スーパーマーケットの競争力強化の視点 vol.23
第23回 グローバリゼーション-食材のグローバリゼーション
■食材・食品・食料品などの交流
食料の自給率の極端に低い我が国では、世界中から食材を輸入している。
魚などは遠く、大西洋で獲れたものも相当量、我が国の家庭食の食卓で消費されている。2~3年前に、真夏にオーストラリア産のみかんを食したことがあった。美味であった。正月に食べる、日本のみかんとほとんど変わりないのに驚いた。また、ニュージーランド産のカボチャの煮物を食べたこともあった。これまた、日本のカボチャと変わりなかった。
地球の反対側の南米諸国、アフリカからもさまざまな食材が輸入されている。
ブラジルからは多数の日系2世、3世などのブラジル人が日本の工場で就職しているが、これらの就業者の多くが居住している町には、日本語の話せない子供達のための学校があり、母国からブロッコリーを輸入している食料品店も営業している。
日本で育った子供達の中には、母国語が話せなくなったこと、友人が多勢できたことなどを理由に、日本に永住を希望する者が少なくないという。戦後、日本各地に韓国人街ができたように、ブラジル街、インド街、インドネシア街、アラブ街、アフリカ街などがつくられ、それぞれの国・地域の食材・メニューなどが日本人の間にも浸透することが予想される。
以上と同じように、世界各地に相互にそれぞれの伝統的食材に加えて、それぞれのパターンで地域外からの食材・グロサリーが浸透してくる。
これが食材のグローバリゼーションである。
食材のグローバリゼーションは、食生活を豊かにしてくれる。豊かな食生活とは、より高級化、高額化した食事をとることではない。これまでの美食家と呼ばれた人達は、高級料理店で高額メニューを食することを楽しんでいた。これは一部の恵まれた人達だけの豊かさに過ぎない。
現在、我々が求める豊かな食生活とは、もちろんある一定水準以上の品質感を満たすことが条件となるが、いわゆる大衆がより広い選択肢の中から自分の好きな、あるいはその時の自分に合ったメニューを自由に選ぶことができるようになることである。自分自身も楽しみ、家族を楽しませ、お客さんを喜ばせることが、食生活の豊かさなのである。
■豊かな食で思い出す3食のナマコ
ここでささやかな私の食の豊かさの反対体験を一つ。
戦時中のことであった。まだ中学生であった私は、東京に食糧難が迫り出した頃から。
買い出しならぬ、食い出しのため、両親の出身地の青森の庁内舎に夏冬の休みに遊びに行かされた。親戚数軒を泊まり歩いたのである。帰りには米、豆、干した山菜などをリュックサック一杯に土産として積めてもらうことも、母親の計算には入っていたのであろう。
休暇中、一番長く滞在したのは、海辺の農家であった。
天気の良い日にはナマコやホタテを獲りに海に舟を出すこともあった。15~6人の大家族で、大鍋で一杯に汁をつくり、大鍋一杯に煮物を炊き込んで、もてなしてくれた。漁に出た日には、毛ガニ、アイナメ、ソイなどのシーフードが食卓に彩りを添えた。
おいしかった。
「おいしい」と言うと、その家の人たちは「ずっぱ(たくさん)食え」と言って喜んでくれた。
しかし、2~3日経つと、私は違和感を持ちだした。1週間も経つとうんざりした。
毎日同じものを食べさせられたからである。ナマコの獲れるシーズンなど、朝から3食ともナマコが皿一杯に盛りつけられて出された。
その頃、その農村では、肉は牛はもとより、豚肉も全く食べられなかった。野鳥やタヌキは何かの拍子で獲れた時には食べることもあったが、わざわざ狩りに行く人もいなかった。
完全と言ってもよい程の自給自足システムの地域であった。
冬休みに私が持っていったミカンやホウレンソウは大歓迎された。酒屋以外には村に食品店はなく、菓子も所用で町に出た人が買って帰る程度で、子供達は間食にはジャガイモ、餅、漬物などを食べていた。
昨今、「豊かな食」について考える度に、以上の体験を思い出すことが多い。しかし、「豊かな食」とはたくさんあること、おいしいと思うことは必要条件ではあるとは思うが、十分条件には程遠いともう次第である。
続きます