ライフコーポレーションとの出会い
2001年9月11日。
ニューヨークでテロのあった朝、
遠く離れた日本の宮崎から電話があった。
「浅野さん、テレビをつけてください。
昨日、あなたの案内で見学したウォール街の高層ビルに
民間のジェット機が突入しています」
最初、何の話をしているのか分からなかった。
前日見送ったばかりの宮崎銀行の役員からだった。
テレビをつけると、
大型旅客機がツイン・タワーに突入する画像が
何度も何度も映し出されていた。
不思議な感覚だった。
“これでわが社は終わった。
当分、日本からの研修ツアーはないだろう”
そう思った。
やがて、会社は廃業に追い込まれた。
しかし、不思議と将来の不安も失業の恐れも、
怖さもなかった。
逆に体中からエネルギーが湧いてきた。
またアメリカで素浪人をするのか?
これからが本当の男の勝負かもしれない。
この日のために日本を捨て、アメリカにやってきたんだ。
そんな気さえしていた。
テロが起こる前、
私はJACのジェネラル・マネジャー兼副社長として、
会社のオペレーションを統括する立場にいた。
コーディネイターとして、流通関連はもちろん、
金融、不動産、住宅、教育、IT、なんでもこなしていた。
農業や流通はプロフェショナルを数名ずつ抱えていた。
ところが、このテロを機に彼らはリタイヤしていった。
私は故郷に帰って親孝行をしたり、
4名の元役員たちと
中国・上海の観光局や共産党の大幹部の案内で
中国各地を旅行して過ごした。
それから1年半後、会社を再起させた。
日本から流通視察のツアーがあるという。
もちろん、わが社の流通のプロ達はすでにいなかった。
「浅野さんお願いします」
東京から、すがるような依頼だった。
「やってみよう」
経験も知識も不足だったが、どういうわけか、
一生懸命やったせいか、無事に終えることができた。
そのツアーに来ていたのが、ライフの社員たちであった。
噂によれば、帰国後、全員が清水信次会長の前で
5分間スピーチをしたという。
清水会長はその報告を聞き、大変喜ばれたと聞いた。
「わすか5泊のアメリカ研修でここまで人の心が変わるとは。
アメリカ研修は、素晴らしい。ものすごい効果がある。
部課長、店長、340名全員、今後アメリカに行かせよう」
その後、年に2回、5年間で幹部全員を案内する機会を得た。
案内した役員も半数を超えていた。
最後に団長で来た33歳の三菱商事出身の
後藤取締役が別れ際に私に言った。
「非常に勉強になりました。
役員6名と社長の岩崎が来ていません。
半年以内に必ずアメリカに連れてくることを約束します」
3カ月後、岩崎社長が6名の役員と共に来られた。
さすが元商社マンの先輩と後輩、決断と動きが早い。
後藤さんありがとう。
こうして、私の流通コーディネーターとしての歴史は
ライフから始まった。
ライフのツアーで合計340名同行した経験から
多くのことを学ぶことができた。
彼らに育てられた。
さて、340名の部課長・店長・役員13名と社長には会えた。
しかし憂国の士、清水会長に会っていない。
どうしても会ってみたい。
会長秘書の江渕さんや、並木常務、久保役員など
多くの方々の力添えを得て、ついにお会いすることができた。
最初、清水会長に何を話したら良いのか分からず、
わが社の歴史を話した。
「わが社は、日本の進駐軍のボス、
ダグラス・マッカーサー将軍の通訳をしていた
二世兵士のノビー吉村氏によって創られた会社です」
すると、清水会長は明らかに不機嫌になられた。
江渕さんが、さかんに合図をしていたが、
何を言いたいのか、気が付かなった。
あとで分かったことだが、米軍は大嫌いだそうだ。
しかし、清水会長ほど人生経験が豊富な人は
10分も話せば、人となりはわかる。
ミスター浅野も、間違いなく憂国の士なのである。
ただし攻め方、表現方法は違っているが。
「ところで君は午後暇かな?
良かったら一緒に昼飯はどうだ。
外に車があるからそこで待ってくれ」
元代議士の秘書をやっていたという運転手さんが、
指で丸を描いた。
「なんですか?」
「浅野さん、あなたは合格ですよ。
うちの会長は普通、初対面の人とは30分以上会いませんから」
結局、合計3時間半、時が経つのも忘れて話ができた。
あれから清水会長には会っていない。
もう一度お元気な姿を拝顔したい。
さて先日、久しぶりに岩崎社長や世代交代した役員を
ダラス~ニューヨークに案内する機会があった。
一番若い課長一人を除いて、
一度は会ったことがある人ばかりであった。
やはり340名を案内した実績は大きい。
以前は酒を飲まなかったが、すでにワイン通の私、
毎晩一緒に飲んだ。
ニューヨークのディナークルーズでは
大いに羽目を外してダンスまでした。
無事に初期の目的は達せられたか?
