〈第34話〉 再び沼津駅へ
第12章 ―――― Meet Again (再会)
再び沼津駅へ
ニューヨークから戻った私は、以前から少しずつメモしていた走り書きや、日記のようなものを集めて整理した。その中には、闘病中に滞在したホリスティックセンターOptimum Health Instituteで出会ったヨハンナさんから、私へと託された彼女の闘病記録もあった。まず私は、その原稿を翻訳してみることから始める事を思い立ち、幾度か読み返した。
文字がぎっしりと綴られた4枚の用紙は薄い黄色に変色し、年月の流れを感じさせ、あの当時をこうして振り返ることの出来る喜びを私に与えてくれた。そして、まだ何処に公表する宛もないままに一章ずつ体験文を重ね、周りの人に読んでもらって感想や意見を聞いては、また書き直すという作業を続けた。
そして再び夏が着て、私は東京ビッグサイトで開催される“ダイエット&ビューティフェア”で講演をするために日本へ行く事になった。
私が本格的に体験記を綴る作業にとりかかる前に、もう一度会っておきたい人達が居た。それは鈴木美恵さんのご主人である鈴木タツヤさんとお嬢様のハルカちゃんだった。しかし、私が知っている美恵さんの自宅と携帯電話の番号に掛けてみると、この電話番号は現在使用されていないと伝える録音メッセージが流れた。
“まさか、解約してしまったのだろうか?”
以前、鈴木タツヤさんにお会いした時に携帯電話の番号を聞き忘れた事を悔やんだ。どうしたものかと考えていると、主人が、日本のタウンページをコンピューターで検索してみてはどうかと提案してくれた。
手元にある美恵さんの住所を入力すると、画面には違う番地であったがいくつかの商店名と電話番号が現れた。確か魚関係の商売を営なまれていた事を思い出し、思い切って苗字の一字が含まれている店へ電話を掛けてみた。
「ハイ、○○○○商店です。」
「あのう誠に恐れ入りますが、この番号はスズキさんのお宅ではないでしょうか?」
「はあ、そうです。鈴木ですが…どちら様ですか?」
「急に失礼致します。私は米国に在住する五十嵐と申しまして、鈴木美恵さんがご健在でおられた頃、2年間Eメールを交わし続けておりました。私も癌で、美恵さんとはある先生の診療所でお逢いして以来ずっと一緒に励まし合って来ました。私にも息子が一人おりまして、美恵さんのお嬢様と同じ年頃だったと思います。今回お電話差し上げましたのは、このたび又日本へ参りますので、ぜひもう一度美恵さんの墓前にお参りしたいと思いまして。」
「ああ、貴方のことは聞いていました。以前も一度息子に会われていますね?」
「鈴木タツヤさんのお母様なのですね?はい、そうです。2年前にお墓に連れて行って頂きました。」
「息子は今外出しておりますが、五十嵐さんからお電話がありました事を必ず伝えておきます。日程が決まれば教えてください。迎えに行かせますので。」
「ありがとうございます。でも良かったです。私の持っていた番号では繋がらなくてどうしたものかと思い調べたら、このお店の名前と番号が出てきたので、まさかと思い電話してみました。本当に良かったです。2年以上の美恵さんとのEメールのやり取りを全て保存しています。もしよければ印刷してお持ちしたいのですが…」
「是非お願いします。最後のEメールはいつだったのですか?」
「亡くなられる3ヶ月前の3月の7日でした。最後まで力強い文章に私も励まされて・・・、まさかそんなに悪いとは思ってもみませんでした。」
「あの子は気丈な娘でしたから、最後の最後まで。」
「日本で借りる携帯の番号が解り次第、すぐ連絡致します。」
私は最後にそう言って電話を切った。
その後鈴木タツヤさんと連絡が付き、再び沼津駅にてハルカちゃんも一緒に会う事が出来た。そして、美恵さんのお墓の前で手を合わせて私は囁いた。
「美恵さん、またあなたに逢いに来たよ。」
「ね、なんとか来れたでしょ。」
明るく張りのある、美恵さんの声を聞いた気がした。やっぱり彼女が導いてくれたんだと思った。私は美恵さんの墓石に向かってウインクをすると、真っ直ぐに立ち上る線香がくるくると円を描いた。それはまるで、美恵さんが微笑んでいるかのようだった。
五十嵐ゆう子
JAC ENTERPRISES, INC.
ヘルス&ウェルネス、食品流通ビジネス専門通訳コーディネーター