大ロシアの旅(Part 3) ~いよいよ船出の巻~
翌日は郊外一時間離れた北の離宮へ。
1000ヘクタールの敷地をもつ、
宮殿と庭園のアンサンブルの代表であるぺトルゴフは、
NHKで滝(カスケード)と噴水の宮殿として紹介されて話題になった。
ライオンの口から25メートルの水の柱が墳出をしている彫刻は有名だ。
ここには大量の絵画作品が展示されている。
ここもヒットラーは撤退時に爆破している。
午後からフリータイム。
この日を利用してスーパーの視察を予定していた。
しかしタクシーで出かける金がない。
行動は制約され徒歩圏で探すが、
港は工場と倉庫ばかり。
どちらかと言えば、豊かでない住民の町。
期待したような店はない。
40年前の日本田舎のスーパーに似た店を見つけた。
隣に老人の安アパートがあった。
結果的にスーパーマーケット視察は、
この店と、サンクト・ペテルブルグ市内の
小型のスーパーを10分見ただけに終わってしまった。
そして5日目、いよいよ船出。
これから船旅1100キロ、モスクワまで遡る。
船は3600トン、約120メートル。
乗務員100名、客は160名 乗船している。
アメリカ人とドイツ人が半々である。
バルト海(北欧)の方に流れるセルバ川、ネヴァ川を遡り、
琵琶湖の15倍もある海のような湖をいくつも通過。
パナマ運河のように水位を利用し、
高低のある川をいくつも越えていく。
やがてあのボルガの舟歌で有名な
カスピ海に流れるボルガ川(全長3630キロの大河)に入る。
そこからモスクワまで行く、5泊の行程だ。
満々と水を湛えた湖、河川、川幅は数キロもある。
限りなく続く森林地帯。
時々人家も見えるが、人は少ない。
デッキから絵のような風景を楽しむ、豊かだ。
豪邸があちこちに立っている。
アメリカの田舎の家より立派だ。
ロシアが貧しい国という偏見は捨てないといけない。
私の想像を超えた世界だ。
これでも世界の川を見てきた。
アメリカを代表とするミッシシッピー川、
コロンビア川、サクラメント川、
ベトナムのメコン川、
揚子江、黄河。
どことも違う。
水量が桁違いだ。
この森林の豊かさはどこにもない。
私は太平洋で船のデッキから夕日を眺めるのを夢見てきたが、
沈まぬ太陽(白夜)のロシアの夏の大地に感動した。
ここはロシアのヨーロッパ側。
シベリアに行けば、また想像つかない大森林地帯がある。
石油、あらゆる鉱物、天然ガスの宝庫だ。
韓国はロシアに注目をしている。
ハングル文字のバスがチャーターとして走っている。
温暖化が進めば、シベリヤは人が住める豊かな土地となる。
日本は島国根性をすて、ロシアに進出して欲しい。
一日に一回、陸にあがって教会を見学した。
ロシアにはやたら教会(ロシア正教、キリスト教)が多い。
共産主義でも宗教は禁止されなかったが、
政府は共産主義という宗教を強要した。
(ロシア人は、共産主義は宗教だと明言した。)
共産主義がなくなってからは、
またロシア正教が流行っている。
若者はこれをファッション、カッコ良いものと感じているそうだ。
教会は続々と修復、新築されている。
ロシア人は極めて宗教的だそうだ。
船ではセミナーが何度もある。
本当に我々は知らないことが多い。
1917年ロシア革命があったが、
初めから共産主義を目的として革命が起こったわけではない。
土地の所有が許されなかった農奴たちが、
土地を寄こせと反乱をおこした。
ニコライ2世は英国とフランスの協定により、
戦いたくなかった第一次世界大戦に参戦し、
ドイツと戦って500万人殺した。
これが怨嗟となり、
土地問題の反乱と一緒になって
300年のロマノフ王朝は終焉した。
しかし、すぐ共産主義になったわけではない。
選挙があった。
その中に赤軍・共産主義者もいた。
彼らは投票の10%しか得なかった。
それなにの国民の意思を無視して、
軍事力とプロパガンダで政権を取ったのだ。
今のイランや、ベネスエラなども同じかもしれない。
ロシアにはドイツ人が多い。
ロシア帝国は、長年ドイツの貧民・農民の移民を奨励、
帝政ロシアの時代には200万人近いドイツ人がいた。
ロシア王室の后は多くはドイツから来ていた。
今でもロシア・バルト海周辺の土地は
ドイツ人が大々的な投資をしている。
目に見えないところで、ドイツとロシアは繋がっている。
ドイツはロシアの持つ潜在能力を取り入れることで、
21世紀を生きようとしている。
(日本は21世紀を生き延びる世界観を持ているのか?)
スターリンは、人間は恐怖によって動くと信じた。
国民を恐怖に落としいれ命令を聞かせるために、
平気で何百万人も殺した。
人権などまったく考慮されていない。
少数民族や、意見を異にする人々は、
故郷と何千キロ離れたところに強制移動させられ、
ドイツとの戦争でロシア人は、2700万人も殺された。
それはスターリンの自国民が殺されることを
なんとも思わない、戦い方のせいでもあった。
毛沢東が革命・内戦が終わって故郷に帰るべき兵士の使い道に困って、
朝鮮戦争で自国の兵隊を殺するための参戦、それが朝鮮戦争であった。
帰るべき土地が中国にはない。
この無謀な作戦で米軍は敗北を重ねることになった。
スターリンの自国民殺人のスケールは毛沢東をしのぐか??
面白いのは、このような政治をおこなう政治家は人間不信に陥る。
自らが味方の裏切るに怯え、眠れず、酒に逃避する。
体調を壊し、やがて若くして、高血圧や心臓発作で死ぬ。
歴代のロシアの大統領はすべて体を壊し、
任務半ばで死んでいる。
例外はフルフショフとゴルバチョフだ。
彼らは権力に固守しなかった。
これからまたセミナーが続く。
ゴルバチョフのプレストロイカ、
そしてプーティン大統領に関するセミナーもある。
この船をフローティング・ユニ・バーシティー(浮かぶ大学)というそうだ。
コーディネイターが講義もするが、全員大学の先生でもある。
良いツアーを選んだ。
ロシア人から聞く話は新鮮だ。
浅野秀二
7月31日