〈第21話〉夢への架け橋
第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.(米国エステティシャン日記)
夢への架け橋
浅野秀二氏に肩を押され、私はエステティシャンの仕事をしながら通訳兼流通コーディネーターとして二足の草鞋を履く人生を、自ら選んで歩んで行くことになった。
幸い、エステティックを行うサロンのスペースはレント契約をしており、私の仕事は全て予約制であった。浅野氏から入る仕事は通常1~2ヶ月以上の猶予を貰えるため、フェイシャルに来られるお客様の予定を上手く調整すれば良いだけであった。以前にその店で働いていた米国人エステシャンは、引越しをする最後の1年ほど、お客様の予約を彼女のスケジュールに合わせながらニューヨークとラスベガスを往復して仕事をこなしていた。私にも同じことが出来るはずであると考えた。そう決めてからは浅野氏に言われたように、本や、インターネット、新聞、雑誌などの資料を見て流通の情報を出来る限り頭に叩き込み、参考書を買い集めて通訳の勉強もした。
浅野氏から、山のような専門誌や新聞の切り抜きを訳すようにと、E-mailにPDFが添付され、送られてきた。最初は、小売店の四半期や年間売り上げの数やら、各既存店の面積と坪当たりに比例する利益や、専門家らの意見などを訳していると、正直言って退屈で、つい居眠りをしては、何度か同じ箇所を訳しているのに気が付く始末であった。それでも、何度か資料を訳すうちに色々な情報が頭に残っていくのを感じていた。
研修の為に、私は浅野氏のツアーに幾度か同行した。視察する場所についての専門的なことばかりを話すのかと思っていたら、氏の話は哲学的な事から、若き日の恋愛体験やアメリカ人宅のホームステイ体験談、日々の暮らしでの事等、ありとあらゆる話が飛び出すのだが、それが最終的に米国視察の話しと絡み合い、参加している人々に気づきや、時として感動を与えていた。それから様々な店舗や企業を訪問し、そこで働く人々や責任者から色々な話を聞く事は新鮮であり、又、日本から参加されている企業の人達と時間を共にし、交流する事で、自分の視野が限りなく広がっていく気がした。けれども最初は、皆が注目する前で話す事が怖く、不安だった。集めた資料を手に持ち、バスの先頭で一生懸命話していたが、後ろを振り返ると、殆どの人が眠っていた事もあった。
私が生活していた街ラスベガスは、カジノやエンターティメントだけではなく、様々な業種展示会の開催が多い場所である。初めの頃は、その会場にて、日本から来られたお客様が各ブースを回る際に同行して通訳を行う仕事が多かった。そして、コーディネーターの仕事を月に1度か2ヶ月に1度と、日程が短い少人数のグループから始めた。そうやってこの仕事を続けていくうちに、私は次の扉を開くきっかけとなる人物と出会うことになる。
ある日、浅野氏からいつものようにE-mailで仕事の依頼を受けた。“ラスベガスのコンベンションセンターで、SUPPLY SIDEというサプリメント関連のショーが開催されます。米国の健康関連事情を視察する日本のグループがそのショーに参加しますので同行出来ますか?”との打診であった。
健康関連、サプリメントといえば、私が闘病中に、それらに関する書物を沢山読むだけでなく、実際に“癌に効果がある”と言われるサプリメントを何種類も試した。その際には、成分やその効能について穴が開くほど読んで自分なりに調べた経験がある。それから、美容学校でもサプリメントについて学習する機会が度々あった。
“得意分野の仕事が来た!”と思い、二度返事で仕事を請けた。
研修視察のオーガナイザーである江渕敦氏は、ヘルス&ウエルネスの業界誌の発行や展示会を主催するCMPジャパン社で、健康産業新聞とスパやサロン情報誌“ダイエット&ビューティ”の記者であり、編集長であった。
