〈第18話〉 質の良い人生を送る
第7章 ―――― QUALITY OF LIFE
質の良い人生を送る
闘病中、私はエステティシャンの州認定資格を所得した。理由は3つあった。
1つ目は、それまで続けていた旅行会社関連で仕事を見付けることが当時は難しかった事。
2つ目は、17歳から時折、発作のように酷いにきびが出ることがあり、一時的に良くなってもまた数ヵ月後には同じ症状に戻ってしまうため、エステティックサロンへ通い定期的にフェイシャルサービスを受けていた。しかし、施術方法によって非常に改善される場合とそうでない場合があり、何故だろうという疑問と興味があった。
そして3つ目の理由は、何か他の事に情熱を傾けることによって、自分が病人であるということを一時的にでも忘れたかった。強い意思を築くために、新しい夢を持ちたかったという事である。
癌の告知を受けた半年後に中国系旅行社の仕事も失った私は、カリフォルニア州から失業保険金を貰っていたのだが、通常支給されるのは3ヶ月間で、長くても6ヶ月と決まっていた。しかし、州の指定する職業訓練の学校へ通えば、卒業して試験を受けるまで支給を受けられることを知った。試しにエステティシャンの資格が取れる近場の美容学校を調査したら、州の認定校であった。長年続けてきたキャリアとは全く別世界に入り込む事に不安はあった。けれども、どうせ今までのキャリアでは仕事が見つからない状況だったので“やるしかない!”と思った。
美容学校で600時間の授業と、実習生として校内のサロンで働いた後、州のライセンス取得試験を受け、なんとか合格する事が出来た。全てに約8ヶ月間を要した。米国のエステティシャンは、フェイシャルのハンドテクニックのみならず、ワックスを使用した脱毛、器械を使用したエステ施術、ベーシックメークアップなどの技術を習得する必要があり、その全てが州の実技試験に出る。そして筆記試験に合格するには、細菌学から肌の疾患を主体とする病理学、施術中に器機の故障が起こった際に一時的なメンテナンスに必要な電気工学についての基礎知識、州が規定する美容安全衛生法についてをマスターし(これが一番厳しく、試験の要となる)、食生活の指導を含むカスタマーケアと簡単な経営学等についての勉強をしなくてはならない。
私は百科辞典のような教科書を毎日持ち歩いて1冊全てを丸暗記した。それでも、本に書かれている内容はとても興味深く、勉強するのが楽しくて、ストレスを感じるどころか、久しぶりの学生生活を十二分にエンジョイしていた。
美容学校へ通っていた頃は腹水が溜まる前であり、比較的体調が良い日が続いたので、“もの凄く痩せているね”とはよく指摘されたが、私が癌患者だとは誰も気付いていなかったと思う。エステティックのクラスで勉強した事により、如何に健康で綺麗な肌を保てるのかを理解することが出来た。きちんとお手入れを心掛け、サプリメントも摂り、水も十分に飲んだ。毎日の授業の休み時間にエクササイズがてら仲間と連れ立って学校の周りを歩き、毎日の課題や試験問題などについて語り合った。
南カリフォルニアは1年を通して温暖で、日本ほどではないが、それなりに雨も降り、花が咲かない月など無い。学校の周りは緑が多くて、ウォーキングには絶好の環境だった。“健康な肌のためには、健康な生活を心がける事”と教科書に書かれてあった。“病気を抱えていても健康な生活を心がけ元気に日々を送れば、それは病人とは呼ばないのではないだろうか?”などと考えていた。だって、私の肌は生き生きと輝き、今までに無いほどキレイになって吹き出物1つ、できなくなったのだ。『QUALITY OF LIFE―どれだけ質の良い人生を送れるか』 という言葉が頭を過ぎった。豊かで人間らしく質の良い毎日を送る事。それは、病気と闘う事と同じくらい私達癌患者には必要なのかもしれないと思った。
実際には、自分が深刻な病を抱えているという事を私は何度も忘れた。それよりも、試験に合格して資格を取りたいという当面の目標が、生きる事への大きな原動力になったのは確かだ。州の認定試験を受ける頃は体調が崩れ始めた頃で辛かったが、試験に合格した事でまた新たな人生の扉を開ける気がした。
学校へ行き出してから判ったのだが、アメリカは日本と異なり、免許を取ったその日から美容師やエステシャンは一人前のプロとしての仕事が期待される。日本のように、一人前になるまでサロンで見習いとして働き、お給料を貰いながら研修を受けられるのとは違う。当然、新人にとって仕事を見つけることは難しい。だから、免許所得後もサロンの受付などのアルバイトをしながら様々なワークショップのクラスを取るなど、勉強を続ける必要があるのだ。通常2年で、免許所得者の10人に3~4人が脱落して別の職業に就き、5年後に残れるのは更にその半分以下と言われる厳しい世界である。
最初、学校側の紹介によって大手サロンで働く事になったが、試しにやってみてといわれたワックス脱毛でモデルになったマネージャーの眉毛を半分取り去ってしまい、即帰宅を命ぜられた。すなわち、「クビ」ということである。その翌日、友人で、脱毛用ワックスを販売しながら講師も行っているマリア・カンフォート女史の家までアポ無しで押し掛け、頼み込んで3日間の特訓を受けさせてもらった。そして帰宅後に、主人の眉毛や体の毛を使用させてもらい(かなり嫌がられた。夫にしてみれば悪夢の日々だったと想像する)、必死に練習した。その後、主人の知り合いである、サロンのオーナーに頼んで働かせてもらえるようになった。店のオーナーであるナンシーは、1人で1日800ドル以上稼ぐほどの売れっ子で、経営者としても優れており、エステティシャンの経験も持つ美容師である。
