旅・北京
福岡に行く用事ができた。
日本行きは、どこかに寄り道をする習慣になっている。
それは子供の頃の、学校の行き帰りと変わらない。
山あり、川あり、田や畑があり、魚とり、ザリガニ、野球の三角ベース。
だいたい親もまっすぐ帰ると心配をした。
先日、日本で見たジョン・ウー監督映画
『レッド クリフ PART2』三国志の赤壁の戦いが忘れられない。
100億円以上かけた壮大なシーン、こんな面白い映画は久しぶりだ。
林チーリンの(台湾のモデル)小喬役があまりにも可憐で、可愛くて、
日本的で感動した。
服まで日本の着物そっくりである。
曹操の風林火山、紀元221年ごろの三国志の時代が、
1500年後の日本人の戦国時代と、どうしてもオーバーラップしてしまう。
この映画を見た後、今回の寄り道先は、中国に再度行こうと決めた。
もちろん、21世紀の超大国、躍動する中国も見たいとも思った。
サンフランシスコから北京まで12時間半、搭乗前にアナウンスがあった。
『最近・2週間以内にメキシコに行った人は、申し出ください。
北京到着後、検査・拘束する可能性があります。』
一瞬全員に、緊張と動揺が走った。
でも飛行機の中は誰もマスクをする人はいなかった。
オリンピック前に完成した超モダンな北京空港に到着すると、
健康状態を書き込んだ書類の提出し、入国手続き。
ところが税関、荷物検査は無いのである。
豚インフレも忘れた。
空港内も外も蒸し暑い、空気が汚れている。
到着の喜びと言うか?興奮も期待も感じない。
過去の経験から来る??緊張だけが走る。
空港から途中、オリンピック会場、鳥の巣をみてホテルに向かった。
高速道路の両側はたくさんの木々を植林され、緑が非常に多くなった。
また街のあちこちに高層ビルが乱立している。
ところが、一歩路地に入ると、まだ昔の中国が残っている。
翌日は天安門、紫禁城、万里の長城を見学。
北京は古くは、女真族の金の都、その後モンゴルの行政の中心、大都となり、
明の時代に中国の首都なり、清、中華民国、中華人民共和国と、
中国政治の中心として今日に至る。
600年の歴史の都である。
現在の人口は1700万人を越え、広さは四国ほどあるそうだ。
それにしても中国各地から来たお登りさんで、どこも人が溢れかえっている。
赤や青の帽子をかぶり、添乗員が旗をもって民族の大移動だ。
40年前の日本の農協さんと変わらない光景だ。
紫禁城の柱を建築する時に、一本切り出し、運ぶのに1万人の労働者が
かり出されたが、500名しか、生き残れなかった苦難の話をきく。
長城建設に召集されることは、死刑宣告と同じで、2度と故郷に帰ることはなかった。
山の頂上を連なる6000キロを越える長城、
まさに地と汗、涙と怨念、悲しい多くの物語は、我々の想像を絶する。
多くのお登りさんを見て、
今の中国の人々は、歴史的に一番幸福な時代に生まれた人たちではないかと、
つくづく思えた。
飯が食えて、毛沢東霊廟見学ができる彼にとって、
灰色の空は大きな問題ではないのかもしれない。
紫禁城は9995部屋もあり、敷地は72万平方メートル。
城壁の高さは10メートルを越す。
赤と金色、多少の青い色だけだ。
暗殺を恐れたため、木は植えていないので緑はない。
後宮3000人は、中国人特有の大言壮語と思ったが、
システムとして本当に3000名いたそうだ。
現代の一般人は、生活や食事でも当時の王侯貴族のような暮らをしている?が、
女性の人権の高まりで、残念ながらこれだけは適わない。
それとも私に知らない世界があるのでしょうか?
浅野秀二、5月07日