〈第17話〉 最善(オプチマム)の方法 (後編)
第6章 ―――― The Story of How I Fought My Illness (私の闘病録)
最善(オプチマム)の方法 (後編)
抗癌剤投与の入院中、私の身体には今まで体験した事の無い、色々な変化が起きた。中でも最悪だったのは顔色だった。まるでエイリアンのような緑色に変色していた。丁度その時、私を見舞いに訪れた友人の一人は、ドアを開けたところで私を見て驚愕したのか、あからさまに後ずさりし、よろけて転びそうになっていた。
しかしそんなことよりも、息子が私の容貌を怖がり、口にした一言が最もショックだった。
「マミーのお顔、ゴーストみたい。」
さすがの私も夜中トイレに立つ際には、鏡に自分の顔が映らないように努めた。今となっては笑い話だが、自分で自分の顔を見るのがとても恐ろしかったのである。
そして緑色の肌の状態が数日続いたある日、下腹部への急激な圧迫感があり、激しい便意をもよおした。肛門の出口が破裂してしまうのではないかと思うほどの大きな固まりが出そうで、30分以上かけてトイレで悪戦苦闘した。その結果、とてつもない量の粘土質で真っ赤なレンガ色の塊が便器の中に山のようになって排出された。まるで臓器がそのままの状態で飛び出したかのように見え、その色と薬品と鉄の錆びた様な匂いは、抗癌剤薬タキゾールを連想させた。驚くべき事にそのレンガ便が出た後は、顔色や唇の麻痺など、全ての症状が改善し、すっかり通常の状態に戻れたのである。体のヘドロというか、溜まっていた毒素の全てが塊となってドバーと吐き出されたようであった。
実は、抗癌剤投与と同時に、先生方の許可を得て天仙液だけは続けて飲んでいた。というのも、この天仙液は抗癌剤と併用すると効果が非常に上がるという検証データを読んでいたからであった。漢方薬を含む代替療法を完全に信用する事に多少の疑いを持っていた主人でさえ、「天仙液は結構効いてたんじゃないの?」と言っていたほどである。しかし、何故そう思うのかと聞いてみたら、「なんか匂いが強烈で、いかにも効きそうだったから。」と返された。どんな状態においても決して深刻な様子は見せず、抗癌剤治療の合間も時間が許す限り私の傍に付き添い、励まし、サポートを続けてくれた彼に深く感謝をしている。
抗癌剤使用の副作用で髪や体中の毛は全て抜け落ちたが、医師や周りの人間が驚くほどの高速スピードで私は回復して、発病前以上に元気になった。先に私の見舞いに来て、その酷い容貌の変化で転びそうになるほど驚いた友人が、数日後に再び見舞いに訪れた時、あまりの回復振りにまた転びそうになったほどである。
抗癌剤治療の間は時折体温の調整が狂い、全身がカッカッして汗が噴出してくる“のぼせ状態”になったり、食事をする時に奥歯でゴムを噛んでいるような感覚を覚えることがあったが、アカーシャセンターで定期的に受けた針治療や漢方の処方と食事療法のお陰で、耐えられないほどの副作用を感じることは無く、6クール(約半年)の投与を終えてから1年ほど経つと私の腫瘍は完全になくなり、検査の結果も全て正常な状態となった。
後に、ドクター・デアンジェロから言われた事だが、私がオプチマムヘルス協会で行ったデトックスや徹底的な食事療法が、身体に毒素を排出する能力を与え、それが最良の状態に保たれていたのが非常に役立ったらしい。様々な病気を誘発する原因となる体に溜まっていた長年の毒素が、デトックスである程度まで取り除かれていた事。厳しい食事療法が日常生活の一部になっていた私にとって、先生が指示した食事療法(内容はほぼ同じだが完全な菜食でなく、白身魚とキレイな海で自然に捕獲されたサーモンとオーガニックの鶏肉、ホヘイプロテインという乳清タンパク質を摂り、たんぱく質の量を増やして野菜中心の食生活を基本にする)を続ける事は至極簡単だったので、体の免疫力を高めるダイエットを持続することが出来た事。ウィートグラス(小麦草)を習慣的に飲むことも続けていたので(これは今も欠かさず続けている)必要なミネラルは十分に摂取され、体内が常に弱アルカリ性に保たれていた事。一時的に精神が不安定になっても、それを直ぐに健全な状態に戻すことが可能なコントロール法も習得していた事等である。
抗癌剤の様な毒薬を体に入れても、その毒が病気の根源を叩いた後、しっかりと体外に排出されるのならば、それは理想的な方法なのである。統合医療とはこういうことだと自らの体をもって知った。この闘病期間の経験が、その後の私に訪れる様々な『OPPORTUNITY (転機)』と絡み合って、その数年後の私の人生の道を照らし、大きな夢を抱くきっかけとなることを、まだその頃の私は気付く由もなかった。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター