トルコ紀行(2)
数年前、知り合いの女性が会社を辞めて
トルコに語学留学をしたいと言い出した。
東京で20年近く働いていて、それなりに収入も地位もあった。
トルコに男がいる匂いがする。
私はあまり深く考えることなく一方的に反対した。
「貧乏だし、不潔。
イスラムの戒律は厳しいし、女性差別もある。
トルコは遊びに行くところでしょう。
そこで生活をするなんて、君は何を考えているのだ」
かの国にはそんなネガティブなイメージしかなかった。
しかし、それは偏見だった。
今まで40カ国以上の国に行ったが、
日本とアメリカ以外で住みたいと思う国はなかった。
でもここならあまり抵抗なく住めそうな気がする。
3000キロ走ったが、
どこに行っても新しいコンド・マンションが建ち並び、
EUの国なら中間レベルの生活水準と思えた。
新築住宅は日本の建物より外見は美しく、豪華だ。
一戸建ても広そうだ。
78000万人の人口に対し、
年間120万戸を立てようという野心的計画があるのだ。
世界銀行の予想では2014年の経済成長は4.3%。
言葉は日本語同じの文法のトルコ・アルタイ・モンゴル言語だ。
人の感情が日本人と似ている。
彼らもそれをよく知っていて、日本には親しみを持っている。
若ければトルコで再挑戦もありだ。
トルコに行った彼女に幸あれと願った。
農業は非常に盛ん、地形は乾燥したところが多いので
カリフォルニアの風景に非常に似ている。
中部トルコあたりに入ると、
やっと紀元1200年代のイスラムモスクや遺跡が見え始めた。
やがて、アナトリア高原のカッパドキヤ地区に入った。
あの有名な大奇石地帯だ。
アラブ人の襲撃を避けてキリスト教の牧師や信者が
岩穴を掘って隠れた町だ。
2000人も住めたといわれる岩穴住居。
9階建てに匹敵する多層階の洞穴住居で、
教会も2000以上もあるそうだ。
ここはビザンチン帝国の遺跡といえる。
その後はヒッタイトの古遺跡を訪ねる。
3500年前の文字にはエジプトと戦争をした記録など
すべてが文献として残っている。
なるほど、ギリシャ・ローマの前にも文明があったのだ。
当たり前だが文明は忽然と現れない。
ヒッタイトの前にもスケールは小さいが
色々な都市国家文明があったようだ。
カッパドキヤ地方は田舎と思ってきたが、
観光ブームで周辺の街はここでも住宅、ホテルの建築ブームだ。
なにしろ、この国は世界遺産が11もあり、
世界で6番目の観光立国、3600万人の外国人が来て、
4兆9000億円も金を落とす。
1923年までに海外からの観光客の目標は5000万人だ。
私が興味を持ったのは歴史ではない。
この国の未来に興味を持った。
国が若い。
小学校を訪れ、子供たちと腕相撲や押し相撲をした。
子供たちは大喜び、一躍人気者になった。
まだ私を相手にしてくれる人がいる。
仕事がなくなったらトルコにくるぞ。
小売業、消費文化は、まだまだこれからだ。
生活する上では、不足・不便・不満が多い。
日本やアメリカの経験は生きる。
インフラでもビジネスチャンスはあるように思える。
国土は日本の2倍以上あるが、鉄道はほとんど走っていない。
新幹線を東南アジアに売りこむのもいいが、
トルコの方がチャンス多いと思えた。
親日的な国と言われるが、
日本、日本企業の存在感はほとんどない。
国民所得は一人あたり1万ドルを越えている。
コンビ二は絶対にいけそうだ。
スーパーマーケットの可能性も大。
テスコのKipaスーパーマーケット。
カルフール・エクスプレス。
外食産業は伝統的料理が中心で国際色はない。
18日間の滞在で中華料理のレストランは1軒、
日本食レストランを見る機会はなかった。
インスタントラーメンなどの食品メーカーには
もっと可能性があるように思えた。
中国でする努力の半分で成功できると思えた。
確かに国が遠すぎる。
99%の国民がイスラムであることも難点か?
惣菜文化はまだまだしばらく時間はかかる。
トルコの家庭では女性が料理をまだつくっている。
パンを焼いている太ったトルコのおばさんをみた。
彼女たちこそ幸せと思えた。
やることが決まっている。
子供と家庭がすべてだ。
そのことこそ本当に幸福なことかもしれない。
トルコにはまだまだ昭和の日本が残っている。
<By 浅野秀二>