第4弾 サトーカメラ 佐藤勝人の巻[第1回/パラダイムの転換]
第4弾は、サトーカメラ代表取締役専務の佐藤勝人さんとの対談です。
佐藤勝人さんは、日本販売促進研究所という研究所の代表取締役でもあり、
大活躍の「若手本物商人」(結城義晴)です。
インタビューの結城義晴も、佐藤勝人さんに負けじと帽子をかぶってジーンズ姿。収録は4月27日。
まだ宇都宮の山々は雪をかぶったまま。
フィルムからデジカメへと急激に変化したカメラ業界、市場の変化にどのように対応し、
ローカルチェーンとして地位を築きあげたのか。
そして経営者とコンサルタントの2足の草鞋(わらじ)をはきこなす佐藤勝人の生き方。
お互いを信頼し合う二人が熱く語った2時間。そのエッセンスをお届けします。
★カメラ業界異例の売場面積60坪でスタート
結城:
佐藤さんは、日本販売促進研究所という研究所の代表取締役でもあり、
大活躍の若手本物商人、私はそう思っています。
ちょっと佐藤さんの元気に負けないように力が入っております。
今日は、非常にいい勉強になるし、楽しい時間を皆さんと一緒に過ごしたいと思います。
最初に佐藤勝人さんの簡単な自己紹介をお願いします。
佐藤勝人氏:
どうもこんにちは。
私は、1964年、辰年です。44歳、今年で45歳になります。
サトーカメラという会社を栃木でやってるんですけど、
まあ知らない方が多いと思うんですけどね、
カメラに特化して商売を始めまして、
実家が写真屋さんをやってたんですけど、親父がね。
ちょうど、何年かなあ、1988年ですか、
私がまだ23歳、24歳のときに、
やってたものを私と私の兄貴と、私の嫁の3人で、
まあ何ていうんですか、下心見え見えで(笑)、
一発あててやろうとしてスタートしたのが、サトーカメラなんですね。
20年前ですからロードサイドブームでして、
だいたい坪数も100坪から150坪くらいまでのお店が
出始めたときなんですよね。
その波に乗っかって始めたというんですかね。
ただ、レギュラー店舗そのものは60坪なんです。
カメラ業界で言うならば、
平均で6坪から10坪ぐらいなのが、
昔ながらのカメラ屋さん写真屋さんのスタンダードなスタイル。
それをいきなり6倍大きくしてね、
60坪スタイルを平均サイズとして、
ちょうど20年前にスタートしました。
純粋なカメラ屋さんていうのが、今はなくてですね、
いろんな商品を売っていくという業態論になってきてるわけですよ。
私たちは20年前は、テレビを売ったりパソコンを置いたりもしたんですよ。
いろいろ売れるようにということで。
利便性を追求してやっていったんです。
★ウォルマートにも勝てるじゃないか!
佐藤勝人氏:
ところが坪数が60坪で限られてますからね、
そうするとYKK(ヤマダ電機、コジマ、ケーズデンキ)ですか、
家電量販店にかなわないわけですよ。
そこで私、23歳、24歳の若造は考えたんです。
「どうしたら彼らに勝てるのかな?」と。
永遠に勝てないのかな、無理なのかな?と思って、
何度も何度も視察したんですね、彼らの店をね。
それで、ふっと気がついたのが、
60坪しかない小さな店ですけど、
彼らは何千坪ですけど、カメラコーナーだけを見たら、
「あれ?30坪ぐらいしかないぞ、うちが60坪だから
カメラコーナーだけにしちゃえば、彼らに勝てるんじゃないか!?」
と、ふと、その頃思ったんですね。
それで帰ってきてから、
ラジカセとかパソコンとか一切止めて、
カメラオンリーしたんですね。
もちろんカメラ屋の息子だったってこともあって、
カメラそのものも好きだったし、知ってたんで、
これにしようって特化したんですね。
そこからですね、そこから快進撃がスタートしたんですね。
もう一つだけ言っておきたいのは、
ウォルマートでさえ、カメラコーナーは47坪なんです。
だから、ウォルマートが来ても勝てるぞ!
って話なんですけどね。
結城:
非常にエッセンスのところに入りましたけど、
今はサトーカメラを23歳で始められたわけですが、
今、18店ですか。
佐藤勝人氏:
そうですね。小さなお店も含めてですね。
★50年歴史のあるフィルムが消える!?
