スーパーマーケットのマーケティング Vol.12
12. 日本の現代化
■「富国強兵」政策
現代化の発生と進行のパターンは、国、地域、産業、文化、政治、等々によってさまざまである。これらの流れの総合的、体系的解明は歴史学、社会学の研究者にゆだねざるを得ない。拙稿では、我が国の商業の現代化をかいつまんで見ることにする。
我が国の近代化は、ペリーの黒船に驚かされ、徳川幕府が大政奉還した頃に始まる。欧米列強により植民地化されることを防ぐため、明治維新の先人達は必死の努力を行った。「富国強兵」がスローガンであった。
「強兵」はさきの大戦によって消滅したが、「富国」策は戦後も継承されている。「富国」の中核課題は工業の発展による「貿易(輸出)立国」である。戦後、技術革新に成功を収めた我が国の経済は先進国の仲間入りを果たした。
商業の近代化は工業、金融業などに比べ、かなり遅れて始まった。富国には工業最優先の国民的コンセンサスがあったからであろう。商業は、徳川時代では「士農工商」の格付順位の最下位にランクされ、金儲けのみを目的とする人間の営みという意識が明治に変わっても続いた。百貨店を除いて、ほとんどの小売店は生業、家業のまま、小規模の経営を続けていた。
それでも各地に商業学校が設置され、主要都市に高等商業、さらには商科大学まで出現して、商業に対する認識は少しずつ変化していた。また、「職業に貴賎なし」という思想は商業従事者の中から広まっていた。しかし、商店経営論には敗戦まで注目すべきものはなかった。
小売店経営論が本格的に論議されるようになったのは昭和30年代に入り、チェーンストアが登場してからである。
■小売業の近代化
小売業の近代化は潜伏期間が長く、戦後の奇跡と言われた経済復興期に現実の社会現象としての変化を示しだした。潜伏期間が長かっただけに、市場条件が成熟していたので、チェーンストアは爆発的に成長した。
急成長の原動力は、大量仕入れ、大量販売、つまりマスの概念にあり、マスの追求にはロープライス戦略が消費者の要望にマッチしたのである。
マスの概念は製造業で生まれた。つまり、近代化の中核概念の一つであった。そして、我が国の小売業がマス追求を始めた頃、先進国はすでに現代化に移行していた。また我が国の工業も素朴なマス・プロダクションから離脱し始めていた。例えば、アメリカに自動車を輸出するため、アメリカのメーカーがまだ製造していない、そして一部のアメリカ人が欲しいと思っている車種を模索していた。
このように時代背景の中で、チェーンストアのロープライス戦略は消費者に歓迎されたものの、すぐ、「安さだけでは」という新しい要望を表面化させることになった。
以上を要約すると、スーパーマーケットはマスを追求し始め、その“マス”の追求が充分に経っていないうちに、顧客側はロープライス戦略以外のサービスも欲しがるようになった― ということになる。
スーパーマーケットは、小売産業の近代化のリーディング業態の一つであったが、半世紀も過ぎない短期のうちに、現代化に移行していたのである。
続きます