〈第13話〉 私は死なず、生きぬく
第5章 ―――― The Story about Johanna ヨハンナさんのお話
私は死なず、生きぬく
神様は私に2名の素晴らしいドクターを与えられた。そして彼らは私の癌をホルモンベースのもの(エストロゲンの刺激によって増殖した癌)であるという診断を下した。当時、私のコンディションでは放射線治療は問題外であり、非常に体力が弱っている状態であった為に、一般的な抗がん剤療法も危険だった。第一、乳癌に対する抗がん剤療法の成功率は芳しくないと思われた。
2名の内の一人であるオコナー医師は、1日20ミリグラムのタモキシフェン(抗エストロゲン剤)を処方した。この薬はホルモン分泌抑制剤で、抗がん剤の一種ではあるが、副作用も僅かだ。
私の健康状態において医師達はあまり楽観的ではなかった。しかし、神様は別の計画を用意されていた。
タモキシフェンの投与で5日間入院した後、病後の回復のため自宅へ戻った。それからの3ヶ月間、私の娘達が忙しい生活の合間を縫って交代で付き添ってくれた。カナダに住む私の兄弟や姉妹達も駆けつけて来てくれた。私のファミリー全員が大きな支えとなり、手をかしてくれた。私は出来る限り日常の生活を続けるように言われ、数週間後にはパートタイムで仕事を再開した。
タモキシフェンは通常7~8週間経たないと効果が期待できないと言われていたが、投与の4週間後から少しずつ具合が良いと感じるようになり、エネルギーも多少沸いて来た。
退院して自宅に戻ってまもなく、私は食生活を大幅に変えた。私達は沢山の代替療法を試した。1日に何回か新鮮なジュースを作って飲み、赤肉、カフェイン、乳製品、それから最も悪影響を与えるとされる白砂糖と漂白した小麦を使用する食品の摂取を止めた。その代わりに、サラダ、魚、火を通さない野菜や果物と、沢山のスープを作って食べた。インターネットで検索して、代替メソッドで癌患者を専門にケアするクリニックや保養所等を見つけた。そのうちの何箇所かはメキシコにあった。それから、癌と戦うには出来る限り休息することが何よりも一番重要であることも知った。
時折、意気阻喪という悪魔がその醜い頭をもたげることもあった。そして聖なる魂は神様との約束を私に思い起こさせ、私は自らの座右銘となった聖書の言葉を繰り返す。
『私は死なず、生き抜いて、神様のなされる行為を布告する。』
私は驚くべきほどの祈りのサポートを受けた。会社の集会では、仕事仲間全員が私の方へ手を差し伸べ、私が主によって癒されますようにと祈ってくれた。700の団体と、その他のミニストリー、そして祈りの輪は、私に変わって行動を起した。
私は祈りを捧げる人々によって抱え上げられた。
そして主は、更にもう一つのレッスンを私に与えようとしていた。
友人であるテレーズ、クララ、エルキは、仲間全員に私に何が起こっているのかを知らせようとした。彼女らはとても素晴らしい手紙を書き、彼女らが知るほぼ全員の信者達に私のために祈りのサポートと献金を求めた。そして、多くの人々がそれに応えてくれた。沢山のメモや手紙、私の回復を願う激励と祈りでいっぱいのEメールを受け取った。7000ドル以上の寄付が集められた。私がその寄付を受け取る側になるという事は、今まで味わったことの無い経験だった。元来、何事も地道に歩む人生を送りたい性質なので、 人からお金を貰うという事は例えどんな事情があるにせよ、そう簡単に受け取れるものではなかった。それは“卑下することを学ぶのだ”という、私に必要なレッスンの一つだった。
これらの寛大な贈り物のお陰で、私は3ヶ月の療養休暇を取ることが可能になった。
私が十分な休息を得るために、ホルトウッドで生活していた家を手放さなければならない事が明らかになった。私はその家での生活を愛していた。家は知り合いであるジョンとミッシェル・ホワイト夫妻が所有する事になり、彼らの物置に私の持ち物を置かせてくれることを快く申し出てくれた。教会のメンバーは、私のピアノを教会に置いてくれた。
友人のキャシーがニューヨークから来て、引越しを手伝う為に何週間か私と一緒に過ごしてくれた。彼女はたくさんの箱詰めを手伝った後、私の面倒も看てくれた。
引越しの日、教会のメンバーと仕事場の何名かの人と私の息子達も来て手伝ってくれた。
主は再び、私たちが必要とするものを寛大にも与えてくださった。
2000年の5月10日、ロバートと私は西海岸へ向け出発した。
私が通う教会の家族(メンバー)らは、毎日私達のために祈りを捧げると約束してくれた。
私達は娘のマーガレットと彼女の家族を訪ね、そこで別の娘であるメアリーと彼女の娘のジョイスと共に過ごした。私は出来るだけ多く休息を取り、祈り、読書をし、そして眠った。
その間に、サンディエゴにあるOptimum Health Instituteが、私の行くべき場所であることが判明した。友人のテレーズは、以前そこに行ったことがあったので、院内で行われるトリートメントプログラムについての情報を詳しく私に説明してくれた。そのトリートメントプログラムの様々な症状回復の成功率はとても高いものであった。
オコナー医師は、私がそこへ入ることに何の反論も無いと言った。彼の意見はこうだった。
「それは私が実践する医療の類では無いけれど、君の状態を考慮すれば、さして損をすることも無いだろう。」
2000年の7月2日、私はO.H.I.へ3週間入所することにした。自然食を食べることによって体を癒すことを学ぶには最高の場所だった。