まだ聞いてはいない。
でも次回があるということなので、素直に喜んだ。
ここでブログは終わるはずだったが、延長戦がある。
ニューヨークの空港で岩崎社長から本を戴いた。
『永遠のゼロ』
臆病者のゼロ戦のパイロット、宮部久蔵が主人公の話だ。
最初はゼロ戦の優秀さ、また撃墜王として知られた、
坂井三郎や西澤廣義などのパイロットたちのすごさを楽しんで読めた。
ところが220ページくらいのガダルカナルあたりを読み始めると、
悔しくて、腹が立って、日本の兵隊さんが哀れで、読みたくなくなった。
大本営の場当たり的な、現場無視の作戦、どうにもならない敗北。
日本兵の多くは、ただ機関銃射撃に向かって肉弾突撃を繰り返し、
戦うこともなく死んだ。
それより多くの兵が飢えと病気で死んだ。
ここまで読んで、あれから日本は変ったのか疑問に思えた。
政治も経営も未だ大本営主義と変わらないか?
(説明不足ですね)
アメリカの小売業の成功組は
権限が現場に大きく移譲されている。
ホールフーズの社長、ジョン・マッケイの従業員への方針は
“従業員一人一人に権限を与える”ということである。
価格、発注、人員配置、店舗内昇進など、
チームメンバー達が自ら決定している。
ウェグマンズのCEO、ダニー・ウェグマンは、
自分がすべての経営判断をするのではなく、
従業員の裁量に任すと言った。
ノードストローム百貨店は、
そのミッション・ステイトメントの中で、
Nordstrom Rules #1: Use Best Judgment in all situations,
There will be no additional.と明記している。
「現場の判断のすべてを任せる、それ以外のルールはない」
と言いきっているのだ。
トレーダー・ジョーも現場主義だ。
社員のモチベーションは非常に高い。
話しが脱線した。
実は主人公、宮部久蔵は臆病者ではなく、
どこまでも命を大切にする極めて優秀なパイロットだった。
それはアメリカの合理的精神と似ているとも思えた。
撃墜王、坂井三郎も西澤廣義も冷静沈着、勇気ある合理主義者であった。
本は220ページまでしか読んでおらず、
今後、本のストーリーはどのような展開になるかわからない。
少なくとも大本営の失敗と教訓の話ではない。
家族や日本を本当に愛していた宮部久蔵。
大義のための忍耐、勇気、合理主義、部下に対する思いやり、
戦時においても決して真の人間性を失わなかった
宮部久蔵の存在に救われる読者がたくさんいると思う。
これは勇ましいゼロ戦パイロットの英雄物語でないことは確かだ。
最後まで読むのを楽しみにしている。
あと350ページある。
次の飛行機の機内で読もう。
<By 浅野秀二>
2 件のコメント
浅野先生お久しぶりです。
アメリカは最近また物騒な出来事が続いてたいへんですね。
ライフさんとのお話興味深く読ませて頂きました。
深いご縁があったんですねー。
それともう一つ「永遠の0」のこと。
作者の百田尚樹さんと一度会ったことがあります。
会ったといっても向こうはぜんぜん憶えていらっしゃらないでしょうが。。。
まだ二人とも髪の毛を肩まで伸ばしていた様な、学生だった頃の古のお話ですw
百田さんはつい先日「本屋大賞」という賞を受賞されて、
作品も次々映画化されている大ヒットメーカーです。
大作(分厚いのや上・下巻物)が多くて全くの未読ですが、
浅野先生のブログに触発されて、読んでみたくなりました。
ところで、先日から長女がアメリカ研修に出ています。
LA、LV、うらやましい限りですわ。
先生は「酒とバラの日々」を満喫しながら、示唆に富むお話を聞かせて下さい。
そしてくれぐれもご安全にお過ごし下さいね。
コメントありがとうございます。
酒とバラの日々ではなく、酒と菊の花の日々です。
(先日も友人が亡くなりました。)
でもバラの日々を夢見てこれからもやりますよ。