〈第22話〉 米国エステティシャン日記初回原稿
第8章 ―――― Esthetician Diary from U.S.A.
米国エステティシャン日記初回原稿
ヘルス&ウエルネス関連の展示会で、通訳の仕事を通して知り合った健康産業新聞社の編集長である江渕敦氏の勧めと、浅野氏の後押しもあって書き始めることになった米国エステティシャン日記。その記念すべき初回の記事は、2005年9月号から掲載が始まった。
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この手を通して出会う人々―米国エステティシャン日記
手
手で触れる
手を当てる
幼い頃、転んだりぶつけたりした時
急な病気でお腹や頭が痛い時
熱が出た時
泣いて助けを求めると
親や祖父母が駆け寄って来て
その個所に彼らの手を当てがい
痛みを和らげてくれたという経験はありませんか?
それだけではありません。悲しい時や辛い時に、傍にいる誰かがその手を握りしめてくれた事で、倒れそうになる自分を支えることが出来たという方は多くいらっしゃると思います。
“手で触れる”ただそれだけの事で、私たちは身体だけでなく心までも癒すことが可能なのです。そして私は、この自分の手で人に触れる、【エステティシャン】という職業についています。
米国の古い諺に、“最後にラクダが倒れたのは一握りの藁のせいだった”というものがあります。The last straw (that breaks the camel’s back) 「働き者のラクダが、いつものように自分が背負える限りの荷を背負い、運んでいたある日の事です。幼子がその背に一握りの藁を乗せました。その僅かな重みでラクダはたちまち膝をつき、とうとう倒れてしまった。」というお話です。破壊の引き金になる小事、という喩え話しですね。
これは最近、私が経験した本当の話です。ある日、仕事の合間に銀行で並んでいた時に、美しい胡蝶蘭の花首飾りを身に着けたご婦人が目に入りました。蘭が好きな私は「綺麗ですね」と声を掛けたところ、彼女は嬉しそうに微笑み、昨日の70歳のお誕生日に友人から贈られたものだと話してくれました。仕事着の私は、婦人から職業を聞かれたので、求められるがまま自分の名刺を差し出しました。
その翌日、最後のお客様が終わり、帰宅しようと片づけをしていたところ、昨日のご婦人から、「今からフェイシャルをして貰えませんか?」という問い合わせの電話がありました。
道すがら、会う方に名刺を差し上げる事はたまにありますが、早速翌日に来て頂けるというのは珍しいことでしたので、私はすっかり嬉しくなり疲れも忘れて、
「もちろん大丈夫です。お待ちしております。」
と答えました。
それから数分足らずで、お洒落なカラーストーンのネックレスを身に着けた彼女が来店されました。後で聞くと、そのご婦人は、このような装飾品を扱う店をラスベガスで二店舗経営されており、若い頃はブロードウエイの舞台にも立たれたことのある女優さんだったそうです。
施術が始まると、そのお客様は5分も経たないうちに、ストーンと眠りに落ちられました。マッサージの後、最後のマスクを施し、化粧水で肌を整える、私の微かに弾む指先の感覚に目を覚まされ、
「貴方のお陰で久しぶりにぐっすり眠れたわ。有難う。」
と、おっしゃいました。そして、
「最近ビジネスの方でトラブルが生じ、お店を手放さざるを得ないかもしれないという不安感から、眠れない日々が続いていた。」
と話され、そっと涙ぐまれました。私は、コットンで静かに彼女の涙を拭った時、その華奢な肩に背負った重みを、私なりに感じ取ることが出来た気がしました。誰にでも限界はあるのです。そこにほんの一握りの重みが加われば、バランスを失って、いっきに倒れこんでしまう瞬間があることを悟りました。
翌日、偶然にもある方から The last strawの話を初めて聞いた時、そのご婦人のまぶたから流れ落ちた、一筋の涙を思い出しました。その時、私の中にある思いが浮かんだのです。“私は、自分のこの手を通し、人々の肌に触れることで、もしかしたら、少しでもその方々の重みを軽くしてあげることが出来るかもしれない。大きなことは出来ないけれど、せめてその背に降りかからんとしている、一握りの藁のような重みだけでも、この手で振り払ってあげられれば”と、思いました。
私はその気持を忘れずに、日々、仕事を続けて行きたいと思います。
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翌月、CMPジャパンから、私の記事と写真が掲載された“ダイエット&ビューティ” の9月号が届けられた。
“あ、載っている。嘘みたい!”と思い、何故だが一人で恥ずかしくなった。私の稚拙な文章には、編集の意図によって一切手を加えられていなかった。五十嵐ゆう子という名の、米国で働く一人の日本人エステティシャンが、日ごろ見て感じた事を、言葉のまま、息遣いの音までが紙面から伝わるようにとの配慮だった。
そして私の日記は、ダイエット&ビューティの紙面にて2010年の現在も連載を続けている。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター
2 件のコメント
この最初の記事 読んでいてなんだかすごく ゆう子さんのお気持ちが伝わり涙ぐみました。すばらしいです!!!
ありがとう御座います