ラスベガスのカジノリゾートホテル街の中心に位置するパリスホテル内には、フランス料理を取り入れたバイキングレストランがある。研修視察行程のサプリメント工場や展示会の視察を無事に終えて皆が帰国する最終日、江渕氏とCMP社のスタッフの女性と供にそのレストランでの夕食に私もご一緒させて頂いた。
その際、江渕氏から、今まで氏が出会われた通訳の中で、私のサプリメント関連に対する訳し方が、非常に専門的であった事に驚いたというお言葉を頂いた。
「五十嵐さん。どうしてあんなに細かい専門用語までご存知なのですか?何か特別な勉強をされたのですか?もしくは製薬会社で以前働かれていたとか?」
「いいえ、実は・・・」
と闘病生活での体験や美容関連の職業に就いた事でヘルス&ウエルネスには人一倍興味があることを話した。
氏は真剣に私の話を聞かれ、
「非常に興味深いですねえ。そうですか。今見る限り五十嵐さんはとても健康そうで、そんな大病をされたとは信じられませんね。それに美容のお仕事もされているのですか・・・。いやあ、貴方のお話はとても面白い。そうだ!五十嵐さん。我社のビューティ&ダイエット誌に月間でコラムを書く気はありませんか?米国の美容や健康事情等を紹介して下さい。日本の読者はそういう情報にとても興味があるんですよ。やってみませんか?」
「エッ、私が記事を書き、それが御社の新聞に掲載される、という意味ですか?」
「ハイ、そうです!原稿料もたくさんとは言えませんが、きちんとお支払いしますよ。」
「はあ。しかし、文章なんて、今まであまり書いたこともないし。ましてや公に発表する記事を書くなんて私に出来るでしょうか?却ってご迷惑を掛けてしまわないかしら。」
「五十嵐さんがその気になられたら一度、私の所まで試験的な文章をE-mailで送ってください。待っていますね。」
と言って、氏は自分の名刺を取り出しメールアドレスをペンで囲み私に手渡した。
自宅に戻り、パソコンが置かれてあるデスクの椅子に腰掛け、今しがた言われたことを真剣に考えてみた。
“私が記事を書く?米国の美容・健康事情について。手紙さえ余り書いたことの無い、筆不精の私に連載記事なんて書けるのかなあ。やっぱり、お断りするべきだろうか?無謀なことを引き受けてご迷惑をお掛けする前に… でも、せっかく江渕さんが私に与えようとしているチャンスをこのまま断るのは勿体無い。あー、どうしよう?”
無意識にデスクの電話に手を伸ばし、浅野氏へ電話を掛けていた。そして先ほどの江渕氏の提案について、私が非常に迷っていることを伝えた。
「ゆうこさん、凄いチャンスじゃない!断るなんて勿体無い、絶対やりなさいよ。アメリカの美容や健康事情について、そして貴方が毎日体験する事柄について、なんでもいいから感じたことをそのまま文章にすればいいんですよ。そして、頑張って書いて、なるべく連載を長く続けることが出来るように努力してみなさい。何でも書き溜めていけばいつか本に出来るよ。そうすれば、多くの人が貴方のことを知ることになる。それが大きな夢に繋がるきっかけの一つになることもあるんだよ!」
彼の、その情熱の籠った言葉に、思わずこう返事した。
「わ、わかりました。書いてみます。」
私はコンピューターに向かい、マイクロソフトオフィスのワードをクリックし、白紙の画面を広げた。
“これが一番最初の私の日記だ。何から書こうか?”
まず最初に「米国エステティシャン日記」というタイトルを付けてみたが、その後に出てくる言葉が思い浮かばなかった。
そんな事を1週間も続けたある日の事。ふいに自分の手を見つめて突然思った。“そうだ。私はこの手を使って、人の肌に直に触れる仕事をしている。そして時に、新しく出会った人と握手を交わすのもこの手なのだ。私は先ず自分のこの手について話すことから始めてみよう。”
私は、自宅に戻るなり急いでコンピューターの画面を開き、最初の日記を書き始めた。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター