〈第15話〉 統合医療
第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録)
統合医療(Integrative Medicine)
腹水がたまり、歩く事すらままならなくなった私の姿を見るに絶えず、とうとう友人の一人が私をある場所へ連れて行った。そこは、AKASHA CENTER FOR INTEGRATIVE MEDICINE (www.akashacenter.com)という統合医療治療専門クリニックで、医師が西洋医学を中心に、東洋医学を初めとする伝統医学や代替療法を取り入れて、患者の治療にあたっていた。患者の健康状態を配慮して、一般治療に様々な療法を継ぎ足していく事から、別名で足し算治療とも呼ばれている。
クリニックで取り入れられている療法を次に記載する。
* 漢方や針灸などの東洋医学
* 「毒をもって毒を制する」と言われるホメオパシー(19世紀にドイツ人医師によって実践された同毒療法。
水で希釈した毒素を体内に入れて、治癒力の増進をはかる。)
* リンパドレネージュ(1932年にデンマークの医師が治療のために発案したマッサージ法。
運動不足や健康状態の悪化で滞るリンパ液の流れを良くし、老廃物を対外に押し出す働きを助ける。)
* 自然治癒力を促進させるホリスティク療法
* マクロビオテック(玄米・穀物菜食)やVEGAN(動物性蛋白質・乳製品や卵を排除した食事)と言われる
純菜食主体の食事療法
* 心理療法医のカウンセリングを取り入れ、各患者の肉体的、心理的状態の相互から判断し、
症状に合わせた、身体に負担を出来る限り掛けない医療を提供
* 大学病院等の医療機関と提携しているので、緊急時の対応も迅速に行なえる
* 自由診療である代替医療とは異なり、健康保険の適用も可能
なんと、初診に3時間近くもかけて、主治医から取り寄せた全てのカルテと私が実行してきた食事を含めた代替療法と、それによる体調の変化や精神状態に至るまで、とても細かなカウンセリングが行われた。
私の担当医はドクター・デアンジェロという名の、大学病院でメディカルドクターとして活躍する若い先生だった。彼の診断によれば、私はすぐに癌専門の医師がいる病院に入院し一刻も早く適切な治療を受けないと、非常に危険な状態にあるという事だった。ただ、体力が落ちているので(その頃、私の体重は身長157センチに対して35キロしかなかった)通常の抗がん剤治療などを行えば、もっと深刻な状態になることも予測された。特に、私自身が抗がん剤に対して非常に恐怖を抱いていることを考慮することが必要だと言い、「どんな良い療法であっても、患者が安心して治療を受けなければ、ただ体を傷つける刃になるだけだ。」と彼は語った。
そんなことを言ってくれる医師に、私は今まで一度も出会ったことが無かった。ドクター・デアンジェロの真っ直ぐで澄んだ瞳は、眩い光となって私に覆いかぶさっていた闇を照らし始めた。“この先生を信じてみよう。” 心からそう思った。
ドクター・デアンジェロは、彼の同僚で臨床腫瘍医のドクター・ケヴィンの診断が受けれるように取り計らってくれた。ドクター・ケヴィンは、統合医療に対する理解も深く、抗がん剤治療に対しても繊細な処方をすることで著名な医師であるため、通常の手段(電話予約)では1ヵ月半以上先まで予約がいっぱいだと言われた。ドクター・デアンジェロは、確実に連絡が取れる夜の10時過ぎにドクター・ケヴィンの自宅にまで電話を何度も入れて、直接に彼と交渉してくれた。1日も早く私を入院させ、治療を始めるように頼んでくれたのである。そして私は、ドクター・デアンジェロと出会った3日後にドクター・ケヴィンを担当医として、彼が所属する聖ジョセフ病院に入院出来るようになったのである。
入院のための準備を行っていた私に、息子のユウキが背後から声を掛けた。
「マミー、何処行くの?」
自らの病の事を息子に打ち明ける事にためらいがあった以前と違い、この時、私の心に迷いは無かった。“ユウキは八歳だ。もうごまかしは効かない。彼と真っ直ぐに向き合う事が、私にとっても、そして息子にとっても必要なのだ。”と強く確信した。
「病院へ入院するのよ。直ぐ戻ってくるから、待っててな。」
「マミーのSICK(病気)はとてもBADなの?」
「マミーはキャンサーなの。それって何の事かわかるかな?」
「うん。ちょっと知ってる。でもキャンサーって・・・」
そこでユウキの言葉が途絶えた。彼の瞳が少し大きく見開かれ、多分その次に出てくる言葉を私は察していた。“死んじゃうの?”と聞かれるのだと思った。けれどその代わりにユウキはこう言った。
「マミーはSTRONGだから、大丈夫。」
その言葉をユウキは本当に心の底から思ったのか、また信じたい彼の願いが言葉として口に出たのかは分からなかった。けれども、私は息子の声を通じて何か大きな存在が私にそう告げてくれているような気がしていた。
“私は強いのだろうか?ああ、でも今は本当に強くなりたい。そうだ、強くならなきゃ!”
息子の“STRONGだから、大丈夫”という一言が、私の中に“カチッ”という、エネルギーのスイッチを入れてくれた。
そして、急に入院が決まった私を、元会社の同僚で長年の友人である睦美ちゃんが会社を早退して病院まで送ってくれた。彼女は私の入院中、息子の学校のお迎えから家の夕食の準備まで手伝ってくれた。私よりずっと年下なのに聡明でしっかり者の睦美ちゃんには本当に昔から助けてもらってばかりである。方向音痴の私は、いつも道に迷うと彼女に電話して遠隔操作でナビゲートしてもらったり、同時多発テロの後に職を失った時も、彼女は私と同じ境遇であったにも拘らず自分のことはさて置いて私を励ましてくれた。癌告知を受けた時も、主人に伝言を残したあとで無意識に彼女の携帯番号を押していた。抗がん剤ではなく代替治療を試してみたいと言う私を理解し励ましてくれ、一緒に色々な情報を集めてくれた。厳しい食事療法の最中、夕食のおかずとして作った豚肉の生姜焼きを息子が食べ残したことが悲しい(これは私が欲しくても食べられないのに、という意味だ。)と子供みたいな馬鹿馬鹿しい泣き言をいう私に、「辛いよね、わかるよ。」と慰めてくれた。そして、次々と私に降りかかる困難に負けそうになる度に、「ゆうこさんなら、絶対乗り越えられる。」と励ましてくれた。睦美ちゃんが傍にいてくれてどれだけ心強かったか、言葉にしても足りない。
この日も、病院に着き別れ際に不安を感じていた私の気持ちを察してか、彼女が言った。
「ゆう子さんが信じて決めたのなら、きっと大丈夫!上手くいくよ。」
睦美ちゃんのその一言も、更にまた私の肩を押してくれた。
もう私の中には
迷いも
不安も
零れ落ちそうな涙も
なかった
自らの前に準備された方向を信じて
進んで行けば良いという確信があった
それはまるで
真っ暗な夜の海で一筋の灯りを見つけた時のようだった
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター