第1弾/第1巻 岩崎高治の巻[第1回 39歳で社長になった」
結城
毎月一回、みなさんにお届けするCDオーディオセミナー。
その記念すべき第一回のゲストは、スーパーマーケット産業の若きリーダー
ライフコーポレーション、岩崎高治社長をお迎えいたしました。
素晴らしいお話が、元気なお話が聞けると私も楽しみにしております。
ではライフコーポレーションの岩崎社長から簡単な略歴と自己紹介をお願いします。
岩崎社長
ライフコーポレーションの岩崎です。
私は1989年に三菱商事に入社して、食品部門に配属されました。
そこで、オレンジ果汁やリンゴ果汁といった原料果汁の商品を担当していました。
海外から輸入して、国内の食品メーカーに販売する仕事。
それを5年ほどやりました。
その後、1994年にイギリスにありますプリンセスという食品メーカーに出向になり、
5年間仕事をしました。
その5年間何をやっていたか。
当時、イギリスの小売りマーケットは非常に寡占化が進んでいました。
そういう中で、寡占化し、大きくなっていく小売りに対抗するために、
食品メーカーも大きくなろう、寡占化をしていこう、という動きがありました。
そこでM&A、企業買収などを現地の人間と一緒になってやっていました。
プリンセスにいる間に、今のライフの清水信次会長がイギリスにいらっしゃいまして、
現地の小売業の視察をご案内したことがございました。
それが機会で、実はライフに来ることになりまして、
1999年の5月に、ライフコーポレーションに入社しました。
★30代の若さで4000億企業の社長になる
結城
その後、もうどんどん、出世というのは変ですけれども
ポジションをあげられて、責任も重くなって、
で、社長になった。
社長になられたのは三十代だったんですよね?
岩崎社長
39歳のときですね。
結城
業界でも若き社長として非常に注目をされた。
でも回りは、意外に、なんというんですかね、
「お手並み拝見」というようなそんな雰囲気があった。
その時代はどうだったんでしょうか、ライフという会社の状態は?
岩崎社長
社長になったときは39才なんですが、ライフに来たのは33の時なんです。
ライフに来て6年間、いろんな仕事をやらさせてもらった後でしたから、
まぁ、いきなり外から来て社長になったわけではなかった。
そう言う意味では、ある程度の手応えというものはありました。
もちろん重責ですから、「大変だ、不安だ」という気持ちもなかったわけではないです。
でも、ある程度社員との間で人間関係、信頼関係もあったんでですね、
「やってやろう」という思いの方が強かったですね。
結城
もうその時点で、ライフは「日本の食品スーパーマーケットでNo.1の売上高を誇る」
そういう規模にはなっていましたよね?
岩崎社長
そうですね。4000億には届きませんけれども
4000億弱の売り上げ規模にはあった。
結城
すなわち規模は大きい。
けれども中身をどんどん改革しなければならない。
そういう時期にあったということでしょうか?
岩崎社長
そうですね。
ライフに来たときが1999年。
この当時でちょうど190店舗ぐらいあったと思いますが、経常利益ではまだ20億前後。
これは当時の清水社長の方針で、経常利益は20億であればいいということでした。
その後、いろいろな外的な負担などが増える中で、
このままでは会社として将来がないということになった。
売上高対比で2%まで経常利益をあげようということに取り組み始めた。
ちょうどそんなタイミングにライフに入りました。
いろいろと改革を進める中で、なんとか右肩上がりになり始めたというのが、
ちょうど社長になった2年半前ということになるかと思います。
結城
清水さんはずっと、春闘なども1発満額回答する有名な社長兼会長の、
辣腕のリーダーだった訳ですけれども、
常々「利益は20億でよろしい」、こういう風におっしゃっていた。
けれどもやっぱり上場していますし、2%までは必要であると。
岩崎さんはさらにその先を目指すということになるわけですね?
岩崎社長
そうですね。
結城
もう何十回、何百回と聞かれていると思いますが、
その改革のお話を第一回のCDオーディオセミナーの目玉にしようと考えております(笑)。
改革のプロセスを、みなさんにわかりやすく、かいつまんでご紹介ください。
続きます