青春の一こま
山崎豊子原作、日航機御巣鷹山事故を扱った、
渡辺謙主演の「沈まぬ太陽」の映画を見る機会があった。
東京のサラリーマン時代を思い出して、
決して楽しいとか、面白いという感覚にはなれなかった。
私も25歳の時、保険会社で労働組合の青年部長をしていた。
過激な発言で将来の書記長と期待されたこともあった。
当時の労働組合はけっこう激しく、経営陣に食ってかかった。
それが労働闘争であった。
労働組合運動は人間の不信感を前提に行われるので、
誰もハッピーな心境にはなれない。
経営陣に元労働組合出身が多かった日本は、
海外の労働闘争より、人間関係はまだマシであった。
ケン渡辺演ずる恩地氏が、
組合運動の首謀者として海外に左遷されるが、
私にとっては、JALの海外駐在など天国、あこがれの人生である。
確かに家族のことや、
同期との出世争いから外れる苦しみはあるだろうが、
日本のすべてを捨て、海外で皿洗いをしている苦学生からみれば、
眩しくて眼も開けられない存在が、海外勤務のJAL社員であった。
特に彼が勤務した後進国では、王侯貴族のような暮らしと想像できる。
毎月、働きのいかんを問わず、給与がもらえ、
住むところがあって、飯が食える。
JALの社員なら、女にも、モテる。
私は恩地に言ってやりたかった。
「お前は天国に住んでいる、辞めてみないとわからないよ?」と。
考えてみれば、当時の大手企業は同期の出世争いも激しかった。
そこに価値観を感じることができなかった私は、
サラリーマン脱落者だった。
3年で限界に達し、脱藩。
マージャンで勝った金でアメリカに来た。
上智大学や青山学院大学に留学していたアメリカ人の女子大生たちに、
「浅野さんは日本でサラリーマンを辞めた馬鹿な人」と紹介された。
彼女たちの眼に映った日本のサラリーマンは、
“仕事をしてもしなくても首にはならない。
家族は飯が食え、雇用の保証がある天国”
というのである。
「アメリカは厳しいよ。皿なんか洗ってないで、早く日本に帰りなさいよ。
日本で大学を出ているのでしょう。」
ストックトンというカリフォルニアの田舎町にある日本食料品店の前で、
日系人の母(1世、60代?)と娘(2世、40代かな?)に会った。
挨拶をした。
私は体育会出身である。礼儀は心得ている。
娘(2世)が言った。
娘:「今時の日本人には珍しい若者ね、どこに住んでいるの?」
私:「白人の家」
娘:「誰?」
私:「ベンジャミン・ホールトの孫娘の家に」
娘:「あの大金持ちのキャタピラー社の創始者の家?」
私:「そのようです。」
娘が言った。
「とにかく、貴方のことが気にいった。遊びに来なさい、迎えに行くから」
アメリカに来て間もなく、
友人も、コネもない私にとって、“No”と言えるわけがない。
週末が来た。
彼女たちが迎えに来た。
車で郊外へ40分、農園主のようである。
耕作面積200ヘクタール、ここらでは中堅の農家である。
名前は浅野・渡辺ファームといった。
新築の素晴らしい住宅に招き入れられた。
初めてみる日系人の住宅だった。
娘(2世)の夫の浅野さんが、渡辺家に養子に入った形のようである。
彼女たちは、なぜかはしゃいでいて、
「これから毎週ここに来なさい。日本食が食べれるよ。
そうだ農場の手伝いもしなさい。お金がないだろう。
ここなら移民官も来ない。留学生は仕事が出来ないだろう。」
やがて、孫娘を紹介された。MINEKOといい、29歳くらい?
彼女は恥ずかしそうに、上目つかいで私をみてニタっと笑った。
(ニコっと笑ってくれていれば、私の心も動いたかもしれない…??)
当時欲しくて仕方なかった永住権が眼にチラ付いた。
農園付きだ。
アメリカに来てまで日本人と付き合うのか?
もしかして種馬か?いや農業労働力か?
