スーパーマーケットの競争力強化の視点 vol.32
第32回グローバリゼーション-過去の実例
この問題を考える糸口になると思える、2つのエピソードを紹介しよう。(少し古すぎて、カビが生えそうな気もするが。私がご紹介するエピソードは10年以上前のものが多く、冷汗ものである。)
■エピソード1 東北地方の新店
ある東北の新店を見学した時のことである。
250坪ほどの食品売場(450坪の店の残りは衣料品売場に割当てていた)を見て回ったが、何とも釈然としないのである。大店法の規制の中で苦労して出店した店なのに、品揃えになんの新味も見受けられなかったのである。そこで、どのように品揃えを決めたかを尋ねた。答えは、「350坪ほどのそのスーパーマーケットの主力店の品揃えから、小さい分だけアイテムをカットした。」ということであった。唖然とした私は、夕食をご馳走になった別席で、品揃えには企業の品揃コンセプト、部門別・カテゴリー別の基本コンセプトが必要であり、品揃え改善にあたっては、改善コンセプトが必要な理由を説明した。また、最終的なアイテムのラインアップに際しては、例えば30アイテムを予定しているカテゴリーでは少なくとも35、なるべくは45アイテムくらいはリストアップし、5~10アイテムを切り落とすと、よい品揃えになると話した。
しかし、次回見学に立ち寄った時にも、品揃えは大して変わっていなかった。
当時はまだ、多くのスーパーマーケットでは、品揃えのコンセプトとしては、売れ筋、並べ筋、見せ筋を組み合わせるということが主流で、我が社のコンセプト、部門別コンセプトなどという発想は、まだなかった。この企業でもバイヤー達は「売上をさらに伸ばすため、売れ筋を一つでも増やす」こと以外はほとんど工夫を行わなかったのであろう。
■エピソード2 東北地方のローカル・チェーン
次のエピソードは、理論的解明がまだ進んでいない課題の対処策にかかわる問題である。
これまた、東北の中都市のローカル・チェーンで経験した話である。私も参加して、品揃えの見直しを行っていた時のことである。菓子部門のエンドで、和菓子のコーナーを設置していた。和菓子の知識を全く持たない私は、グロサリーのバイヤーを中心に各店の担当者達が述べ合う意見を聞いていた。
パートさんの一人が発言した。「○○饅頭は××屋のを置いてください。」ブランド名も屋号も忘れてしまったが、明治の頃から地域で愛用されてきた、5~6軒の古くからの菓子屋で、製造販売されていたが、売上は全体としては低下し続けていた。しかし、なぜか××屋の商品だけは人気が持続していたという。パートさんの発言に対し、全員が賛成した。
私には正直、何のことやら全く分からなかった。数ヵ月後、確かめたことだが、この饅頭は全店で、毎日最低でも5パックは売り続けていたという。パートさんの提案は地域住民の食生活に、少なくともマイナス効果は及ぼさなかったのである。
■理論型と経験主義
最後に、話題を変えて一言。
鳴り物入りで日本に上陸したカルフールは、あえなく撤退した。私は、撤退せざるを得なかった原因の一つに、同社の食品部門のマーチャンダイジングが日本の食生活にマッチし得なかったことがあげられると思っている。
カルフールほどの大企業のことだから、食生活の実態とのマッチングを重視してきたのだろう。しかし、日本の食生活は、前にも述べたように、東西古今のメニューから混在していて理論的には解明できていない。反面、現実のマーチャンダイジングでは、理論的に説明しきれない問題でも決定せざるを得ないことが無数といえるほど多く発生する。例えば、東京のスーパーマーケットでは、5月のマグロの刺身は、本マグロ、メジ、キハダ、バチのうち、いくつの食材を品揃えすべきか、という問題がある。ヨーロッパ育ちのマーチャンダイザーは判断のしようもない問題である。これに反し、日本のスーパーマーケットのバイヤーなら、キハダ一品で充分、あるいは今年はメジでも試してみようか、というような判断が直ちに帰ってくる。当流地域の食生活の中で生活している者と、他域から流入してきた者との違いである。前述のパートさんの発言は、前者のものである。
ご当地育ち人の判断の仕方を経験主義、流入バイヤーの発想を理論型と呼ぶと、理論でもてあます問題は、経験主義で補わねばならない。スーパーマーケットのマーチャンダイジングの具体的な個々の意思決定の大多数は、経験主義に頼らざるを得ない。
カルフールは、この点がうまくいかなかったのではないかと思う。
さて、理論型と経験主義でどちらが大事か?
答えは簡単である。両方とも大事なのである。
ここで私が特に強調したいことは、経験主義的判断はすぐれている人が、理論的アプローチの勉強をし、検証(成果の分析)のレベルを高めると、よりよい成果を収められるようになる。ということである。