セーヌ川クルーズ(1)
なぜかは知らないが、
12月はセーヌ川のクルーズだそうだ。
山の神のお告げは絶対だ。
セーヌ川はフランスの中では第二の長さの河川で、
全長は780kmほどある。
パリを流れる川として、あまりにも有名。
欧州大陸の多くの川がアルプスを源流とするが、
セーヌ川は標高480メートルの高原が水源である。
今回きたのは、
パリから大西洋の近くまでの450kmを、
5日間かけて往復するリバー・クルーズ。
さて、クルーズの2日目。
ヴァン・ゴッホの住んでいた家と、
彼と兄弟の墓を見学した。
偶然にも、「ジョージ君、アメリカへ行く」第20話の中で、
「浮世絵がフランスの印象派の絵に
影響を与えたというスピーチをした」
という話を掲載したちょうどその日だった。
年間300万人もの人が訪れていると聞いた。
印象派はフランスでは非常に人気があったようだ。
正直、中学の美術の時間にゴッホや
印象派ではないが、ムンクの「叫び」を初めて見た時、
自分の心の嫌な部分を見ているような、
愛憎半ばした複雑な感情があった。
印象派のマネや、踊り子の絵で知られるドガなどは、
人前で好きと言えた。
それにしても連日、雨である。
気候は冬の日本海のようだ。
朝は9時頃まで暗く、夕方4時過ぎるともう暗くなる。
この気候は明らかにゴッホの性格や絵に
影響を与えた気がする。
明るい色に憧れたはずだ。
セーヌ川沿岸は世界遺産に指定されているが、
特別に興味をもつような風景はなかった。
古い城跡と教会、中世の町並み、
5年前に初めて見た時のような感動はない。
船の中ではもっぱら、パソコンに向かって仕事をした。
アメリカにいる時の生活と正直、変わらない。
インターネットのおかげで、
我々の仕事はどこでもできる。
良いことか、悪いことはわからないが。
時間が取れず、なかなかバケーションに行けない人には、
リバー・クルーズは最高の選択肢かもしれない。
船から見る景色は、いつも変化するし、
食事はあげ膳すえ膳。
仕事に飽きるころには、陸地に立ち寄り、
バスで適当に観光地案内もしてくれる。
クルーズ4日目は、「史上最大の作戦」と言われた、
ノルマンディー上陸作戦のビーチを訪れた。
実はあまり気にしていなかったが、今回のクルーズは、
パリとノルマンディーがメインだったらしい。
ノルマンディーとは、North man という意味で、
12世紀にはバイキングが占領していた土地らしい。
また、ここの領有を巡り、
イギリスとフランスは100年戦争を繰り広げた。
とにかくこのビーチは、アメリカ人にとっては、
大切な訪問地のようであった。
ノルマンディー上陸作戦では、
16500名ものアメリカ軍、イギリス軍、カナダ軍が
砂浜に船を沈め、8kmにも及ぶコンクリートの浮橋に
人工的な港湾施設を造った。
1944年6月6日、上陸用舟艇4,000隻および
艦砲射撃を行う軍艦130隻を含む6,000を超える艦艇と
12,000機の航空機が上陸を支援した。
迎え撃ったのは、20世紀最高の戦術の天才と言われた
ドイツの有名なロンメル将軍だ。
これこそ歴史に残る、史上最大の上陸作戦だった。
これにより、最終的に300万人近い兵員が
ドーバー海峡を渡ってノルマンディーに上陸し、
ベルリンを目指した記念すべきビーチであった。
いずれにせよ、気の遠くなるような物量・数字である。
連合国側は1万人以上の死傷者をだした。
アメリカ人にとって、ノルマンディーは、
日本人にとっての日露戦争で勝利した旅順港や
302高地のような聖地なのかもしれない。
クルーズのツアー客全員で
アメリカ人兵士の慰霊塔に黙とうし、
アメリカ国歌を歌った。
現在、軍に所属している人、
またはかつて米軍に奉仕していた人が
グループの中で3分の1もいた。
その人たちは最敬礼をしていた。
しかもその中の3名は第二次世界大戦に出征していたそうだ。
それにしても戦争では双方、多くの若者が亡くなった。
平均年齢21歳だったという。
このような記念碑や戦争博物館をみると、
ここまで生き伸びてきたことに、
本当に感謝の念が湧いてくる。
どうしたら世界は平和で暮らせるか?
人類はいまだに回答を見つけられない。
大量破壊兵器が、戦争への誘惑を阻止している、
という皮肉な現実がある。
帰りのバスの中では、寒いからということで、
地元ノルマンディー産のカルバドス酒が配られた。
カルバドスとは、リンゴサイダーから作られる
アルコール度数40%のブランデーである。
私はそれを、一気に2杯飲んだ。
その後、車内にはシャンソンが流れた。
『枯葉』、『ラ・メール』、『愛の賛歌』、『摂氏盆(C’est si bon)』…
若い頃、聞きなれた歌が旅情を誘う。
そして最後は美人ガイドさんが自ら歌を歌ってくれた。
そこで最高に盛り上がった。
彼女は若くはないが、私が唯一見つけた、
田舎のパリ・ジェンヌであった。
パリ市内はニューヨークと同じで、
北アフリカや中近東の人々で溢れ返っていた。
本当のフランス人は地方にしかいない。
20年後の日本見るようである。
日本の東京、大阪の大都市は中国人だらけになり、
地方都市のみが、日本人の住みかとなる。
ワイン1杯でまた妄想が始まる。
2杯飲めばどうなるか?
果てしない妄想だ。
そろそろ2杯目が欲しいので、
今日のブログはここで終わる。
浅野秀二
12月19日