PEACE
この夏、13歳の息子と二人で日本へ旅行してきた。
息子は歴史に興味があり、特に第一次大戦からの近代史が一番好きだと言う。
彼が産まれ住む米国と、彼のルーツである日本が、第2次世界大戦で敵国同士であったこと。
日本軍の真珠湾攻撃に始まり、広島・長崎に原子爆弾が落とされて終結に至った経緯について、息子は米国の授業で学んだ。しかし原子爆弾によって生まれた悲劇については、教科書を読んでも、先生に聞いても詳しくは教えてもらわなかったと言い、昨年日本に帰国する前に“広島・長崎の原爆に関する博物館に行ってみたい”と希望してきた。
両方とも一度に行くことは予定上難しかったので、昨年は広島、そして今年は長崎を訪れた。
広島に行った時にも非常に印象に残ったのが、記念館には多くの水が使用されている。
これは被爆した人々が、高度の熱によって体内の水分のほとんどを一瞬にして奪われ、
命が消える瞬間まで“水が欲しい!”と切望したことが理由になっている。
救助にあたった人々や、家族らは
“水を与えたら直ぐに死んでしまう。”
ということを聞かされていたので、心を引き裂かれるような思いで、水を与えることを拒否する人もいれば、
“どうせ苦しんで死んでしまうのであれば、思いっきり水を飲ませてあげたい”
と、水を欲しがる周りの人々に与え、最後を看取った人もいる。
私が慕う恩師の先生のお父様は、原爆投下翌日に、まだ放射能が残る広島で救助にあたられている時に被爆された。
その娘である先生は、生まれた時から白血球の数が以上に少なく、不安や体の不調と戦う日々を送られている。
被爆の事実を忘れてはならないと、多くの人々がその体験の痛みを絵に描かれている。
私はその中の一枚を見て、涙が溢れそうになる。
原爆投下直後に被爆地に降った放射能を含んだ毒のような“黒い雨”
その雨を嬉しそうに口をあけて飲み続ける人々の顔、顔、顔。
今回、特に印象に残ったのは長崎の原爆資料館に展示されていた出口付近にかけられた一枚の写真であった。
そこには11歳位のランニングシャツと短パンをはいた少年が、背中に赤ちゃんを背負い直立不動で佇んでいる写真があった。(資料館を訪れ、この写真が記憶にある方は多いと思う)
自分の息子とさほどかわらない年齢であるなと思い、興味をもってその写真に近づいた。
写真の下に解説が書かれてあった。(記憶なので多少文章には違いがあるかもしれない)
少年はその当時であれば、どこでも見かける子供であった。
幼い兄弟の面倒をみながら、外で遊んでいる少年のような子供達はたくさんいた。
背中におぶわれている女の子は、ぐっすりと眠っているのであろうか頭をおおきく傾けている。
しかし、その少年が佇んでいる場所は、遺体焼場であった。
両手を揃えてきちんとたっている少年に、係りの人が近づき背中から赤ん坊を下ろした。
その幼子は死んでいた。
火の中に小さな体が投げ入れられ、一瞬ボウッともえあがり“ジュ”という肉のこげる音がした。
少年は制止しながら、その光景をずっと見つめていた。
よく見ると少年の噛み締めた下唇に血が滲んでいたが、あまりに強く噛み締めているので、血は流れ落ちていかない。
やがて、少年はくるりときびすを返し、そのまま立ち去っていった。
屋外に出て平和記念像へと歩く道すがら、息子からもその写真を見たことを聞いた。
そして、息子は呟いた。
“原爆は酷い。こんな事をけして2度と繰り返しては駄目。”
7月初旬の長崎の、暑く照りつけるような太陽の下で、私は彼のこの言葉を聞き、
“ああ、つれてきて良かったな”
と心の底から思った。
息子が、日系アメリカ人として成長していく将来に、広島・長崎に旅したことが良い意味で影響を与えてくれますようにと願う。
以下は、私の古くからの知り合いで、神戸在住の文豪家である岡健二氏が、今年初めて私の息子とあった直後に、彼に捧げてくれた詩である。
13歳
君は13歳の少年だった。
笑顔が素敵だ。
声の響きもいいな。
ゆうきっていう、名前もいいじゃないか。
少し猫背気味なのが気になるけれど、
人の視線が気になるころに、
きっとこれじゃいけないって思うだろう。
君は、未来なんて当然あるように思っている。
そうだ。
それでいいんだ。
どうかその瞳を曇らせるな。
君は立派なアメリカ人だ。
いつかは現実について考える。
アメリカという現実。
世界という現実。
戦争という現実。
君が日系だという現実。
そんな現実が君に押し寄せるとき、
どうか思い出してくれ。
今のこの瞳の輝きを。
ぼくらの世代のように、
ハングリーである必要なんかない。
君は豊かさの中で育っていい。
両親を大切にしてくれ。
人間を大切にしてくれ。
それだけだ。
また会おう。
次に会うときは大きくなっているだろうな。
そしてぼくは年老いているだろう。
しかしぼくは永遠の青年だ。
胸を張ってそれだけは自慢する。
君は大きく未来を拓け。
ぼくは君の未来のために、
君たちという未来そのもののために、
死ぬまで戦い続けるから。
五十嵐ゆう子