第2弾/大久保恒夫の巻[第1回 小売業が大好き]
「結城義晴の知識商人対談」の第2弾は、
株式会社成城石井の大久保恒夫社長との知識商人対談のエッセンスをご紹介します。
場所は、商人舎から徒歩2分の成城石井本社会議室。
論理的な大久保社長と結城義晴の話題は次から次へと尽きず、
予定の時間は越え2時間近くにも及びました。
二人の表情もあわせてご紹介します。 <事務局>
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結城
毎月お届けしますCDオーディオセミナー第7回目、今日のゲストは、
成城石井の社長の大久保恒夫さんです。
宜しくお願い致します。
大久保さんの成城石井の本社は、神奈川県横浜市西区北幸2丁目の9、
商人舎が1丁目の15ですから、隣近所というか隣組みたいなものです。
その本社に訪れました。
今日は、もう長いおつきあいの大久保さんから、
とっておきのいいお話を聞こうと思っています。
最初に大久保さんから、簡単な自己紹介をお願いします。
大久保社長
成城石井の大久保です。宜しくお願いいたします。
私は、今までいろいろなことをやってきました。
まず最初に、10年間イトーヨーカ堂にいまして、
主に、イトーヨーカ堂グループ全体の経営戦略を担当する部署に8年間在籍し、
伊藤雅俊会長、鈴木敏文社長の直属のスタッフをやっていました。
これがたいへん、勉強になっていて、私の今の基盤になっています。
その後、株式会社リテイルサイエンスという会社を起こしました。
今も私が社長をやっているんですけれども、
ここで、小売業のコンサルティングをずいぶん、たくさんやらせていただきました。
成功事例として、結構有名になったのが、
ユニクロのコンサルティングと無印のコンサルティングです。
その後、投資ファンドみたいのが結構出てきて、
業績が悪化した企業を企業再生するということが、
盛んに行われるようになりました。
そうしたファンドと一緒に、
九州のドラッグイレブンというドラッグストアの
企業再生を、社長としてやらせていただきました。
そして、今の成城石井。
こちらもファンドの方と一緒になりながら、
成城石井の場合は経営危機という感じではないんですけれども、
さらに業績をアップさせるということをめざして、
今、社長としてがんばっています。
★小売業一筋、小売業大好き
結城
というと学校を出られて、イトーヨーカ堂に入られて、
もう小売り一筋と言うことになるんでしょうか?
大久保社長
そうですね。私、小売り大好きなんで(笑)。
小売りはとても面白いと思いますね。
結城
最初にイトーヨーカ堂に入る動機というか、
きっかけは、なんだったのでしょうか。
大久保社長
私は学生時代あまり勉強をしてなかったもので、
社会に入ってから勉強しようという動機からだったですね。
結城
それは僕も全く同じです(笑)。
大久保社長
きれい事で失礼に聞こえるかもしれませんが、
ちょっと仕事がきついぐらいの会社がいいかな、
自分の能力が発揮できるような、
貢献できそうな会社がいいかな、というのが先にありました。
小売業の企業は、当時だいぶ伸びてきていて、
これからも成長しそうかなと思いましたし、
一方で、まだまだ人材が十分じゃないような状況ではないだろうかとも考えました。
だったら、その中で自分自身が頑張れば、
会社に貢献できるのではないかなと思って、イトーヨーカ堂に入りました。
結城
何年入社だったんですか?
大久保社長
昭和54年ですね。
結城
54年ですか。
僕が商業界に入ったのが52年ですから、
ほぼ同じ頃にこの業界に入ったということですね。
その後、イトーヨーカ堂本社は、麻布台(港区)に移転しましたね。
大久保社長
そうですね、私が行った時は一番町(千代田区)で、
そこで1年くらいやった後、芝公園(港区)ですね。
商業界のすぐお隣さんのところへ。
あそこにずっと通っていました。
結城
そうですか。と言うことは、
大久保さんとそばで、
相当長いこと同じ空気を吸っていたということですね。
大久保社長
そうですね。
★イトーヨーカ堂業革会議の議事録を起こす
結城
商業界時代と今、西区北幸で同じ空気を吸っているということですね。
そのヨーカ堂時代に、「業革」といわれる、
ヨーカ堂の革命的な、まぁ、日本の小売業の歴史に残るような、
そういう活動が展開されていたわけですけれども、
大久保さんはその真っただ中にいらしたと。
大久保社長
そうですね。
業革の開始当時、どうやってやるのかっていうあたりから、
一緒になって考えてましたね。
実際に、事務局をやっていましたので、
そうした会議に出て、それを全部録音し、
私が議事録をつくっていました。
何回も何回もテープを聴いてましたから、
もう、その考え方が頭の中に染み込むほどに、
そういうことをずっとやってました。
結城
その後、コンサルティング会社を行ったり、
ドラッグイレブンや成城石井を改革しようというときに、
やっぱり業革の考え方がベースにあると。
大久保社長
ベースにありますね。これは間違いないですね。
結城
血となり肉となっていると。
大久保社長
ええ。
いつもやっぱり、そこから発想の原点といいますか、
そういう感じだと思いますね。
<続きます>