ホール・フーズとナゲット
昔からメモは取らない。ノートも書かない。
これで50数年生きて来た。
理由はミミズが這ったような自分の文字が、後で読めないのである。
また、書いてもそのノートを、どこに置いたか見つからない。
冷蔵庫にある、目の前のチーズも発見できない。
メガネを持っていながら、メガネがどこにあるかと探す。
人は老化だ、ボケが始まったと言う。
もしそれが真実なら子供の頃から、ボケがすでに始まっていたというしかない?
メモを取らないと良い事もある。すべて一発勝負である。
2度と復習はしないので授業も一度聞いたら、すべて記憶しようとする癖がついた。
本も2度と読み返さない、頭は常に真剣勝負である。
結城先生からブログの話があった時、この自分の習慣を変えようと、
挑戦しようと考えた。
メモを取ることにしたのである。
そのノートを最近無くした。
ノートを取っていたので安心をしたのか?
その間の記憶がまったく存在しない。困った??
こうなったら、断片的記憶と写真に頼るしかない。
あるスーパーからホール・フーズのような自然食、有機を中心としたスーパーをつくりたいので、徹底的にホール・フーズを研究する視察団を送りたいという依頼があった。
年末、クリスマスを挟んだ視察アポは、取りにくい時期である。
研究テーマ、依頼項目を見ると、とても私の手に負えそうはない。
もちろん、私が出来ないと言うより、
相手ホール・フーズや、そのベンダーが、
そこまで我々の要求に答えてくれるとは、思えなかったのである。
彼らも多忙。日本の研修を受け入れても何のメリットもない。
企業秘密もある。
私も容易に引き受けて、出来なかったら、責任問題も発生する。
リスクは取れない。クリスマス、お正月、ついでに不景気だ。
弱気な心が自分を覆う。
その時、ナゲットのマネジャーの店長・ジョンの顔が浮かんだ。
彼はノードストローム高級百貨店でバイヤーを20年務め、部長職を辞めて
ナゲットに入って一月しか経っていなかった。
フーチュン雑誌で働きたい会社10位まで上昇した、ナゲットのチーム・メイト全員が
2008年当時、胸に金の鍵をぶら下げていた。
ジョン氏いわく、
人は常に挑戦を無意識のうちに避けている。
する前に不可能と考えている。
その心と扉を開ける鍵がこれだ
と言う。
私はこの依頼を受ける決意を固めた。やらねば男がすたる。
相手が断ってきたら、この熱い思いで、相手の扉を開けるのだ。
鍵など要らぬ。
2009年、ナゲットに再び行った。
全員が豚の羽がついた黒いTシャッツを着ていた。なぜ?
豚に羽は付いてはいない。
絶対起こりようが無いこと、それに彼等は挑戦しようとしていると言う。
この12店舗しかない田舎会社は、
1)世界的レベルの雇用者となり、
2)世界レベルの接客を身に付ける、競争相手はスーパー業界だけではない。
3)常なる改善を目指す。
田舎者にしては? 失礼、言うことがでかい。(私はだからナゲットが好きだ。)
ガンから這い上がった経験を持つ、
ブログを一緒に書いている私より熱い心を持つ五十嵐ゆうこに、
この旨を伝えた。
彼女は飲み込みが早い。否定形も、躊躇も無い。浅野さんやりましょう。
連日の挑戦が始まった。電話、手紙、実際に現場に行く、何度も何度も。
さすがに200キロも離れた農場まで行くと、オーナーも心を動かす。
我々は、ホール・フーズの農産物を卸している農業経営者、
農務省の有機認定のインスペクター、ホール・フーズの4店舗のマネジャーは
もちろん、社員教育係り(イディケイターと呼ぶ)、80%の魚を卸している問屋、
惣菜を供給している工場、配送センター、青果市場などアポを取った。
2月初旬、やっと何とか、形が出来た。
これもジョン氏のお陰だ、いや私を信じて依頼をして下さったお客様のお陰である。
熱い思いをぶつければ必ず道は開ける。
容易にNOと言ってはいけないのである。
NOと言う私(日本)から、YESと言える浅野に少し変化出来た。
ホール・フーズもここまで行くまで、不可能を不可能と思わず挑戦をしてきたはずだ。
私もこの日本の依頼者と共に、志を持って挑戦したい。
ぜひ今回のように尻を叩いていただきたい。
浅野秀二
2月18日