格闘家の目
相撲撲好きな顧客のご招待で相撲部屋・八角部屋を見学する機会をいただいた。
親方は元横綱、北勝海である。
この部屋に最近、郷里、島根県隠岐の島出身の関取(十両)
隠岐の海が35年ぶりに誕生した。
また幕下で同じく隠岐の島出身の竹谷も有望だ。
故郷ではかなり話題になっている。
なにしろ、隠岐の海は角界一の美男子。
身長190センチ、147キロの彼がその気になれば、3役以上になれる逸材なのである。
格闘技好きの私は、ぜひ応援に行きたいと考えていた。
土俵では、黙々と力士たちが、すり足、てっぽう、ぶつかり稽古している。
すでに10時、彼らは朝6時から練習をしているので、かれこれ4時間以上になる。
体がぶつかるバシーとか、パーンとか、うめき声以外は沈黙である。
その時、唯一の幕内経験者、海鵬関が土俵にあがった。
掛け声がかかった。
『サアー、来い、』
力士のぶつかる音が違ってきた。
『ガッーン、バチ、』
気合が入った。
一瞬にして空気が張り詰める。
海鵬関は、背は高くはないが、筋肉は鍛え抜かれ、他の力士と目の光が違う。
格闘家の目だ。
2年前に名古屋場所の千秋楽、朝青龍と白鵬の優勝決定戦の日見学に行った。
私は土俵に向かう力士たちの写真を取っていた。
やがて、朝青龍が来た。
思わずカメラを下ろした。
写真など恐ろしくて取れない。
殺気・恐ろしい目である。
すごいオーラだ。
私の青春時代の英雄、キック・ボクシングの沢村忠は、
大学空手選手権で優勝後、毎日動物園に行き、トラやライオンと一日中睨み合う修行をした。
彼は格闘家の目を、野獣に求めたのだ。
グレシー柔術のヒクソンは、プロレス、異種格闘技、
あらゆる格闘家と戦って無敗を誇った。
彼が言っていた。
『リングに上がるときは、死を覚悟してあがります。
もちろん、相手を殺す可能性もあるでしょう。
私は日々の暮らしも、常に死ぬ覚悟で生きています。
それが武士道です。
この日本の武士道を後世に伝えるのが、
私のコンデコマ公爵・前田光世先生・日本に対する恩返しです。』
殺気や、野獣の目こそ必要ないが、
己に厳しい心も持てば、闘争心から自然と眼光は鋭くなる。
隠岐の海関や竹谷がこの覚悟と、格闘家の目を持てれば、
幕内はおろか?三役、横綱の可能性だってある。
世界経済は混迷の中にある。
日本経済も先が見えない。
小売業を取り巻く環境は、これまでになく厳しい。
経営者はヒクソンのような覚悟と、秘めたる眼差しの中に、
闘魂の炎を燃やさないと生き残れない。
経営は格闘技と同じである。
浅野秀二、4月16日