中国紀行(3) 揚子江クルーズ
友人から揚子江の旅の報告が欲しいと言われていた。
船の中でセミナーがあったので、簡単に記載しよう。
揚子江は長い間、長江と呼ばれてきた。
西洋人が地元の人に川の名前を聞いたところ、
その地方の呼び名が、揚子江に聞こえたので、
この150年ほどは、この名前が一般的に
通用するようになったらしい。
チベット高原の6621mの山から流れ、距離は6418km。
ナイル、アマゾンに次ぐ、世界第3位の川である。
水源地の標高は5800m、
流域の人口は3億9800万人。
中国の人口の3分の1、途方もない数字である。
流域の農地面積は中国全体の24%で348万ヘクタール。
穀類の40%、米の70%はここで生産される。
夏の雨季には川の深さは世界一となる。
三峡ダムの完成により、川は深いところで150~180m。
ダムの近くでは113mにもなる。
おかげで内陸2200kmの重慶に、
1万トンクラスの船が入れるようになった。
我々が乗った5階建てのクルーズ船も7000トンもあった。
重慶から上海まで2211kmあるが、
クルーズは重慶から武漢まで、1100kmの船旅だ。
クルーズ船は大小合わせて230隻あり、
中国人の間でもっとも人気のあるコースらしい。
これだけでも大変な経済的インパクトがある。
残念なことに、三峡ダム見学の日、
春には珍しく大雨であった。
残念ながらダムは見えなかったので、
パネル写真だけでも。
重慶から武漢までの間、4つの街に停泊観光をした。
過去にこの地域は数百kmにわたって、
水位が50~100mも上がってしまった。
そのため、何千、何万という街や村が水の中に沈んだ。
人口の移動は130万人にもおよび、
川の両岸の山の上には、政府によって新しい住宅地が造られた。
それが600km以上の川岸に点在している。
住民は山の上の新築高層住宅に追いやられたが、
もともと住んでいた居住空間の2倍になり、
新築で非常に喜んでいると聞いた。
しかし、この近代的新築高層アパートの住民が
泥で濁った川で洗濯をする姿は
やはりアンバランスであった。
このような険しい山の頂にできた街は、
人の上がり下りが大変で不便極まりないだろう。
重慶から出発して、最初の700kmぐらいは
険しい山の中を下って行く。
ヨセミテ公園のような美しい景色が続く。
しかも連日の霧で、まさに水墨画の世界であった。
しっかりと太陽が見えた日は、北京以外では1日もなかった。
1957年ごろ、ロシアの援助で初めて揚子江に橋が掛けられたが、
この20年で揚子江に掛けられた橋は180にもなるそうだ。
これはケタ違いの数字、すごい公共事業だ。
中国政府はアフリカやアジアに限らず、
中国の金でアメリカの道路や橋、高速鉄道などの
インフラを整備したいと提案をしたらしい。
なるほど、これだけの公共事業をこの20年で、
中国国内でやってきたのだ。
それを海外でもやろうというのは当然だとうなずける。
造れば造るほど、技術は進化する。
このままいけば、中国の橋梁技術、高速鉄道建設技術は
どこかで日本に追いつくだろう。
いや、もう追いついている部分もあるかもしれない。
これから中国の世界インフラ整備の影響は、
国際社会にとって信じられないものとなる。
三峡ダム(幅2.3km)より高いダムは、
アメリカのフーバー・ダム、
ダムの長さでは3.8kmのアスワンダム。
しかし、発電量は世界一で、黒部ダムの200倍にもなるそうだ。
原子力発電で16基分、なにもかもがケタ違いだ。
途中、小学校に行った。
子供たちの目は光っていた。
親の世代は美人やハンサムは、ほとんど見受けられなかったが、
子供たちはかわいい子が非常に多かった。
アメリカ人の年寄り夫婦が言っていた。
「あの子を養女で連れて帰りたい」
子供たちの表情からも、
暮らしが格段に進歩していることがわかった。
武漢からは上海までは飛行機で移動、1時間20分の旅である。
武漢は800万人都市。
それでも大気汚染で太陽は見えなかった。
船に上でTAICHI(太極拳)に挑戦した。
軽い動きだが、汗が出る。
体を片足で支えられない。
バランスが悪い。
アメリカに帰ったら「三峡ダムは大惨事の恐れがある」
という新聞記事をみた。
帰ってから見て良かったと思った。
今後、洪水や地震が発生したとき、
あれだけの水を支えられるのか?
中国の公共事業の力が、これから試される。
なんにせよ、揚子江クルーズは一度見学をお勧めしたいですね。
浅野秀二
4月23日