ドル亡き後の世界
最近本が読めない、集中出来ないのである。
途中で辞めてしまう。
読み始めて何度もストップをして、時々思い出して読む。
そんな繰り返しが多い。
しかし、面白い本はまだ一気に読める事を証明した本が数冊あった。
副島隆彦著の『ドル亡き後の世界』だ。
多くに共感する。
体験からも金融市場の詐欺的体質は日々感じている。
金融市場は国家が経営する、博打場。
メルリンチ、ゴードマン・サックス、大手銀行・保険、野村証券などは
堵場にたかっているヤクザの親分衆となる。
(副島氏は鬼と表現している)
胴元は基軸通貨を持つ国が仕切る。
今はアメリカだが、次は中国の可能性がある。
そのようにこの本を読んだ。
ドルはやがて1ドル10円になるという?
たいへんだ。
日本が遠くに霞んでゆく…他人ごとではない。
30年近い昔、ブラジルに行った。
リオディジャネイロのコパカバーナ・ビーチで、
小柄だが引き締まった肉体を持つブラジル女に見飽きて、サンパウロに行った。
日本人町のアントニオ猪木の通った空手道場を訪ねた。
猪木の兄貴は空手の教官だったような気がする。
その後、古い日本人移民が泊まったと思える万里ホテル(?)の前で
60歳ぐらいの疲れ果てた日本人男性に会った。
35年農業で頑張ったが、厳しい気候、土壌が痩せていて農業は無理であった。
ついに矢折れ、刀尽き、金も気力もなくなった。
日本に帰りたくても帰れない。
クルゼール通貨が安すぎる。
この日本男性は、当時の日本の若者より、体力、精神、多くの点で優れていたと思う。
拓殖大学を出てきたと言っていた。
品も良く、かなりインテリな人であった。
個人の能力を越えた国家の力の無さに、人生を翻弄された姿であった。
私は大国アメリカに来た幸運に感謝した。
日本食レストランに行った。
カウンターで寿司をつまみ、酒を一人で飲んでいたら、
酔っぱらった日本人のおっさんが隣に座った。
「お前はどこから来たか?」
「島根県」と答えた。
「俺の村にたくさんの島根県出身がいる。連れていくから、
俺が女郎屋から帰るまでこの食堂で待て。真夜中の2時に帰ってくる」と言う。
当時のブラジルはその種の女性は55000名以上、世界一(?)天国であった。
どうせ暇な一人旅、怖いものはない、どこでも連れていけ、と思い、待つことした。
夜の街に出る。蒸し暑い風の無い夜だった、
スナックに入った。
子供のころに両親にブラジルに連れて来られた日本女性(ブラジル育ち?)がカウンターにいた。
「どこから来たか?」
「日本」
「日本のどこ?」
「島根県から」
「島根県に連れていって」
島根に連れていけという女性はハジメテダ、感激。
やがてアメリカから来た事が知れた。
「とにかく、日本でもアメリカでも良いから私をブラジルから連れ出して、
その後はどこにでも捨てて行けばいいのよ?」と懇願され困った。
飲代金は一時間ほどでわずか数ドルの支払いだった。
ドルは強い。
これは私の実力ではない。米国の力である。
食堂に戻って、先程の酔っぱらったおっさんに会ったが、
とても運転など出来る状況ではなかった。
俺に運転をしろというが、アメリカの免許は世界で通用するのか?と勝手に解釈する。
「信号や十字路で俺を起こせ。お前に右か?左か?直線か?を指示する。」
さあ、ディール(取引)は成立。
オンボロ・トラックで出来たての高速道路を走りだした。
彼を起こすこと何十回。
いくら走っても終わりがない。
やがて夜が白み始めた。
ブラジル高原に日が昇って来た。赤茶けた大地に遠く地平線がみえる。
朝の7時、ついに彼の村に着いた。
5時間も走った。ガタパラ村だ。
酔った男の言葉を信じて400キロも走った。
外国で日本人に会うと簡単に信用してしまう。お互い信頼できる。
日本人は素晴らしい民族だ。
外人ではそうはいかない。命を取られる。
眼を覚ました男が言った。
「お前は誰だ?」
「おい、おっさん、それはないでしょう?
俺の村には島根県の入植者がたくさんいると言っていたでしょう?」
彼はやっと思い出した。
やがて、島根県人会長に家に連れていかれた。
「よろしく頼む」と言い、彼はさっさと去って行った。
冷たいものである。
県人会長の家は、彼が造った家で、土間もセメントは敷いていない。
土を塗り固めただけ。
昭和33年ごろ、家屋敷、田畑、すべて売って280万円で作った。
これを持って東京にいくか、ブラジルにいくか?
