インド紀行(2)
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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
年末のインド紀行、あと2回ほどあります。
お付き合いください。
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冬の北インドは朝夕が寒く、昼は暑い。
インド人が重ね着をしている理由が良くわかった。
ぼろ布を何枚も重ね、
13メートルにも及ぶターバンを巻いているのも
そのような理由があるらしい。
特に中部インドに行ってからは、
霧が毎日出て、真昼でも0℃近くまで下がった。
インドの夏は35~45℃と異常に暑く、冬は寒い。
さて、日本人の想像を絶するような貧困に、
どこに行っても出くわした。
農村ではカーストの最高の位置にいるバラモンも
騎士クラスも平民もアンタッチャブルも、
我々から見るとほとんど貧しさは変わらない。
しかし、人々の悠久な時間の過ごし方や
自然と調和して生きている姿も非常に印象に残った。
「悠久な時間の過ごし方」といっても失業者や
小売業、農民などの自営業者が多いせいもあると思うが。
中国では「4つ足で食べないものはイスと机」というぐらい、
生き物は食べられてしまう。
しかし殺生を嫌うインド人はその点、
牛、豚、ヤギ、ヒツジ、イノシシ、サル、
すべて路上で放し飼い。
誰も気に留めない。
車がきても平然と歩いているこれらの動物を見ると、
これが古代からの人間社会の自然な姿で、
他の国にみられるように、動物を柵で囲って綱でつなぐという飼い方は
非人道的なことをしているような気がする。
ホールフーズが唱えるアニマル・コンパッションは
ここからきたのではないかと思うぐらいだ。
インドの動物と人間の共存に深い感銘を受けた。
さて、一日半にわたって、
野生公園のジャングルにトラを探しに行ったが、
徒労に終わった。
ただし、たくさんの他の動物や鳥に出会った。
野生動物は人を見ても逃げなかった。
パキスタン、インド、バングラデシュには、
マハラジャ(日本の江戸時代の藩・大名のようなもの)
と呼ばれる550の諸侯がいた。
ムガル帝国(モンゴル・トルコ・イラン系)が最初、
支配し始めた時、ムハラジャの多くは抵抗をした。
しかし最終的には娘をイスラムの王と婚姻させるなどして
和平を結び、何百年も生き延びた。
イギリスが来た時も同じく、たくましく生き延びた。
今でも彼らの多くは大富豪としてインド社会に君臨している。
我々が泊まったのは
今もマハラジャの子孫が住んでいる壮大な城のホテルであった。
そこの王子様が我々に挨拶に来た。
エリザベス女王にも謁見したことがあるらしい。
彼らの先祖が造った1630年代の別の城にも住んでいるらしい。
アンベール城も彼の親戚のものだそうだ。
1200年代から数えて27代目らしいが、
ご先祖様の名前、偉業はすべて記憶していると言っていた。
私はインドには綿々と歴史が生き続いていることを知って
嬉しかった。
モンゴルやイギリスに完全に破壊されたと思っていたのである。
さすが大国。
藩と言っても日本の徳川家をしのぐ領地を持っていただけあって、
全国各地に広大な世界遺産の城や砦があった。
もちろん、最高傑作は
ムガル帝国の皇帝、シャー・ジャハーンが建てた
妃への愛の記念碑(霊廟)、タージ・マハルである。
ここは私が今まで見てきた人間が造った構造物の中で、
無条件に最高だと思う。
2度と同じものが出来ないようにと、
職人の手首を切ったという話もある?
ホテルの隣にあるアーグラ城壁や
ジャイブルで見たアンベール城をみて、
インドはつくづく昔は大国だったのだと思えた。
繊細さ、洗練度を除けば、
そのスケールはヨーロッパや、中国の世界遺産に勝るとも劣らない。
インドは世界遺産の数では世界第4位らしい。
世界的歴史遺産と、今の貧困の落差がどうも理解できない。
政治に問題があったと思える。
<By 浅野秀二>