Mt. Dana 登頂記
「なぜ山に登るのか?」と聞かれた登山家が、
「そこに山があるから」と答えたという話はあまりにも有名だ。
シリコンバレーの経営者たちは、
山や農場暮らしを通じて、神・大自然との対話を目指し、
「人生とは何か?」、「経営とは何か?」と、
自問自答することを心がけている。
その間、日本の経営者たちは
銀座のネーチャンたちと会話をしている。
「何十年後かにその差は出る」と、私はかつて説明していた。
今の家電・コンピューター業界を見ると、
予見が当たっていたのか、厳しい状況にあるようだ。
少なくとも私は銀座のネーチャンたちとの会話の方が
性に合っているが。
しかし、福岡の惣菜屋、「むすんでひらいて」の
原田さんご夫妻と富士山を登頂して以来、
私の中で何かが変わった。
まず、山登りは心と体の健康に良い。
無心になって登ることで煩悩をしばし忘れ、
大自然の中に身を置く。
その居心地の良さは、かけがえのない時間だ。
シャバに戻れば、あらたなる闘争心が湧き出てくる。
オラクルの創業者、ラリー・エリソン氏の言葉を借りれば、
「戦う時は鬼人のごとく戦い、いったん戦場から離れれば、
禅僧のごとく静寂の世界に入る」。
アップルの創業者、スティーブ・ジョブス氏は、
「内なる心の思いに耳を傾けよ」。
みんな、同じことを言っている。
先日、ある若い男の子と知り合った。
来年の4月から日本の大手商社に入社が決まっている、安島英城くん。
彼はこの5月にカンザス州立大学を卒業し、
大学が出す一年間の研修ビザを取得した。
そして、伝説のスーパーマーケット、
バークレー・ボールのグレン安田社長と
英会話で面接をし、ここで働くことになった。
日系2世の安田氏が経営するバークレー・ボールは、
1100坪の1店舗で年間75億円(1ドル100円計算)を売り上げた、
とてつもない店である。
現在は2店舗で年商120億円。
青果の品ぞろえは全米トップクラスで、
青果部門の売上シェアは28%~30%にもなる。
青果部門の売上シェアで、これを凌ぐ店は
ニューヨークのフェアウェイ・マーケットの33%しかない。
私の家からバークレー・ボールは近い。
安島君とはすぐにワインを飲む仲になった。
彼が「ヨセミテ国立公園に行きたい」と言うので、
「では山に登るか」と提案した。
彼はすぐに「ぜひ山に行きたいです」と答えた。
さっそく、昨年私が3307mのホフマン山を登頂したときに
案内をしてくれた水戸さんに電話する。
水戸さんは「行きましょう。」と快諾してくれた。
今回はヨセミテ国立公園にある、
標高3979mのデイナ山に登ることにした。
富士山より200メートルほど高いというところが決め手だ。
登山チームには安島君と水戸さんの他、
私より年上の元ギャル、リホさんとアズマさんが集まった。
ヨセミテ公園は東京都の1.5倍の面積、高知県ほどある。
夏の間、ヨセミテ・バレーは観光客で一杯だが、
我々が登ったデイナ山はヨセミテの果てにある。
人はほとんどいない。
到着初日はサドルバック・レイクという湖の周辺を
4時間かけて4マイル(6.4キロ)歩き、足を慣らした。
夜はワインを片手にファイアーストーム。
リホさんの持ってきた料理が美味しい。
後に玄人はだしだと聞いた。
2日目、いよいよデイナ山を目指す。
ところが車のエンジンが掛からない。
標高が高いため、古いディーセル車は発火しないらしい。
水戸さんはトヨタのレーシング・チームのメカニックで、
航空機の整備士免許も持っている。
心配だったが、邪魔をしないよう、我々は雑談に専念した。
約1時間半後、エンジンはスタートした。
この時、隣でキャンプしていた男性が
発火を手助けする燃料を買いに行ってくれた。
我々は金を払おうとしたが、「それは駄目だ」言うのだ。
「山のルールはお互い助け合うこと、シティ(街)とは違う」
なかなか良いことを言う、
お互い助け合うことは山のルールだけでなく、
本来の人間社会の中でも普通に持っていた機能だ。
大自然の中にいると、人間性を回復できる、
人にやさしくなれる。
これが魅力だ。
この日の登山客は、我々5名の他は3名しかいなかった。
富士山とは違う。
元ギャルは登頂を目指さず、
お花畑で我々男性3名を待つという。
登山に出発した。
山の頂上から600メートルぐらいは、岩石のがれきしかない。
実は3500メートルを超えると道が良く見えない。
やがて3名みんな、道を見失い、
一番遅れた私は直線でがれきを登って行った。
元気の良い2名はすでに登頂したようだ。
道なき道のがれき山に絶望感が襲ってきた。
やめれば良かった。
しかし、ここで諦めては男がすたる。
なんとか登頂成功、
今まで見上げていた周辺の山々の雪景色が眼下に見えた。
砂漠の中にあるモノレイク(MONO LAKE)も見える。
美しい、感動の一瞬だ。
30分ほど頂上にとどまって、インディアン音楽に耳を傾ける。
それから下って行った。
下からはまったく見えなかったのに、
上から見ると、ちゃんと道があるのである。
下っていくと、アズマさんが青白い顔をして
3500メートル付近に一人でいた。
「リホさんがいない。
彼女は今日調子が良いので、私を追い越して行った。
そして見失ってしまった」
リホさんは登頂を目指さないはずだったので、
十分な水も防寒服も持っていないはずだ。
我々はあわてた。
リホさんはどこにも見えなかった。
水戸さんは、疲れ果てた体に鞭を打ち、
再び山頂をめざして彼女を探しに行った。
安島君は3700メートルあたりでリホさんを探すことになった。
リホさんが、転んで頭を打ち、気を失っているかもしれない。
安島君は別の道(トレイル)を発見して、
我々がいる地点より下がり、再度、下から
私とアズマさんが待っている地点まで這い上ってきた。
その時、私は決断をした。
これ以上リホさんを探していては、二次遭難に繋がる。
仮説を立てた。
彼女は安島君が見つけたトレイルで下山したに違いない。
まず、アズマさんと安島君を車まで返すことにした。
やがて頂上付近まで行った水戸さんが帰ってきた。
「頂上にいたアメリカ人に聞いたが、誰も頂上にいない。
さあ帰るしかない。
日があるうちに、レンジャーに頼んでヘリコプターで彼女を探そう。」
山を降りると、アズマさんと安島君とリホさんがいた。
二人がリホさんを見つけたらしい。
リホさんは他のルートからそこまで下山していた。
運よく、その日は終日快晴だった。
午後から雲が出る日もあるが、この日は温かく幸運だった。
終わってみれば笑い話だが、お天気が悪ければ、
大惨事に繋がっていた可能性もある。
山は決めたルールに従って登らないといけないのだ。
女性二人は完全に体力を消耗していた。
彼女たちは夕食も食べないで寝た。
でも良く考えてみれば、日ごろ訓練もしていない、
若くもない彼女たちが3600mを往復したのだ。
いざとなったら、女は男より、生き延びる確率は高いと思えた。
日本から届いた、大津市の中学生自殺のニュースが痛ましい。
日本では年間3万人も自殺をするという。
大自然と向き合えば、生きる力を感じられるはずだ。
所詮人間社会の悩みなど、すべて迷いである。
自然は常に完璧だ。
デイナ山の登山はトラブルもあったが、
自然に囲まれた最高に楽しい3日間だった。
すべてに感謝。
浅野秀二
7月12日