3名の女性が眼に浮かんだ。
西ドイツから来た留学生のアンジェラ、これは典型的なドイツ女性。
青い目、透き通るような白い肌、金髪、背丈は175センチもある。
彼女では永住権は取れない。
もう一人は、大学の空手道場で私をいつも見つめていたアメリカの美女。
子持ちらしい。
3人目は、デビー・畑中。
彼女の家は有名な大農園主で、
1000ヘクタールの土地と果物の缶詰め工場経営していた。
大原麗子そっくりで、お嬢様だった。
毎週末、私をキリスト教会に連れていってくれた。
映画館で手を握っても嫌がらない。
彼女が一番現実的な選択だった。
東京のサラリーマン時代は、女にモテなかったが、
アメリカでバカボンド・浮浪者になった途端モテた。
そんなはずはないか??
何かが変わったのか??
男のオーラ全開だ。
東京のサラリーマンの頸木を解かれた私は、
自由の天地で眼はキラキラと輝いていた。
野望に溢れていた。
金もない、背丈もない、英語もわからない。
しかし、まだ26歳だ。
天を衝くような思いはある。
アメリカはすばらしい。
裸一貫でもやる気さえあれば、小説のような世界を勝手に信じていた。
大統領の娘とだって恋が出来る。
後で知ったことだが、同じ時期のニューヨークで、
私と同じ境遇の皿洗い日本人留学生が、
当時世界一小売業・シアーズ創業者の孫娘と結婚、
4人の子供をなしている(今でも健在)。
外に出た。
カリフォルニアの強い日差しに焼け、痩せていて、眼鏡をかけ、
誠実そうな50歳前後の浅野さん(養子に入った・みねこさんの父親)さんが立っていた。
彼は西の空が赤く色ずく地平線の見える農場の果てを見ながらつぶやいた。
「私はね、名古屋出身です。アメリカに憧れ、留学がしたかった。
商社マンにでもなって海外へ行こうと思っていました。
当時、農業実習生のプログラムがあって、それに参加し、この農場に配属されました。
農業実習生で来るしか、当時、アメリカに来る方法はありませんでした。
ところが、ここの農園主の娘との間に子供ができ、ここに住む運命になりました。」
とても彼から女に手を出すような男には見えなかった。
何があったのか?
アメリカ育ちの2世娘の猛烈アタックがあったのか?
笑顔を絶やさない人の良さそうな彼女の姿から、
若い時の情熱は最後まで想像出来なかった。
「私はね、どうしてこんな地平線の真ん中で農地と格闘し、
30年も住んでいるのか信じられないよ。
明けても暮れても毎日同じだ、何にも変わらない。
いつも日本のことを考えている。
あの時、ここの娘に手を出さなければ、違う人生があったのに…。」
貧乏留学生の私から見れば、誰もが羨むような暮らしがあるのに、
浅野(養子の)さんは後悔しているのか?
それと比較して、自由だが、裸一貫、明日もわからない我が身。
しかし、彼の言葉の奥に、私に対する警告があることを少しは感じた。
この2人のおばちゃんたちの陰謀には乗ってはいけない、
早くここを離れろと?俺のようにはなるなと?
考えすぎか?
初心貫徹し、私は白人女の色香にしばらく迷うことにした。
申し出は丁寧に断った。
「私はアメリカ人家庭のホーム・スティーの身なので
貴方の農場では働けないと思います」
やがて白人女と歩いているところが、彼女らに見つかった。
もちろん、激しく非難された。
“お前は白人女の薄情が、まだわからないのか?”
当時の私は女の薄情より、深情けさの方が、怖かったのである。
浅野秀二
2月8日
2 件のコメント
浅野先生のモテモテぶりの文章と、モカ君とチビちゃんのとぼけた表情のアンバランスに、久々に笑っちゃいました。
ユーモアのある文章、いつも大好きです!
ワンダーウーマン様、コメントをいつもありがとうございます。
これだけ、毎日旅をしているのに、まだ世界をワンダーしたい気持でいっぱいです。でも心はいつも自由にどこで行き来できるので幸福です。