インド紀行(3)
さて、タージ・マハルのあるアーグラ市から
中部インドの田舎町、カジュラーホに列車で向かった。
駅は人ごみでいっぱい。
線路を見ると、ゴミだらけ。
人間の糞がそこら中に散らばっている。
それを腹空かした犬が食べている姿は誰も直視できなかった。
列車のトイレは垂れ流しだ。
さて、この町に来た目的は、
あの性典、愛のテクニックと呼ばれる
『カーマ・スートラ』の彫刻で有名な
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院などを見学すること。
イスラム教徒からの破壊を逃れた、ヒンズー教の寺院群だ。
なぜ男女の結合を彫刻にしたか。
それは人間の根源の力こそ、
そこにあると考えたインド土着の思想が組みこまれたらしい。
アーリア民族にはその思想はない。
ガイドが言った。
「カーマ・スートラは家庭には持ち込まないように」
ここで爆笑が起こった。
それにしても女性の肢体の描き方、
豊かな胸はギリシャ彫刻そっくりだ。
そこでガイドに聞いてみたら、
やはり、アレキサンダー大王のインド遠征以来、
インドとギリシャは長い間、交流があったらしい。
この後は国内便を使って再び北インドに行き、
ヒンズー教の聖地、バナーラス市を訪れた。
インダス川の流域に設けられたガート呼ばれる火葬場を
船からで見るのである。
死体はここで焼かれて、灰は川に流される。
僧侶と子供は死体に石をつけて、川に沈める。
ガンジズ川周辺には霧が立ち込めていた。
満月の空にたくさんの観光客を乗せたボートと、死体を焼く火。
まことに神秘的というか、異国情緒にあふれていた。
火をつけたろうそくと花の入った丸い紙船を川に流すのだ。
まさに日本の灯篭流しと同じだ。
翌日は朝早く、再びカンジズ川に行く。
日の出を見るためだ。
しかし霧で日の出は良くは見えない。
インド各地から来たたくさんの巡礼者、
生活に困った未亡人たちが、物乞いをしていた。
身なりが皆、そう変わらないので、
物乞いなのか、普通の市民なのか、まったくわからない。
この街こそ、お釈迦様がインドで最初に布教した町らしい。
仏教の聖都として有名で、
日本からの観光客はお坊さんがたくさん来ていた。
しかし、ムガル帝国によって徹底的に破壊された
この3000年前の都には、仏教遺跡は少なかった。
地面から出たいくつかの彫刻などが博物館に展示されていた。
100年ほど前に新しく仏教寺院が建立され、
日本人の絵師が壁画を描いていた。
正直、仏教の聖地としては
あまりにもその面影がないように思えて残念だった。
日本にはたくさんのすばらしい遺跡がある。
何とか後世に残したい。
異民族の侵略がなかった島国の幸運を思った。
<By 浅野秀二>