回遊魚
私にとって一番ながいお付き合いのある先生は、加藤彰久氏である。
大学卒業後、NCRに入社、その後スーパーで働いた後、食品商業研究所を主宰。
多くのスーパーのコンサルタントをされ、今でも現役。
西に東に北へと、ご活躍中である。
奥さんは、非常に聡明な方で、先生が一歩家を出ると、
どこに行かれるか?
どこに泊まるか?
詮索されない。
もちろん、どこかで聞いたような、携帯のチェックなどはない??。
「浅野さん、私の主人は回遊魚ですから、とにかく泳いでいないと、体も頭も死んでしまうから、どこでも好きなところへ、心置きなく、出かける。元気でいれば良いのよ?」
大学に入学した当日、寮の机の上に、「行動なき信念は死である」書いてあった。
頭に衝動が走った。そうだこれを座右の銘にしようと思った。
朱子学の一派、陽明学の言葉と理解をした。
しかし、私は特別に信念があるわけでなかった。
何をすべきか? 正直迷った。
陽明学はこうとも言っている。
「信念などは行動をしている時、走っている間に生まれて来るものである」
「まず行動せよ」と。
そう言われても?困った?
取り敢えず本能に従って生きることにする。
当時、小田実の「何でも見てやろう」という本がベスト・セラーだった。
タイトルが気に入った。
「あるとあらゆる仕事を学生時代に体験する、たくさんの彼女をつくろう。」
この程度の発想しか、頭に浮かんで来なかったのである。
挑戦第一は、今でもある大阪駅と阪神梅田、阪急梅田をつなぐ陸橋に立って、
一日何人の女性に声を掛けることがが出来るか?
数カ月前まで、受験高校のために、男女は別なクラス異なる方針で教育を受けた。
歪んだ青春でもあった。
お陰で女子生徒と口を聞いたこともない、19歳の田舎っぺであった。
陸橋を歩く女性を何時間も睨みつけても、
一声も声を掛けることが出来ない日々が続く?
陽明の徒?よ、浅野頑張れ。
心は恥ずかしさで震えていた。
その点、授業をサボることを覚えた当時の学生には、アルバイトの挑戦は簡単である。しかし、肉体的にはキツカッタ。
翌日の道場でも練習はフラフラで臨むことになる。
まず声が出ない。出ないと容赦なく蹴りや、拳が飛んでくるのである。
ヤケクソで声を出す。
しかし、練習が終わる頃、すっかり、元気になっている。
これが不思議であった。
「元気であるから、声が出るのではなく、
声を出すから元気が出る」これは勉強になった。
朝の挨拶は大事だ。大きな声の出る職場は成功する。
日本は今未曾有の不景気である。
企業業績が良くなく、また豚インフルもあって、米国視察研修の取り止めも多い。
研修が本当に役に立つか?
再吟味されているとも聞く。
役に立つか、たたないか?
それは考え次第だ。
私は個々の企業の業績は、経済環境もあるが、フット・ワークが大切と思っている。
あのモンゴルが、重装備のゲルマン騎士団を破ったように、
軽快なフット・ワークこそ命だ。
金があるから、業績が良いから、米国まで研修に行くのか?
行動をしたから、業績が良くなるのか?
私は信念をもって後者と考えている。
まず、人間常に動くことである。
回遊すべきと思っている。
思った瞬間、行動する。それが若さである。
経験の乏しい若者が、常に経験豊富な熟年に勝つのは、理屈ではない。
行動力である。時には無駄もある。
それでも学ぶものが大きい。
米国研修が、役にたつか?立たないか?
それはアメリカで勉強した知識ではなく、太平洋を越えてやって来る、
行動力と意欲である。
男は、女に会えるなら、万里の波濤を越えて、どこにでも行かねばならないのである。
躊躇する奴は追いかける資格さえない。(この部分は蛇足)
過去30年にわたって多くの会社、経営者を見てきた。
どんな状況であろうと、毎年やって来た零細スーパーの社長。
会社はすべて大企業になっている。
スーパーも成熟産業になった。ほどほど成功もした。そろそろ守りに入りたい。
日本経済は若さがなくなった。
海外研修は知識の取得ではなく、国際化社会に通用する心と体の行動力を鍛えるチャンスである。
やる気のある奴は、必ず異文化に好奇心を持っている。
国内のマンネリ化した日常生活の中では、感受性が鈍っている。
故郷から遠く離れた時に、感性が研ぎ澄まされる。
そこに喜びと感動がある。
また、上司や人事部が行く人を選ぶのではなく、手を挙げた人を連れて来る、そのような
方法も考えていただきたい。
清水会長のひと言で、幹部全員、650名を連れて来ていただいた会社もある。
毎年、2回必ず来る社長もたくさんおられる。
豚インフルの一番騒々しい時に来たグループもあった。(写真)
彼らの行動力には、私も脱帽した。
大いに楽しんで、感動して帰った。
もちろん、何事もなく、無事に帰って、元気で全員働いている。
「行動無き、信念は死」相変わらず、信念なぞない、
ただ、回遊魚のように動きまわること、それが信念となった。
浅野秀二
6月19日