〈第14話〉 代替療法の梯子
第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録)
代替療法の梯子
オプチマムヘルス協会(O.H.I.)を出てから、私の1年半に及ぶ本格的な闘病生活が始まった。食事は乳製品を含む動物性蛋白質を絶ち、野菜を中心に食した。蛋白質は白身の魚と豆で摂るようにした。そして台所にあった白砂糖と漂白された小麦粉を全て捨て、オーガニックのものに切り替えた。白米はなるべく食さず、圧力鍋を買って玄米を炊いた。但し、主人と育ち盛りの息子には通常の食事を調理し、私の分は生野菜中心で別に作った。
毎朝、自宅近くの森を走り、たくさん深呼吸しながら体操をした。そしてO.H.I.で購入した絞り器を使い、裏庭で育てたウイートグラス(小麦草)をジュースにして、1日必ず2オンスずつ2回摂取した。O.H.I.で学んだメソッド、宿便取りも欠かさずに行った。体調は順調で、微熱も腹部の痛みも無くなった。“もしかしたら腫瘍がとても小さくなっているかも?”と期待した。しかし、その後の定期健診で腫瘍の大きさは変わらないと告げられ、少しがっかりした。けれども、“同じサイズだと言う事は、進行はしていないことなのだ”と考え直し、同じ生活を続けた。様々な民間療法を含む代替療法を試しつつ、定期健診だけ続けながら、抗がん剤は拒否し続けた。
私が試みたその他の療法を次にあげてみたい。
* 氣孔師のところへ通い、腫瘍の箇所に“氣”を充ててもらった。
* 多くの病人を治したという噂の足揉み師のところへ通い、漢方薬を服用した。
* インターネットで検索して見つけた代替療法のクリニックへ通い、生薬とビタミン剤を服用した。
* 訪ねて来た知り合いが、ネットワーク販売している免疫力改善のサプリメントをたくさん摂取すれば
どんな病気でも良くなるからと言われ、通常1ヶ月かけて摂取するものを1週間で飲み干した。
(これは後から考えると、かえって消化機能に負担を掛けていたのではないかと思う。
実はそのネット販売のリーダーで、私に使用を強く勧めていた人は、私が摂取を始めた年の末に
胃がんで亡くなった。そのことで、どんなに良い物と言われるものでも、
摂り過ぎは健康を害することに気が付いた。)
* 琵琶の葉の温灸(近所の庭にある琵琶の木から葉をわけてもらい、日本から温灸セットを取り寄せ、
葉を腫瘍のある場所にあてて、その上からもぐさの灸をすえた。)
* 抗がん剤の悪影響について唱え、抗酸化サプリメントを開発した博士の診断を受けるために日本を往復し、
私の症状に応じて調合された抗酸化生薬を服用した。
* ロスアンゼルスにある、マッサージとカイロプラクティックの自由診療院で、お腹をマッサージし、
下剤を飲んで毒素を取るという療法を週2~3度行なった。
* 飲尿療法(自分の朝一番の尿を飲んで癌を克服したという書物を読み、1週間位はコップを持ったまま
躊躇したが、癌と戦うためならと半年ほど続けた。頭の中でなるべく何も考えないようにして、
鼻をつまみ一気に飲み込んでいたのでどんな味がしたかは正直いってあまり覚えていない。
この事は、主人や周りの人から頭がおかしくなったのかと疑われるかもしれないと思い、秘密に行っていた。
しかし、本に書かれていた様な変化を感じないまま、何も症状が変わらなかったので、
途中でギブアップしてしまった。)
* 癌に非常に効果があるといわれ、臨床データでも証明されている天仙液という漢方剤を飲んだ。
(これを一番長く続けた。)
民間の自由診療やサプリメントを販売する人々は、容易に“大丈夫ですよ。あなたの癌は治ります”と言う言葉を口にする人もいた。しかし、これらを続けるには、多額なお金を必要とすることが常であった。今思えば、中には営利目的の為だけに近づいて来た人も居たかも知れなかった。しかし、 “治る!”という魔法の言葉に期待し、それを信じてすがりたいという感情は、頭によぎる疑いを打ち消した。これは癌患者やその家族が陥る典型的な代替療法の梯子だという事を、後から色んな書物を読んだり、人の話を聞いて知ることになるのだが、その時の私を止めることは、私自身にさえ出来なかった。
続けていた療法で、私が最も効果を実感できたのは、厳格な食事療法とデトックス(宿便とり)、ウイートグラスと天仙液の摂取であった。それらをきちんと守っている時の体調はまずまず良好であり、少しでも食事のバランスが崩れると体調が悪くなった。
しかし、様々な代替療法だけを行なってきた1年が過ぎても癌は消えず、少しづつリンパの流れが悪くなっていった。ある日、とうとう足が象のようにパンパンに腫れ、歩くことが困難になった。その頃から急に腹水が溜まりだして、臨月の妊婦のようにお腹が膨らみ、日常の生活に支障を来たすようになった。少しの歩行でも両足の中指が攣り、こぶらがえりを起こした。バケツに湯を入れ、足を浸けながら指先をマッサージしてほぐさないと痛くてどうしようもない状態になった。そして、定期的に行っていた検査では腫瘍マーカーが著しく上昇し、白血球の量も血小板の状態も芳しくないと告げられた。
日本へ通ってまでも続けていた代替治療クリニックへ、検査結果をファックスで送り、“先生の指示通りに処方された生薬を飲み続けているが、思うような結果が出るどころか腹水も溜まっている。どうすればよいのでしょうか?”と問い合わせたが、納得のいく返事はもらえず、日本まで来なさいと言われた。しかし、私の身体は長時間の飛行に耐えられる状態ではなかった。
専門の知識を持ち、私が代替治療を選んだ事を解ってもらえる人と話したかったが、それも叶わず、毎日が不安だった。
その頃、私がロスアンゼルスで通っていた代替的療法を営むある治療師に、腹水が溜まってきている事について相談したいと何度も電話を掛けたが、なかなか応対してくれなかった。すると後日になって、私の紹介でそのクリニックでアルバイトをしていた友人が、私には黙っている事が出来なかったからと、その治療師が彼女に語った“ある一言”を教えてくれた。
「ゆうこはもうだめだろう、私が今まで診てきた患者さんの中で、お腹にあそこまで水が溜まった人間で助かったものはいないから。」
信頼していた治療師に見捨てられ、家族や周りの人々が心配する中にあっても、私は入院して抗癌剤治療を行うことをかたくなに拒んだ。
身体を蝕んでいく悪魔を徹底的に叩くことが出来ないジレンマと、“もしかしたら、私はこのまま助からないのでは?”という一抹の恐怖を抱え始めた。それでも昼間の明るいうちは、つい弱気になる自分の気持を奮い立たせ、周りの心配をよそに気丈に振舞っていた。けれども、夜中に目を覚ますと、とてつもない不安の波が押し寄せて来て、それに飲み込まれていくような気がした。
眠れない夜が続いた。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター
2 件のコメント
私がもし同じ立場だったら・・・
こんなこと書くのも恐れ多いのですが、
きっとここまで病気と真正面から立ち向かえないと思いました。
私なら、、、途中で・・・
考えただけでも・・・胸のあたりが重くなり、ため息がでました。
人はぎりぎりの状態では結構しぶとく何でも
するものだと自分でも思いました。しかし、あとで同じような経験をした何人もの方と話したのですが、結構たくさんの人が私と非常に似た経験をしているのを知りました。