後になって本人から聞かされたのだが、ナンシーは最初、私を雇うことに躊躇していたらしい。けれども、夫に伴われて面接を受けた私がお手洗いに立っている間に、夫から私の病気のこと、その状況下で美容学校へ通ったことを聞いたらしく、私が戻って来るといきなり、「あなたを雇ってあげる。まだまだ新人だから、お客様がつくまで時間が掛かると思うけど、私が少しずつ教えてあげます。」と言ってくれた。彼女も甲状腺の病気をずっと抱えながら頑張って仕事を続けてきたことが理由だったと教えてくれた。新人のエステティシャンにすれば、非常にラッキーなスタートであったと思う。
抗癌剤治療を終えてから、少しブランクがあったものの、私は少しずつエステティシャンとしての道を歩き始めた。副作用ですっかり髪が抜け落ちた頭には鬘が必要であった。“ええい、どうせならこの状態をお洒落に楽しんでしまえ”と気持ちを切り替えた。その頃私が買い求めたかつらは、ファンキーで、ど派手なカラーのスタイリッシュへアー、ごく普通のショートヘアー、肩まであるボブスタイル、そしてワンレングスでハイライト入りのロングヘアー(これは髪が抜け落ちてしまった反動である)の4種類だった。それらをその日の服装に合わせて毎日取り替えて被り、仕事へ出掛けた。
ナンシーの店で働き始めて半年が過ぎた頃、ビバリーヒルズにある美容整形のクリニックが、院内にオープンしたフェイシャルルームで英語/日本語のバイリンガル・エステティシャンを募集しているという求人広告を見つけた。そこでもパートタイムとして週2日働いた。クリニックでは、最新の超音波を使用し、シミやしわを改善する器機やら、ケミカルピーリング、マイクロダーマブレーション(肌の角質をクリスタルの粉を使用して研磨する器械)を用いてトリートメントを行うトレーニングを受けた。もともと私が考えていたスキンケアは、器機の使用を極力最小にし、ハンドテクニックを中心にナチュラルな成分のプロダクトを用いたホリスティカル(自然治癒力を高める処方)な施術で行いたいと思っていた。けれども、医療エステティックを知る事はその違いを知る事にもなり、とても勉強になった。
ACUTE CONDITION(救急に対処が必要な状態)に値する第3段階といわれる化膿したニキビ、広範囲に濃く出来たシミ、また火傷の跡などは、クリニカル的処方を行わずしてめざましい改善を得るのは難しい。時として、代替療法に限界があるのと同様にスキンケアの世界においても、ホリスティカルなアプローチだけでは対処が困難なケースもある。逆に、しわ取りにおいて、急速な効果が期待できるボトックス(ボツリヌス菌注射)やレーザーによる脱毛、シミ取り、そしてケミカルピールによる治療は事故が起こるケースも多く、これらの処方を行うことによって一時的に改善されても、別の副作用を併発する症例もある。
現在の美容業界で、MED SPAやWELLNESS SPAと呼ばれる、通常のエステティックと医療エステティックがコラボレートした形態が注目される様になってきているが、これらは統合的医療(INTEGRETIVE MEDICENE)のコンセプトが美容&ヘルス業界で拡がってきてることと共通している。
“私が自ら体験してきたり、それによって考えてきたことが、こんなところで繋がっているのだ”と、不思議な気がした。それはまるで、いくつもの小さく細い川の支流がある地点で出会い、繋がり、やがて1本の太い流れとなって大河に向かってゆくようだった。
無駄な人生など決して無い。全ての経験に意味があって、本当は大きな流れに乗ることが出来るようになっているのかもしれない。
真の健康を手に入れたいと望む全ての人にHealth Opportunity「ヘルスオポチュニティー健康になる機会」について伝えたい。そんな仕事をいつかやってみたいと、漠然ではあるが、時々そんな風に考えるようになったのもこの頃だった。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター
2 件のコメント
日本では、きっとこの先もずっとエステティシャンの位置づけは、あまりに低いものでしょう・・・
一時、国家資格になる!?という案もでましたが、理美容協会の反対をうけたようです。。。
仕方がないかな・・・日本は資格社会。(と、私は思ってます)
自分の価値観のせいで、時々この仕事をしていることが、とても苦しくなります。
アメリカは訴訟大国と聴きます。きっと、日本のようなホームエステサロンは、すぐに摘発?!
訴えられるんでしょうね^^;
でも、ここは日本!モグリだろうと無資格だろうと、きちんとした知識を持って、お客様に対して一生懸命お手入れさせていただいてます。。。
ただ、やっぱり自分の位置づけをハッキリしたり・・・と考える今日この頃です。
仕事をしていて試行錯誤はつきものです。
方向性がはっきりしていれば、
道を照らす光はきっと見えてくると
信じています。