〈第20話〉 見えてくる何かがあるかもしれない
第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)
見えてくる何かがあるかもしれない
ラスベガスの小さな美容サロンで再び一からエステティシャンの仕事を始め、なんとかレンタル料も滞ることなく支払えるようになり、少しではあるが儲けも出てきた。
しかし、その頃の私は、心の中にフツフツと湧き上がる、言葉に出来ない思いを抱えていた。
いつか自分の闘病経験を活かし、ヘルス& ウエルネス〔健康〕について、もっと深く人々に伝える事が出来る仕事に関わりたいという思いを、 相変わらず抱き続けていたのだが、何から手をつければその夢に到達出来るのかまるで見当も付かず、漠然としていた。“何かもっと他に、私に出来る事はないのか?もう少しでも夢を現実的に考えられるようなきっかけが欲しい。それに、今現在、私のやっているエステティシャンの仕事や過去の闘病体験で得た知識だけで、何がどこまで出来るのだろうか?私は無謀な夢だけを抱く、夢見る夢子さんのまま終わってしまうのかしら。私の周りでこんな事を考えている人間は果たしてどれだけ存在するのだろうか。仮にいたとしても、何処へ行けばその人たちに出会えるのか?今、私は何を知り学んでいけば良いのか?”と模索する日々が続いていた。
丁度その頃、一本の電話が私に掛かってきた。電話の相手は、私が長年ロサンゼルスで従事し同時多発テロで閉鎖した視察専門旅行会社のサンフランシスコ本社を建て直し、現在代表を務めている浅野秀二氏からであった。
浅野氏には、息子を出産した直後に助けられた事がある。
生まれたばかりの乳飲み子を抱え、仕事を続けていくことは不可能だと思った私は退職を考えていた。自宅を購入したばかりで経済的には厳しかったが、幼い我が子を他人に預けるわけにもいかず、仕事を辞めるのは仕方ないと思っていた。
すると浅野氏は、当時まだ新しいビジネス方法であったホームオフィス制度を導入し、自宅に居ながらにしてインターネットを利用し、私が今まで通りの仕事を続けることが出来るよう、社のトップへ働きかけてくれたのである。そして私は試験的に、社のホームオフィス勤務第一号者として働ける事になった。その試みが、現実的にちゃんと適用する事が判った今、浅野氏はあえて事務所を構えず、全ての社員にホームオフィスで働く事を提案している。毎朝、会社へ通うために費やす通勤時間や交通渋滞が無いので、その時間をも仕事に費やせる。我々のような既婚女性は、家事と子供の面倒を見ながら仕事を続ける事が出来る。特にガソリンが急騰している今日ではかなりの出費をセーブする事が出来るのも事実だ。浅野氏は、そういう合理的な職場を築き上げた人なのである。
ある日、私が闘病生活を送っていた事を他者から聞いた浅野氏は、私の様子を確かめるために電話をして来てくれたのである。私は今までの闘病の経過と、美容と健康に興味を持ちエステティシャンの資格を得たことも全て彼に話した。私の話を聞き終えた浅野氏は、突然こう言った。
「ゆうこさん、今の仕事の空いた時間でいいから、あなたが体験し勉強してきたことを活かして、通訳、そしてコーディネーターとして外に出てみなさい。あなたもオペレーションという事務職に就いてこの業界に十年間携わって来たのだから、多少は内容も把握しているでしょう。それに人と会って話すことが好きだし、あなたは外に出ることが合ってると思う。」
「え?それは浅野さんの会社で、米国視察の為に日本から来られるお客様に同行させて頂くという意味ですよね? どこかで落ち会い、その場で通訳するだけならなんとかなるかもしれませんが、コーディネーターともなれば、道中バスの車内で視察を行なう色々なお話をしないといけないのでは?いくらロサンゼルスの事務所で10年以上もの間に視察関連の手配を行ってきたとは言え、人前で話せるだけの専門知識を私は殆ど持っていません。ましてや長時間の間を、バスの車内で何を話したら良いのか見当が付きませんし、自信ないですよ。」
私は戸惑っていた。
「大丈夫!視察関連の情報については暇を見付けて自分で店を見て回ったり、本や雑誌、新聞などに載っている情報を読んで勉強して行けば良い。今は知りたい事をインターネットで検索すれば殆どが手に入る時代です。車内で話すのは、貴方がそうやって病気を克服してきた経験や、美容や健康について関ってきたことで学んだ事や、子育てをしながら働く主婦として米国で生活し、日々の買い物をしたりしながら、あなたが普段感じている事などを話してあげればいいんだよ。日本の人たちはそういう生の声を聞きたいと思ってここへやって来るんだ。やってみなさい!そうして色んな人の前で話をしていけば、見えてくる何かがあるかもしれないよ。」
この最後の一言に強く引かれた。
“見えてくる何かがあるかもしれない。”
見えてくる“何か”って何だろう?それが見えることによって、私の心の中に湧き上がる得体の知れない感情の答えを見付けることが出来るのかな?それなら好都合だ。ちょっと大変そうだけど、色んなところへ行って人と話すのは嫌いじゃない。新しい出会いだってあるかもしれない。そうだ、グダグダ頭の中で考えてばっかりいたってしょうがない。うん、やってみよう!
心の中の不安よりも、新しい扉を開く事へのワクワクとした感情の方が遙かに勝っていた。そうして浅野氏に”OK”の返事を出すまで、さほどの時間はかからなかった。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター
2 件のコメント
見えてくる何か。
頭の中っでグルグルと考えてばかりいてもだめですね。
行動に起こしてみることって、何かの とっかかりになる。
でも、初めの一歩は、やはり「自分はどうしたいのか?」
をジックリと自身と向き合って考える。
考えること。
そして想いを強くもてば、自然と扉は開く・・・・!?
そうですね。
誰かが肩を押してくれたとしても、自分だけで決めたとしても
最終的に扉をひらくのは、やはり自分の意思なのだと思います。
でも扉をひらくには一歩踏み出さないと、重くてひらかない場合も多いでしょう
そして”自分はどうしたいのか?”という答えは、
本当は扉をひらくと決める前から、案外出ているのかもしれません。
人生のタイミングに遅いも、早いも私は無いのだと考えます
タイミングはその時、その瞬間が、最良のタイミングなのです。
言い換えれば、チャンスは生きている限り続くのです。