迷ったが、日本政府の甘い言葉に誘われて、人生をブラジルに掛けた。
当時の280万円は大金である。
松江市内でも立派な家が建つし、東京に来ても挑戦出来る資金であった。
「ブラジルに到着するやいなや、良いことは何一つなかった。
政治に翻弄され、気候や土壌は農地に適さず、30年間、何をしたのか解らない」
私は涙が出た。
アメリカに来た日本人移民は、差別を受けたり、
戦争中、強制収容所に入れられたりしたが、
私が来た当時のカリフォルニア日系移民は、私が羨むような生活をすでにしていた。
自由な選択ひとつで、ここまで人の運命に差がでるのか?
人生の恐ろしさを感じた。
この身の運命に感謝が湧いてきた。
会長の救いは養鶏に手を出してから生活が安定したことであった。
息子の養鶏場に連れて行かれた。
かなり大きな養鶏場で、成功していてうれしかった。
車で周辺を案内され、東京農大卒の養鶏農家、近藤ユウゾウ氏宅に行き、
彼に案内された後、鉄道駅まで行き、鉄道でサンパウロに帰った。
ブラジル高原の夕日が、移民者の苦労を思い出させて、涙で眼にしみた。
俺も頑張ろう。
海外に渡った勇気ある挑戦者として、挫折は許されない。
日本の友人に負けるわけにはいかない。
「ザ オトコ・マン ゴー」さあ、男の子は行くだけだ。
その後、ブラジル最大の農業協同組合、コチヤ農業協同組合長、
ゴルバジョー・井上理事長に会った。
彼は日本の全農の会長のような人で、
ブラジル大統領にもいつでも会えるような超大物であった。
アメリカの日系移民者と、ブラジルの日系移民者の交流を拡大したいと言われた。
再び、ドル亡き後の世界の本に戻る。
アメリカの財政赤字は天文学的。
今後も続く不動産の暴落、それに伴う金融機関の不良債権増加、
ドルの印刷機のフル回転、やがて誰も買わなくなるアメリカの国債、
中国がアメリカの国債を売り始めると、ドルは暴落、ドルの買い手はいない。
世界大恐慌の始まりだ。
副島隆彦氏の本は何冊か読んでいる。
それは、けっこう当たっている。
15年前に、アリゾナ大学のラビバトラ教授は2000年には
米国主導の資本主義が崩壊すると書いていた。
それですべての株は手放したが、その後、株は高騰、
また参入し、痛い目にあっている。
しかし、今回は株の暴落というより、ドルの崩壊。
それは深いところでラビ・バトラ教授の説とつながっている。
今、日本に帰らないと、私の生活は、30年前のブラジルのようになる。
アメリカには奥の手がある。
アメリカ人は副島氏が考えているほどヤワな人たちではない。
経済・金融で立ちいかなければ、
世界最強の核・軍事や世界一の農業生産・食料を戦略物資と合わせて利用すれば、
石油・エネルギーどころの力ではない。
でもいつもの事だが、奥の手は使われないだろう。
全米各地の優秀な大学、世界の頭脳を集めた人材、
なによりもそのような人が集まりたい、住みたいと思うインフラ、環境、自由など
ソフトな力は世界に比類はない。
豊かな住環境の中で、アメリカの繁栄には未練がありすぎる。
2年後のドル崩壊の予言をどのように受け止めてよいか?
正直戸惑っている。
預言者の彼を信じるべきか?
一番確かなことは、日々健康で、友人に恵まれ、楽しく暮らすこと。
これしかやはりなさそうである。
ぜひ、彼の本は読んで戴きたい。
アメリカの陰謀や、語られない日本の真実がある。
中川昭一、金融大臣が正論を吐きすぎたのでアメリカの陰謀で消された。
ローマG7の会議で付添いの財務官僚が睡眠薬をアルコールに入れた。
その後、ロレツ回らずテレビに放映され、失脚した。
世界銀行の総裁ロバート・ゼーリックの命令を受けた日本の高級官僚の仕業の話など小説なみだ。
一気に読める面白い本だ。
それでもアメリカの陰謀より、共産主義中国の陰謀が日本には怖い。
それは金がなくなる話ではなく、国がなくなる話だ。
日本人にはその自覚がない。
大国は小国を翻弄する。
国家は個人を木の葉のように翻弄する。
確かなことは日々の幸福だ。それはあまりにも刹那的か?
未来は若者に任せるしかない。日本の若者よ、ガンバってほしい。
浅野秀二
11月19日