スーパーマーケットのマーケティング Vol.25
25.ことわざから学んだ2つの経験談
■「成らぬは人のなさぬなりけり」
30年も前のことである。当時、中堅どころにあったスーパーマーケットから業務システムづくりの依頼を受けたことがあった。一通りの事前調査を終えて、計画づくりの打ち合わせを進めていた時のことである。
そのシステムにおける店長の役割をいくつかリストアップしているところで、企業側の企画担当責任者が、
「うちではできません。店長がそれほど育っていません。」と言いだした。
「では、店長教育をしましょう。」と言うと、
「そんな暇はありません。」と言い返され、その企画はボツとなった。
数年後、その企業は吸収合併され、今は別企業になっている。
何とも後味の悪い、悔やまれる思い出である。
店長が能力不足では、店内業務システムの設計がどんなに優れたものでも所期の成果は得られない。当然のことである。当然のことを企画担当者は「できない」と表現した。
「できない」、「教育している暇はない」、などのネガティブな態度に腹を立て、私はこの仕事から降りたのであるが、店長の能力不足は業務システム運営のための役割の速成教育なら、2~3回の集合教育ですませることは可能である。日を改めて店長育成プログラムを作成し、時間をかけて総合的に能力開発をはかることが必要であったとしても。
また、速成教育では所期の成果は得られないことも予測される。この点については、目標レベルを初期・中期・最終など段階的に設定してスタートさせることはできたはずである。
このような工夫・努力をすることをことわざでは、「行うは難し」と一口にまとめている。腹を立てて、やめてしまったことは、「成らぬは人のなさぬなりけり」という戒めを忘れた行動として、反省している。
■「下手な考え、休むに似たり」
思い出話をもう一つ。 昭和35~6年の頃の思い出である。
その頃、私は関西系の中堅商社からチェーンストア業界に転職していた。当初、私は商社と小売業の仕事の仕方、従業員の考え方のあまりに大きな違いに困惑した。
私が転入した会社は水戸市に本部を置く、衣料スーパーで、木曜日が休日と決められていた。転入当初は、いわゆる単身赴任で、家族は東京に残してきた。最初の水曜日の夕方、家に帰ろうとして、社長に挨拶すると、不思議そうな顔で「何か家に用事があるのか」と尋ねられた。何もないと答えると、「明日は▲▲▲に行く予定だが、一緒に行かないか」と誘われた。結局、家には帰らなかった。その後も、木曜日に自分自身が休むことはほとんどなかった。
サラリーマン生活に馴らされていた私は、カルチャーショックを受けた。カルチャーショックは毎日のように続いた。そんな中でも、小売業の中で知らないこと、疑問を正すことの勉強は続けた。そして、勉強は面白かった。
ただし、分からないことが多すぎた。例えば、まったく同じセーターを東京の百貨店では3900円で売って、順調消化しているのに、水戸のスーパーで2800円で陳列してもほとんど売れず、商品ロスになったことがあった。
なぜか。社長をはじめ、何人もの人に質問して回った。納得のいく答えはなかった。こんな質問が日が経つに従って増え続けていた頃のことである。
後に学習院の学長をつとめるようになった田島義博氏(当時は少壮気鋭な研究者として注目を浴びだしていた)に会った時に、なぜ分からないことが多いのだろうと尋ねた。その答えは振るっていた。「なぜか、なぜかと聞き回るのはやめた方がよい。人に嫌われるから。それよりも、うまくいったということをどんどんやった方がよい。今、成功している人達は、みんなそうやっている。」
「下手な考え、休むに似たり」ということである。
私は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ということか、と理解し、その後はこだわり過ぎることは慎んだ。しかし、「なぜか」を確かめたがる性癖は今も続いている。
続きます