〈第32話〉 グラウンド・ゼロ
第11章 ―――― Thank You (命をありがとう)
グラウンド・ゼロ
少し話は遡るが、2007年の秋にニューヨークへ小旅行に出かけた。景気の先行きが不透明になり、サロンでの仕事が減り始めた私が多少の時間を持て余していた時、日本に住んでいる長年の友人からニューヨークへ数週間滞在するので一緒に来ないかと誘われた。私は現地で数日間だけ同行することに決めた。ミッドタウンのど真ん中で1泊100ドルの日本人が経営している宿を、3人でシェアーして節約し、その代わりに連日ブロードウエイで観劇するという計画だった。
ロサンゼルスから真夜中に飛んで明け方に到着する通称“RED EYE”という直行の夜行便が、200ドル台と言う信じられないほどの破格値(相場は500ドル位)で購入できた。安かろう悪かろうで、多少眠れないのは仕方ないと予測していたが、前席にいた2人連れが一晩中話し続けていたのが気になって、結局一睡も出来なかった。私は文字通り寝不足の“赤い目”で、予定よりも1時間早く夜明け前のラガーディア空港に降り立った。
地下鉄(SUBWAY)に乗り継ぐ為に空港から乗ったバスの窓にもたれかかり、刻々と白み始める景色を見ながら、最初にニューヨークへ行ったのは15年前だったかしらと指を折りながら数えていた。あの頃は、同時多発テロで崩れ去ったツインタワーも存在した。建物の中にこそ入らなかったが、“自由の女神”を見学するために乗ったフェリーの船上から「これが憧れのマンハッタンだ。」と、魅せられるようにその姿を眺めていた事を覚えている。
滞在3日目、他の2名(1人はプロのダンサー、もう1人も以前ニューヨークでダンス留学をしていた)がダンスレッスンに参加している間に、宿泊先から南へ下る地下鉄に乗り、交代で入手すると決めたミュージカルの半額券を1人で買い出かけた。朝一番に半額券を売り出す事で有名なシーポートビジッジにあるチケッツで券を入手した後に、今回の旅で絶対に訪れたかった“グラウンド・ゼロ(爆心地)”へと徒歩で向かった。
そこには白い大きなテントが張られ、内部では数年後に完成予定の新しい世界貿易センター1WTCの建設が行われていた。向かいのワールドコマースセンターへ入ると、ガラス張りの窓から倒壊跡地のほぼ全体が見渡せた。土台がやっと出来上がったばかりの現場では人やクレーンが忙しく動き回っていて事件当時の面影は殆ど無かった。しかし、以前は 当たり前にあったものが、突然無くなってしまう事は悲しい事だと感じた。
当時は世界中がショックを受けたが、アメリカで生活する私達にとっては更に強い衝撃だった。私もあの同時多発テロで職を失い、病気になって死と直面し、人生が180度転換したのだ。当時の私は本当に自分の事しか見えていなかった。何故、こんな辛い思いをしなければいけないのかと、漆黒の空を見上げては自分の置かれていた状況を嘆く夜もあった。しかし、ここで犠牲になった多くの命や残された家族の事を思うと、私に起きた出来事など比べものにはならないくらい小さいのだ。そう考えると胸がいっぱいになった。と同時に、命の灯火が消える最後の一秒まで病と闘った私の知る人々の顔が浮かんだ。
生きたかったと思う、生きていて欲しかったと思う。もっと、もっと見たい夢や、やりたい事もたくさんあって、愛する人が握りしめる手のぬくもりをいつまでも感じていたいと願っていたのに、どんなに辛く切ない思いでその手を離さなければならなかったのだろうか・・・。
私は口元の前で両手を合わせて小さな祈りを捧げ、この瞬間に自分が生かされていることに感謝し、そして自らにこう問いかけた。
「私は今、何を成すべきなのだろう?」と。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウエルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター