗が流れた。
“私は今、夢を見てるのか?違う、夢じゃない!” 現実に、何かとても恐ろしいことがアメリカを襲っているのだと察していたが、それでも頭の中は完全に混乱状態だった。
「ゆうこさん、もしもし!聞こえてる?会社どうしよう、行った方がいいかな?」
「え?ああ、、、うん。とりあえず私は今から出るよ。動いているツアーのことも心配だし。」
その年の9月は、例年に無い程忙しく、我々が手配しているツアーの団体客は、ほぼ全米の主要都市に散らばっていた。
“各地の空港はどうなっているのだろうか?暫くの間は飛行機が飛ばないだろう。もし移動が一日ストップしたら、ホテルやレストランの手配が混乱してしまう・・・”
頭の中でそんなことを考えながら、会社への道のりを運転していた。
そこへ、別の知り合いからの電話が入った。
「今、何処にいるの?」
「車の中。」
「ああ、じゃあテレビ見てないよね?」
「さっきまで見ていたよ、ニューヨークのツインタワーに飛行機が二機突っ込んだのを。」
「今、その片方が崩壊した。同時多発テロだってニュースで言ってる。」
「嘘・・・」
その時、カーラジオが入っていない事に始めて気づいた私は、慌てて“ON”のボタンを押した。
悲鳴に近いレポーターの声が流れていた。
“・・・ツインタワーの一棟は崩壊・・・、ワシントンのペンタゴンにも一機が衝突し、甚大な被害で、死傷者は多数・・・・・”
「ゆうこ、あなたは今ロスの市内へ向かって運転しているのでしょう?衝突した機体は、東から西へ向けて飛んでいたらしく、現在もロサンゼルスの方向へ、テロリストの乗った機体が飛んできているという情報があるそうだよ。大丈夫なの?引き返したら?」
「うん、でも行かないと。」
「え!本当に大丈夫?でも、何かそれらしいニュースを聞いたらすぐ引き返した方がいいと思うよ」
「わかった!心配してくれてありがとう。」
幸い、ロサンゼルスは無事だった。
それからの数日間、社のスタッフ全員が十分な食事や休憩も取らずに、全米中で動揺と混乱に巻き込まれたツアー客を、安全に帰国させるため必死に対応した。
なんとか帰国にこぎつけたお客様や同行する添乗員達から、出国前にお礼の電話を頂き、次にアメリカへ旅行するときは宜しくお願いしますと言って頂いたのも束の間、事態は更に深刻な“戦争”という方向へ向かっていた。
米国への旅行は要注意との警告が出され、アメリカにやってくる予定だったツアーは全てキャンセルされた。そして当然の如く、多くの旅行関連会社は閉鎖に追い込まれ、私も職を失った。
世界貿易センターが崩壊していく模様が、繰り返し何度もテレビで流される中、今まで自分が頑張ってきたことに何の意味があったのかと自暴自棄になり、毎晩眠れず、お酒を飲んだ。就職活動をしようにも、旅行業者のキャリアでは、どの社も雇い入れてはくれなかった。
面接に落ち続けて途方にくれ始めた頃、Eコマースの仕事で、日英のバイリンガルであれば経験不必要という仕事を新聞広告で見つけた。
たくさんの人が職を失っている中で、破格の高時給で雇われた。けれども、いざ蓋をあけてみると、無修正の米国製ポルノビデオやDVDを日本に送る仕事であった。各女子従業員にはコードネームのようなものが与えられていた。それらの商品を作って管理していたスタッフは英語しか話せなかったが、社長は日本語を片言話せる中国系アメリカ人であった。Eメールで客との交信を行う部門で働いていたのは全員日本人女性であった。猥褻なメッセージは、あらかじめ保存してある資料に書き並べてあり、それらを自分で適当に選んでメールにペーストして送信するだけの作業であったが、いくら仕事が無く、お金のためとはいえ、嫌で、恥ずかしくて、自己嫌悪に陥る毎日だった。ケースに張られた男女が絡みあう裸体の写真を手に取った後、私は理由もなく化粧室に駆け込み、幾度も幾度も手を洗った。時々、キリキリとした胃の痛みを感じては気分が悪くなり、胃液が出るまでトイレで吐いた。そして、生理中でも頭痛など滅多に起こさないのに、偏頭痛のような症状にも悩まされた。きっとストレスが原因なのだと思っていた。結局、その仕事は二週間と続かなかった。
その後、知り合いの紹介により中国系の旅行会社で働いた。中国富裕層の資金対策か税金対策のための幽霊事務所で、業務は殆ど無く、従業員は私一人だった。事務所の机に座りきりで、給料は出たり出なかったり。社長も滅多に顔を出さないと言う始末だった。仕事や将来に対する不安に、私は押し潰されそうだった。
光の見えない、まるで泥の底を這うような毎日が続いた。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウエルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター