イタリア紀行【2】~ミラノと『ロミオとジュリエット』~
夕べはロスト・バゲージ(荷物行方不明)で、
着の身着のままと言うより、ほとんど裸で寝た。
今日も朝から30℃近い温度だ、ミラノの夏は暑い。
緊急の歯ブラシで歯は磨いたが、髭は剃れない。
旅行中、髭を伸ばしてみたい衝動に駆られる。
昨日中国人の店で買った安物(7ユーロ)の服を着てみる。
冴えないが、仕方がない。
スフォルツェスコ城に向かう。
ライセンスを持つが、日本語の解らないイタリア人ガイドと
日本人ガイドのペアが待っていた。イタリア人は何もしない。
何もしないで金をもらっているイタリア人を哀れに思った。
城はミラノ公国の要塞、レオナルド・ダ・ヴィンチも建築に加わったという。
あの教科書に載っているダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵のある、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は隣だ。
目を惹いたのは、荘厳なるゴシック建築の数百の尖塔を持つ、ミラノのドゥオーモ。
14世紀後半に建築を初め、19世紀のナポレオンが完成させた。気の長い話だ。
今歴史の中にいるという感覚にあるが、
美・博物館や教会の見学では、
私の好奇心は2時間も持たない。
私は構造物に興味はあまりないようだ。
一番楽しかった旅行は、何もない草原のモンゴルであった。
何もない方が、想像力が豊かになり、楽しい。
教科書どおりの案内ではないストーリーが聞きたい。
とにかく服がないので、1877年完成したというアーチ型ガラス天井のアーケード、
スカラザ広場にある、H&Mで買い物をする。
多くはメイド・イン・チャイナだが、さすがデザインが違う、満足した。
街は伝統に満ち溢れ、優雅で良い雰囲気、日本人もアメリカ人も好きそうだ。
ガイドさんの言うミラノ人、ベネチア人、ナポリ人のニュアンスが解らない。
ガイドさんに聞く。
「それは関西人、関東人、九州人のニュアンスなのか?
それとも現代の島根県人、神奈川県人の違い?
あるいは、幕末の薩摩、長州、土佐人? 」
どうも、そのどれでもない様だ。
紀元476年西ローマ帝国滅亡後、イタリアは諸侯に分かれていて、
イタリア国は1870年にエマヌエーレ2世によって統一された。
その間1400年、フランス、スペイン、ドイツ(ハプス・ブルグ王朝)
などに征服された、波乱の歴史があった。
イタリアは非常に新しい国だった。
日本のように、1500年以上も昔から同じ日本人で同じ土地に
生きてきた国とはわけが違う。
これらの都市は言葉も法律も違う外国だったのか?
ドイツも17世紀には300諸侯、19世紀でも40諸侯あった。
同じころ、1871年、ビスマルクがドイツを統一した。
さて、西ローマ帝国では、フン族に追われたゲルマン民族が平和裏に侵入、
傭兵などで雇われ、その後、彼らは反乱を起こし、
あの歴史上存在したことがない、最強国家ロ―マ帝国を滅した。
日本のような民族意識の薄い国は、
中国からの観光客と、留学生、投資で、20年以内に飲みこまれる。
バカ安い日本の山林は中国に買収され、都会では中国人の家主に
日本人が家賃を払って住む、20年以内にそんな時代が来るかも?
(アメリカの大学で博士号を取る中国人は、年間4400名以上。
対し、日本人は222名。中国は世界人脈を作って、巨大な投資大国になる。
西ローマ帝国ことを知ると、また日本のことが気にかかる…)
歴史の勉強は大切だ。薄っぺらな善意では国際社会では生き残れない。
ベネチアにバスで行く途中、シェイクスピアの小説、
『ロミオとジュリエット』の、ジュリエットの家を訪問した。
これは実話にもとづいた話で、お互い両家は敵対関係にあったらしい。
彼女の部屋は非常に高い所にあり、驚いた。
私が若い時は、彼らはプラトニック・ラブだと思っていたが、
今はそうとは思えない。身も心も汚れてしまった自分がいる。
たくさんの観光客が世界中から来ていた。
一冊の小説がこの田舎町に賑わいをもたらした。
いかなる産業より、継続した繁栄である。
ソフトパワー、たった一つの物語なのだ。ハードの力ではない。
シェイクスピアが日本にも必要だ。
映画のジュリエット役、オリビア・ハッセー。
布施明は彼女と結婚したが、ローマであったガイドさんは彼女にそっくりで、
エレガント、はにかみ屋で、優しそうなイタリア女性であった。
名前はアンジェラ、素敵な笑顔だ。
これからベネチアに移動、バスの中から景色を見ながら走るのが一番楽しい。
浅野秀二
7月20日