そこで食べるものは、一切調理されたものはなかった。私達は全ての食物を“創造されたままの姿”、すなわち、生で食した。それから、ウイートグラス(小麦草)ジュースのセラピーを用いた。1日に2回、作りたてのウイートグラスジュースを2オンスずつ摂取する事は強力なデトックスの作用物となったし、栄養素もたっぷり摂れる。日々に行うエネマ(浣腸)とウイートグラスを腸に挿入するインプラント(挿入)もこのトリートメントの一部として含まれ、ここでのセラピーは、病のために食事が取れない病人にとって特に効果的であった。それから、リンパシステムに効果的なマッサージセラピーも受けることが出来た。毎日、“自らの健康は、どのようにして得ることが出来るのか?”のクラス等が行われる。それからメンタルデトックス(精神のデトックス)もあった。このクラスでは、恨みや苦しみを懐いたり、その他のいかなる否定的感情を抱くのは良くない事だと教えられた。全てを許し、人生を歩み始める事が大前提であるのだと繰り返された。O.H.I.のスタッフは素晴らしく、常時プログラムを可能な限り改善し私達のケアを怠らなかった。
神様は、時には方向転換する事も必要と言及される。
病気にかかっていることを ”a health opportunity-健康になる機会を得る為に” と、ここでは言う。入所するのが2回目や3回目の人にたくさん出逢った。その人達は、癌やその他の病から回復した素晴らしい体験談を私に語ってくれた。
献金は十分にあったので、私は一人ぼっちでO.H.I.に入所する必要は無かった。最初の週はマーガレットが一緒に来てくれた。2週目はテレーズ、そして最後の週はジョイスがいてくれた。3人とも全てのプログラムを体験し、ここに滞在したことによって健康面での利益を得た。
8月に我が家へ戻ってきた時の体力は出発した時よりもかなり強く、健康になっていた。オコナー医師によって行なわれたレントゲン撮影では、非常に素晴らしい成果が出ていることが示された。
そして9月の中旬、私は「サイト・アンド・サウンド」のフルタイム衣装デザイナーとして現場に復帰した。
11月、主治医は、私の体に腫瘍の塊を見つけることが出来なくなった。彼は驚き、私に沢山の祝福を与えてくれた。
私はウイートグラスを毎日飲み、その後の人生も飲み続けて行こうと思う。それからは、20グラムのタモキシフェンも毎日服用した。健康なダイエットを試み、エクササイズも頻繁に行った。
2001年2月3日、私は再度のレントゲン撮影を行った。次の週、結果を見るために主治医から呼ばれた。
最初、2000年の8月に撮影したレントゲン写真を一緒に見た。肺にはまだいくつもの点(影)が見られた。それから彼は、先ほどの写真の真横に最近撮影したレントゲン写真を置いた。そこには全く点(影)が見えなかった。
私達はノーマル状態の胸部レントゲン写真を見ていたのである。
『主に、栄光あれ!』
**************************************
ヨハンナさんのストーリーはここで終わりである。
ヨハンナさんの原稿を訳す前、私はそこに綴られた言葉を、彼女の魂が私の心に宿るまで何度も読み返した。この作業を通して、翻訳とは、ただ言葉を別の言語に置き換えるのではなく、筆者の思いを出来る限り鮮明に伝えることが大事なのだと言う事を学んだ。私に素晴らしい機会を与えてくれたヨハンナさんと、彼女との出会いを私に与えてくださった神様に感謝を込めて、『主に、栄光あれ!』という締めくくりの一節を訳させて頂いた。
以前の章の中に記述した成人病の完全克服に成功された人々に共通する生活習慣の多くを、彼女は自然に実践していた。そしてO.H.Iでのプログラムが、ヨハンナさんの症状を著しく改善させた事を改めて認識した。但し、全ての患者が同じ方法を行えば必ず病を治せるのか?と言えば、もちろんそこには疑問が残るかもしれない。けれどもヨハンナさんのストーリーで一番気づかされたのは、闘病患者にとっての”Quality Of Life(生きる質)“が、病と戦う上でどれほど大切かという事である。初老で、末期のがん患者であったヨハンナさんが回復していく過程に、先ず心の開放と癒しがあり、それが最終的に彼女の肉体をも健康な状態へ導いていったのである。もちろん敬虔なクリスチャンである彼女は、神を信じ、全てを委ねる事が誰よりも容易であったかもしれない。しかし健常者と同じようにクリスマスを祝い、多くの友人や家族達と不安や苦しみをシェアーし、パートで仕事も続け、様々な情報を集めてライフスタイルを一新させ、数千キロもあるアメリカ大陸を渡ってO.H.Iまでやってきた事実だ。そこには、内に引き篭る事無く、ドンドンと可能性にチャレンジしていく前向きな姿勢が見える。
ヨハンナさんの行動と勇気が最善の治療法と援助をもたらし、最終的には病の克服という結果に至ったのだと思う。最後に、ヨハンナさんが私に託した原稿用紙を通して、彼女が本当に伝えたかった真意を私なりに解釈してみた。
あなたはけして一人ではない。
全てに降伏し、差し出された手にすがるのも時としては必要である。
そして、いかなる時も万時を尽くし、立ち止まらずに進む事。
『死なず、生き抜いて!』
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター