師走の帰郷
ガタン、ゴットン、トロッコの音ではない。
特急八雲号が伯備線を走る音である。
失礼な表現である。
仮にも特急である。耳を澄ますともう少しスピード感があった。
ガターン、ゴトーンとも、カターン、カターンとも聞こえる。
たっぷりと日が落ち、暗闇となった中国山脈の谷間を山陽岡山から山陰松江にむけて、列車は驀進中である。
列車は激しくいつも揺れる。
トイレは取っ手をつかまっていないと、
フェラガモの靴?、ルイヴィトンのズボン?を濡らすことになる。
ウォルマートで買ったコートでそれらを覆った。
世界に誇れる美しい日本の原風景の山々。
四季に変化する木々の色や花。瀬戸内海に流れこむ清流は、高橋川。
分水嶺を越えると日本海に向かい流れる日野川。
この闇の中では見えないが、私の心にはしっかりと焼き付いている。
何十回? いや優に100回以上は、この伯備線に揺られて
わが故郷・松江に通った。
10年以上前のことである。
当時のサラダコスモの土江営業部長が言った。
『浅野さんは、アメリカから日本に帰った時、両親を訪ねるの?』
当時は、実はそうでは無いことが多かったのである。
『浅野さんがいくら仕事が出来ても、親を訪ねないような人なら、俺は評価しないよ?』
それ以降、どんなことがあろうと、必ず年に数回、故郷に両親や友人に会いに帰る。
東京に住む弟は3年に一回、アメリカに住む私は3年で8回目だ。
人は言う。
『浅野は金と暇があっていいな?』
そうではない、そうしたいという気持ちがあるだけだ。
今回は幼なじみを7名招いて両親の家で宴会をした。
83歳になる両親にとって私の友達に会うことが最大の楽しみと思っている。
それは良き時代であった。疑いの無い愛があった。
腹をすかしていたせいか、飯が美味しかった。
弾けるような笑いがあった。夢があった。
ところで2008年の夏に松江の隣町、出雲市に超大型ショッピング・センターの夢タウンが出来た。
時代はNEEDの世界から、一時WANTに移ったが、また大きくニーズの世界に戻ったのだ。
ウォンツの世界。
ライフスタイル商品や、趣味、嗜好品、ブランド商品など、
夢のある暮らしが消えつつある。
特に地方都市にその傾向がひどい。
夢の無い時代に、夢タウンの出現だ。
“夢タウン”命名そのものが、一つの時代を象徴していたのである。
時代は変わったのである。
故郷の名誉のために付け加える。
ニーズの世界の消費にどっぷり浸かって、満足している私の友人たちは、老後を過ごすには十分すぎる貯蓄を持っている。
後は政治が何が出来るかどうかだ?
若者の雇用が必要だ。
既存の考えでは計れない発想と志の問題だ。
日本の政治家と官僚にそれを求めるのは酷となる。
日本にはオバマは出現しない。
夢タウンはどうなるか? 言うまでもない。
名前を変える? 官僚はいつもそうする。
失礼、商人はどうする?
今回はそれが命がけで問われている。そう命がけなのだ。
浅野秀二、12月21日、2008年