大ロシアの旅(Part 2) ~大失態の巻~
ツアーは現地集合。
ドイツのミュンヘン空港乗換え、
約2時間で深夜1時にサンクトペテルブルクの空港に到着。
(ウラジオストクから約1万キロ)
無事に移民局での手続きを終え、外に出たら、
頼んでいた車が来ていたことに、まず安堵した。
初めてのロシアの旅は正直不安だった。
外は白夜で、まだ明るい。
夜2時頃ネヴァ川に係留する船に到着、
チェックインもできた。
翌日は郊外の離宮・エカテリーナ宮殿見学。
宮殿はあまりにも壮大で、大ロシアに相応しいスケール、
豪華絢爛のバロック建築だ。
ここを見ただけで、ロシアに来た甲斐があったと感じた。
音楽隊がアメリカの歌で迎えてくれた。
午後は市内に帰り、公園で配られたサンドイッチを食べた。
その間、私の視線はいつのまにか、
あの絵葉書のコーカサス美人を探していた。
期待は裏切られるが、黄色などの明るい色の服を女性が着ており、
アメリカや日本では見られないセンスに興味をもった。
それしてもネヴァ川周辺には、
威厳・風格のある巨大な建物が並び、
非常に美しい街である。
ロシアのヴェニスと言われている。
さすが大ロシア帝国の首都であっただけはある。
来て本当に良かった。
こちらは立ち寄ったスーパーマーケットの写真。
それにしても日本人の団体旅行・オバチャンが非常に多い。
アメリカではなく、ここに来ていたのか!?
俺は遅れている。
日本のおばちゃまは韓国だけでなく、世界を征服する…。
2日目はロシアの誇る5つの建物からなる
エルミテーゼ博物館の見学。
ルーブル美術館と比較されるロシアの誇りだ。
作品ひとつに30秒かけるとして、
5年間もかかるほどの膨大な美術品があると聞いた。
広大な建物の内装は金の装飾で埋め尽くされている。
秀吉の金の茶室も、ここではおもちゃの世界だ。
2時間半の見学後、外に出ると、多くの物売りがいた。
2人の若者が、写真やガイドブックを持って近づいてきた。
もちろん断わった。
それでもしつこく、大きな声で、「プリーズ、プリーズ。」
私は両手を広げて、左右に振り、ノーを繰り返した。
50メートルくらい、ついて来たかもしれない。
やがてバスに到着、15分後に出発。
昼食をすませ、トイレに行き、
手を前に持っていくと、腰につけたパウチに触れた。
あれ?
いやに薄く手ごたえが無い。
開けてみる。
財布が無いのである。
すべての金($100相当のルーブルだけが、運良くポケットに残っていたが)
クレジット・カードもやられた。
免許証もない。
油断をしていたのか。
それにしても今まで気が付かないとは…。
ロシア人ガイドに相談したが、
「何もできません。警察に行っても相手にしないでしょう。
彼らもどこかで繋がっている可能性があります。」
冷たいものだ、もう絶望的だ。
「次の目的地の見学中にバスで船まで送りましょう。」
「何時間後に?」
「そうですね。2時間後くらい?」
そんなに待っていられないので、タクシーで行くことにした。
タクシーに乗るが、英語が通じない。
行き先の住所を見せ、解ったかどうかはっきりしないが、走り出した。
30分程走ったが、周辺はまったく見覚えがない。
再び住所を見せると、運転手がうなずく。
しかし、不安は増す。
行けども、行けども見知らぬ風景。
タクシーを止めて、乗り換えようか?(なにせ、現金が少ないのだ)
街の人に聞こうか?
でも英語は通じないのだ。
腹を決めた。
どこへでも連れて行け。
前方に見慣れた橋が見えてきた。
なるほど、対岸を走っていたのだ。
45分後、無事に到着。
「ハウマッチ?」
「ハンドレッド?」
100ドル、それは高いのか?
メーターはどこなのか?
しかしメーターは見当たらない。
(後で解ったことだが、ロシアのタクシーはメーターがなく、
交渉で料金が決まるそうだ。)
100ルーブルを出すと、運転手は指を3本出した。
300ルーブルを渡すと、今度は指を5本にした。
焦っていて$ベースの計算ができない。
早く船に帰ってクレジット・カードをキャンセルしないと!
ここで言い争いは無用。
500ルーブル払った。
私はタクシーにずいぶんボラレタ気がしたが、
急いで船に行った。
4枚のクレジットカードをキャンセルしないければいけない。
すったもんだしたが、何とかアメリカのカード会社に連絡がとれた。
しかしカードはすでに使われていた。
AMEXは6700ドル、VISAは2回で合計1000ドル。
後の2枚まだわからない。
さらに悪いニュースが知らされた。
「貴方の帰りのフライトも船のスケジュールも出発は7月31日ですが、
ビザは30日になっていますから、飛行機を変えて一日前に帰らないとダメです。」
そんな馬鹿な。
「私はビザの申請に、フライトの写し、御社のスケジュールもすべて提出してある。
それはロシア領事館の間違いだ。」
怒鳴っても、船の乗務員の彼女達に責任はない。
すべて自己責任だ。
『フライトの変更は不可能、新しい切符を買わないといけない、
金もビザも盗まれて、買おうにも買えない。』
船の責任者を呼んだ。
18年前にサンフランシスコに留学をしていたドイツ人で、サッカーの選手だったそうだ。
しばし、サンフランシスコの話題で盛り上がった。
彼が笑って、「何とか、この会社の社長を通じて、政府に交渉をしましょう?」
と言ってくれた。
多少気が紛れたが、悶々として眠れない。
スリにあったのは、初めて。
良い経験(?)をした。
体験に基づく私の話だ、どこかで役に立つだろう。
それにしても恥ずかしい話である。
これから金が無い状態で旅が始まる。
寝るところ、食事は3食付いている。
それだけは幸運だ。
ベッドで思索する。
見てきたすべての宮殿をナチス・ヒットラーの軍隊は、
撤退する時に爆弾をしかけ、すべてを破壊して去った。
ロシア人はそれも元通りに再建した。
彼らの嘆きなど考えれば、私の問題など取るに足らない。
さあ、明日を夢見よう。
浅野秀二
7月28日
(追記:後で解った事だが、
タクシー料金の500ルーブルは、僅か$16ほどであった。
船の人に聞くと、非常に良いディールでしたねと感心された。)