結城:
なおかつ、栃木県はもとより「北関東甲信越で12年連続ナンバーワン」と
何かチラシにも謳ってまして、ホームページにも謳ってますけど、
そういう会社になったと。
そういう佐藤さんですが、最初にね、
このカメラ業界は本当に大変な経験を、
この21世紀に入ってからしましたけど。
いわゆるデジカメに変わっちゃうという。
佐藤勝人氏:
そうですよ。
結城:
いわゆるパラダイムの転換などと言いますけど。
佐藤勝人氏:
だって、普通考えられなかったもん。
この業界では、50年続いたんですよ、フィルムというものが。
無くなるなんでいうことは、誰も想像していなかった。
もちろんそれを知っていたのは
メーカーの一部の人たちだけですよ。
技術者レベルの人たちだけですよ。
それ以外は誰も知らなかったんです、本当に。
それが起きたのが、1996年くらいからジワジワと始まって
2000年に入った時には、もうデジカメ。
それでもフィルムは残ると、
あの天下のフジフィルムさんもコダックさんも、
皆、言ってたんです。
フィルムは残るから心配するな、
歴史は50年もあるから、デジタルは追いつかないと。
まあ心配するな、心配するな、とメーカー大号令で
全世界中に発信してたんです。
私が2002年の時ですかね。
ちょうど入れ替わる前、まだフィルムの方が多かったんですけど、
その時に、ちょっと待てよ、と。
これちょっとおかしいぞと。
メーカーが言ってるのは確かに間違いはないけど、
そんな急に変わるわけないからね。
徐々になくなる、まあなくなりはしないか。
★カメラ屋のくせに、お前馬鹿か
佐藤勝人氏:
でも、「ちょっとおかしいんじゃないか、これ。」
「なんでですか。」
自分がデジカメ使ってみて、
どう考えてもデジカメの方が便利だし、
これからメールで飛ばすのも考えて、
パソコン使うのも考えて、
どう考えてもデジカメじゃないか、と。
「ということはフィルムは無くなるよ。
フィルムのある意味がないよ。
芸術性を訴えたとしてもね。もちろんそれは分かるけれども。
一部の愛好家が使うだけであって、世間的にはあり得ない。」
そういうことを、2002年に私が、この業界に言ったんですね。
提唱したんですよ。
その瞬間に、かなり大ひんしゅく買いましたけど。
結城:
そりゃ、大変だ。
佐藤勝人氏:
どういうことかと言うと、
「お前余計なことを言うな」と。
「お前に何が分かる」と。
「この50年の歴史の何が分かる」と言われた。
サトーカメラは、当時、
栃木県内のフィルム市場の80%を売っていたんです。
その80%押さえてる会社が急にですよ、
なくなるからデジタルに変えるんだと言ったら、
もちろん、うちのアソシエイト達(社員)も
「何言ってるんですか?」と言うんですよね。
当時の社長も含めてですね、メーカー、問屋さんも含めて、
「何を言ってるんだ。お前馬鹿か?」と。
お客様にも怒られましたよ。
「カメラ屋のくせして、何をいうんだ」と。
★生き残りを賭けて、一気に舵を切る
佐藤勝人氏:
でも、それは違うと。
間違いなく変わると。
だから5年先を読んだんです。
勉強してたおかげですけどね。
もう間違っていたっていい、
俺はこれで進むんだっていうことで、
まずは一気にうちのアソシエイト、当時150名全員に説明してね。
そうすると店長レベルは皆、言うんですよ。
「現場を知らな過ぎる!」
それでも私は言い続けて、なぜそうかってことを
理詰めで説明しないと、皆、理解してくれないから。
そのために勉強してるわけですから。
理詰めできちっと説明して、だから間違いなくこう変わると。
そうして、2002年からサトーカメラ全社あげて、
舵を変えたんですね。
それがあったから生き残ってるというのがあるんですよね。
この10年で、カメラ業界そのものは、3分の1に縮小しました。
10年前は1兆円産業だったんですけど、今は3000億産業。
それでもって、店数も10年前は1万数千店舗あったんですけど、
今は3000店舗ちょっとしかない。
そんなレベルなんです。
それで問屋もほとんど潰れてしまって、
メーカーさんも撤退してしまってという状況なんですね。
その中でも、サトカメの場合は2002年の段階で
一気に舵を変えたんで、何とか生き残っています。
またそこで新しい市場、マーケットをつくり始めている
そういう段階なんですよね。
続きます
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サトーカメラ(株)
代表取締役専務
佐藤勝人氏