イタリア紀行【3】~優雅なベネチアの街~
昔、メキシコで聞いたガイドの話が印象に残っている。
メキシコ最大の王朝、アステカは
他民族に押され、湖の小さな島に閉じ込められた。
そこに浮島を造ってトウモロコシなど植え、何とか生き残った。
生存が厳しいので、あらゆることに、知恵絞らなければ生きていけなかった。
この試練が彼らを大きく育てた。
塩野七生女史によれば、
紀元5世紀、ゲルマン民族に追われ、
敵が追っかけて来られないような湿地帯の島々に逃げた
ベネチア人(ベニス人)は、住む土地さえ十分なかった。
建物を建てるために、たくさんの杭を打ち、基礎を固め、
家や生活の場はすべて人工的に造った。
もちろん、農業・食料もない。
人は海に出て商いを生活の糧にする。
このような大きなハンディこそが、
工夫・知恵・根性を育て、
1000年のベネチア繁栄を築いた。
土地がないことも、貧しいことも、小数民族であることも、時には幸いする。
国の無かったユダヤ人は、今や、米国を支配している。
さて、私の故郷は、水の都・松江だが、
子供のころから松江は東洋のベニスと言われて、
ベニスの名は幼少の心に記憶がある。
映画や歌、小説、絵ハガキで何度も見た、
あのコンドラ船の優雅なベニスの街についに来た。
リベリタ橋をバスで越え、フェリーに乗り換えた。
177の島々、400の運河、多くの建物、確かに絵のように美しい。
街は重さで、アドリア海に沈みそうである。
やがて、特に見慣れた建物や教会が見える。
ラスベガスにそっくりである。
なるほど、ラスベガスのベネチアン・ホテルこそ、
この街のコピーかと、あらためて感心する。
ラスベガスには本物と変わらない壮大なコピーがある。
それにしても暑い。
昼ごろには38℃近くにもなった。
長い行列を待ち、やっとサン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮殿を見学。
教会の絵にも宮殿の調度品にもすでに食傷気味。
目を引いたのは、政治犯を収容した牢獄と
十字軍が出兵した後、浮気な女房??にはめた貞操帯であった。
皮と金属で作られた貞操帯には穴が2か所、
前の卵型の穴にはノコギリの歯が周りに付いていた。
これではどんな勇者も委縮してしまうだろう。
それにして非衛生的。
なにより、これをはめて生活する不自由さは計り知れない。
労働をしなければいけない女性には付帯はとても無理だ。
金持ちの騎士の貴婦人のためにあったと想像される。
イタリヤ人の女性ガイドいわく、
夫の出兵が決まると出来るだけ太り、
その体型に合わせて貞操帯を作らせ、
後で激やせし、ズボンのように脱ぎ着して
浮気を楽しんでいた貴婦人もいたとか…?
ここでも人がハンディの克服を知恵で乗り越えた(明らかに言いすぎか?)。
私の知っていた話は、貞操帯を作った職人と浮気し、
カギを手に入れ、本命と何不自由なく逢瀬を楽しんだ人もいたとか…。
いつの世も男と女の世界は変わらない。
そもそもこの極端な形での貞操帯はキリスト教社会、
十字軍の時代にしか見られないのではないか?
少なくとも私は知らない。
古代人は、もともと貞操観念はなかった。
多神教で多くの神々を愛したように、男女も多くの愛を楽しんだ。
一神教が処女崇拝にし、キリスト教社会、イスラム教社会が、貞操観念を強要した。
仏教徒のタイガー・ウッズは
明らかにキリスト教的価値観の犠牲者だ。
確かに女性は子育てというハンディ・キャップもあるが、
金と権力を持つと、男性と同じことをした女傑も、
洋の東西を問わず、たくさん歴史の中にはいる。
いずれにせよ、ここで見た貞操帯の醜さと残酷さは世界史に比類がない。
このようなキリスト社会から来た日本に来た宣教師たちは、
織田信長の時代の日本の風俗に驚愕する。
当時の日本は女色、男色、何でもありだ。
宮殿から運河の上に位置する渡り廊下(嘆きの廊下)で繋がった牢獄にも
ショックを受ける。
政治犯専用と言う。
塩野七生の本では、今と変わらぬ司法制度のもと、
非常に民主的に統治されていた。
べネチアにもいた政治犯、
一度この廊下を渡ると、二度とシャバには帰れなかった。
その渡り廊下の下は運河で、今では優雅にゴンドラが、
たくさんの観光客を乗せて遊覧している。
それにしても牢獄は真っ暗。
トイレはなく、もちろん、おまる(便器)を使用した。
当時はベルサイユ宮殿にもトイレはなかった。
貴婦人は宮殿の広間の角で傘なようなスカートの下に
おまるを入れて立って(?)した。
そのためにスカートが広がっていた。
しかし、時には臭いものもある。
お姫様はその匂いに、羞恥心は無かったのか?
だから香水が発展したのか?その程度では匂いは解決しない。
11世紀のスイスの城にはトイレがあった。
それがどうして無くなったのか?
本当に不思議でならない。
ヨーロッパの豪華絢爛の文明にトイレ軽視、納得できない。
いつか調べてみたい。
ご存知の方、教えてください。
牢獄は当然トイレット・ペーパーも新聞紙もない、
尻をどうやって拭いたか?
さすがに女性ガイドには聞けなかった。
暗闇の牢獄、寒さ、悪臭、まさに生き地獄だ。
裏の歴史の方が興味深い。
ベネチアは、新興国・農業、人口大国のオスマン・トルコと何度も戦争、
フランス王国の侵攻にも耐えて、ナポレオンの時代まで1000年も繁栄した。
地中海貿易で繁栄したベネチアは、アジアの胡椒貿易で莫大な利益が出した。
しかし大航海時代が始まり、
大西洋貿易の時代が来たことで胡椒価格が大暴落し、
国力を落としたことが、ナポレオンに負ける敗因となっている。
21世紀の今、その繁栄の中心は地中海から大西洋、
そして太平洋の時代が来たのだ。
それはアジアの時代だ。
脱亜入欧の歴史を持つ日本は、はたしてこの船に乗り乗れるか?
経済や軍事面より、日本の文化的・ソフト・パワー。
ここでは重要な役割を果たすと考えるべきだ。
それにしても平和な良い時代だ。
世界中の観光客がベネチアに来ている。
戦争の勝利における繁栄より、平和の配当・繁栄が大きい。
なにより、こうして世界の料理を食べ、世界の人と仲良くすることは、本当に楽しい。
ツアーの仲間には5組の新婚さんがいた。
皆可愛くて、素敵なカップルだった。
日本の若者は優しくて、親切で好感が持てる。
彼らに未来あれと心で祈った。
浅野秀二
7月25日