スペイン旅行(2)
アルハンブラ宮殿とモロッコの旅
4月16日、この日は私の誕生日だった。
バスの中でコーディネーターのアントニオ氏が
誕生日の紹介をしてくれて、
自然に42名のハッピーバースデーの歌の大合唱となった。
フレンドリーなアメリカ人に感激した。
海外旅行の楽しみは、
買物や食事が一番だという人も多いが、
私はその国の歴史に興味がある。
民族、国家、帝国の興亡は興味が尽きない。
ドラッカーが言っているように、
今起こっている未来を見るというより、
過去に思いを寄せ、未来を想像する。
過去、現在、未来が私の頭の中で、
現在進行形で物語を綴っていく。
それが楽しい。
スペインの歴史は実に面白い。
古代はフェニキア人(現在のヨルダンあたり)。
ギリシャ、ローマ人の移住。
紀元前2世紀、
カルタゴ(現在のチュニジア)の将軍ハンニバルが
象を引き連れスペインからアルプスを越えて
ローマに攻めた話などは歴史の最高ロマンだ。
711年、シリアあたりに住んでいた
アラブ系ウマイア朝のムーア人(イスラム系一派)が
イベリア半島を征服、800年に支配をした。
1492年そのムーア人はキリスト教徒に追い出される。
ムーア人は彼らの城、アルハンブラ宮殿から追い出された。
キリスト教徒による無血開城だ。
そしてムーア人はアフリカ大陸、モロッコ方面に去った。
スペイン王国の誕生だ。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した年だ。
アラブの王様は800年支配した土地を離れるにあたって、
シエラネバダの険路の山頂から宮殿を眺め、
惜別の涙を流し、慟哭したとされる。
この時、王の母親が言った。
「お前に戦う勇気がないから、降伏するしかなかった。」
甘やかされた王に何ができるというのだ。
この宮殿はギター独奏曲、「アルハンブラの思い出」でも有名だ。
オプショナルツアーで行ったモロッコの気候は素晴らしい。
空は深い紺碧、街並みは美しく、そして食事も美味しかった。
アフリカ大陸の北、地中海に面したモロッコは
小さなアラブ国だと思っていたが、
日本より2割以上も広いそうだ。
また街並みもイタリア、スペインと変わらずきれいで、
とてもアフリカとは思えなかった。
海の見える高級住宅は、
以前はフランス、スペイン、イギリス人などが住んでいたらしい。
街で見る住民の姿や市場のバザールはアラブ世界だった。
面白いことを発見した。
実は連れて行かれた絨毯屋の若奥さんが
金髪、青い目でアラビアのロレンスの女優のようだった。
あまりにも美しいのでモロッコ人かと思わず聞くと、
ガイドさんが「彼女はムーア人の王族の子孫です」と教えてくれた。
「彼らは711年と1606年にスペインからたくさん逃げてきましたが、
多くは金髪で青い目、そして色が白くて白人のようです」
なるほど、800年支配をすると色の浅黒いムーア人の王族は、
白人たちと歴代結婚をして、白人のような器量になっていたのだ。
オスマントルコのスルターンも最後は白人みたいな容貌になっている。
アフリカはそこに見えた。
ジブラルタル海峡を挟んでスペインからわずか14キロ。
船で約1時間だ。
なるほど今アフリカの難民が
イタリアなどのEUの国に流れ込むのは自然のことだと納得できた。
歴史もそうだったのだ。
情報化社会で豊かさを知ったアフリカの人は、
命を懸けて先進国(EU)へ移動する。
誰も止められない。
歴史は再び動いている。
ゲルマン民族大移動は西ローマ帝国を滅ぼしたが、
アフリカ難民はEUをこれから長く悩ますことになるだろう。
世界が協力してアフリカの内政を安定させ、
経済を豊かにする義務があるとつくづく感じた。
<By 浅野秀二>