日本とカリフォルニアの暑い夏
残暑お見舞い申し上げます。
日本はまだ暑い日が続いているようですね。
私にとっては日本の暑い夏は終わり、
カリフォルニアで再びインディアン・サマー(残暑)と、
仕事が一番忙しい時期を迎えた。
今年の日本の夏は阿波踊りから始まった。
数日前まで、普通のおねえちゃんやおばちゃんだった人達が、
袈裟をかぶり、下駄を履き、浴衣を着て、見せる踊りの
色気、オーラに圧倒された。
400年前、民百姓の暮らしが
あまりにも貧しく、悲しく、喜びがないことを、
阿波の国の領主さま、蜂須賀様は嘆き悲しみ、
阿波踊りを奨励した。
そしてその後の夜這いを許したことにより、
領民は喜び、やる気になり、国が豊かになったそうだ。
日本では計数管理が主体の経営が流行っているようですが、
小売業には心理学的側面が大きいはず。
楽しければ、必ず生産性はあがる。
阿波踊りはその原点を象徴していると思った。
その後、故郷で親父の初盆、
広島でアメリカ大学時代の同窓会。
自伝ブログの7話に登場する梅尾さんは、
日本帰国後、英語塾経営で財をなし、
宮島が見える高級マンションのペント・ハウス別荘と
大型ボートを所有するまでになった。
今回の同窓会は彼のマンションで寝泊まりさせてもらった。
これを見たら、梅尾先輩のアメリカの学生時代の貧乏暮らしは、
誰も想像できないだろう。
年収5千万円の外資系の社長になった人、
大学の英語講師、故郷でホテルマンになった人、
音響メーカーのパイオニア㈱の米国事業を立ち上げたパイオニア(先駆者)、
いろいろな人材がいて本当に楽しかった。
広島では福山に立ち寄り、
山本知典氏の案内で福山のエブリイの新店を見学。
松江にあるエブリイの業務用スーパーと違い、高質スーパーで、
開店して半年で年商30億円ベースの売上げで進んでいる。
日本のスーパーの戦いは安さだけが主戦場ではないことが、
非常に勉強になった。
レストランの開店式で忙しかった岡崎雅廣社長にも
挨拶をする機会があった。
ここでお礼を申し上げます。
その後、東京でセミナーをさせていただいた。
店舗を見ながらの研修と違い、
ウォルマートやホール・フーズ、
トレーダー・ジョーを見たことが無い人に
アメリカ小売業の語りかける難しさも感じた。
8月24日、アメリカに帰国したその日から、
時差ぼけを感じる暇もなく、
すぐに日生協の下見の仕事を開始。
その後、伊丹の豆腐屋さん、但馬屋食品の
中島耕作社長以下8名参加の4日間の研修があった。
社長みずからの陣頭指揮で
アメリカの小売業の視察のみならず、
社長と社員とのコミュニケーションを良くし、
ベクトルを合わせ、結束を固め、
ヤル気のある集団をつくるのが目的です。
社長は、いずれ社員全員を
アメリカに連れて来ると言っておられた。
さて、週末が空いた。
木曜日に友人に電話して、ヨセミテで登山をしないかと誘った。
登山の経験は3年前の富士山以外は皆無。
理由は最近体力が落ちているという意識があるからだ。
富士山に登った時ほどの体力がまだあるのかを試したかった。
登山のベテランの水戸さんが言った。
「では明日、二人で行きますか?
Mt.Dana、標高3979メートルの山に案内します。」
「富士山より高い山か、それなら挑戦し甲斐がある。
行きましょう。」さっそく、道具を買いに行った。
テントでキャンプもするという。
「二人だけは面白くないな、女の子を誘いましょうよ?」
突然の話で、誰ものってこなかった。
当てが外れた。今さらやめましょうとは言えない。
金曜日の朝8時に家を出た。
明日、土曜日は50%の確率で雨。
「雨模様ではやばいので、
3307 メートルのMt.Hoffmannに切り替えましょう。」
文句はない。
そもそも登山は名目で、女子と行くのが目的のような
出来心からスタートしている。
ヨセミテまで4時間半、公園内のキャンプ地は満員だった。
ヨセミテのTioga峠(3000メートル)を越えて、
ヨセミテの外にキャンプ地を設定した。
まだ時間がある。
取りあえず、足ならしに2900メートル級の山に今日は登る。
黙ってついて行くしかない。
弱音は吐けない。
富士山に登ったプライドで頑張った。
何とか登頂した。足が疲れた。
明日は朝から雨が降ればいいと思った。
テントを張り、キャンプ・ファイヤ用の材木もたくさん集めた。
オカマでもあるまいに、野郎二人のキャンプである。
食事の前に水戸さんは夕食のおかずを釣りに行き、
ニジマスを3匹、釣ってきた。
これで夕食のおかずに不足はない。
銀紙で包み、焼いて食ったが、美味しかった。
キャンプ・ファイヤの火は煌々と燃えている。
話は尽きないが、何かが不足している。赤い声がないのだ。
早々と9時半に寝ることになった。
外は曇っていた。雨も降りそうだ。
しめしめ、明日は雨だ。
今日の2900メートル登頂で十分に目的は達成だ。
明日は体を休めたい。インディアンの雨乞の歌と踊りでもしようか?
真夜中、トイレに起きると、
空は満天の星、月は満月、明日は晴れそうだ。
これは大変、熟睡をしないと体力はない。
朝7時起床し、コーヒーにベーグル、バナナ。
テントをかたづけ、2300メートル地点まで車で行った。
「あの見えている山の手前を回って、
その向こうが、Mt.Hoffmannです。
私の足で登って、2時間のコースです。」
「あの見える山より高いですか? 」
「はいそうです。」
ショックだが、水戸さんに弱音は見せられない。
私には3時間はかかりそうだ。
最初は話をしながら歩くが、10分もすると、
彼と数十メートルの差が開き、会話は途切れる。
それにしても壮大な景色だ。
ヨセミテ国立公園ほど美しい公園は知らない。
2000メートル級から3000メートルを越える山々がたくさんある。
それに世界第2位の落差を誇るヨセミテ滝をはじめ、
たくさんの滝や湖がある。
登山道(トレイル)だけで2000キロもあると聞いた。
景色を見ながら、一歩一歩登って行く、残雪がある。
高山植物の花が美しい。
高原に住むリスは見たが、
標高が高いためか、シカや熊は見ない。ラクーンも見ない。
背中が山猫のような動物を見た。
大型のリスのような風貌のマーモットがたくさんいた。
太った体型の猫より大きな感じで、
ペットとしては大きすぎる。でもかわいい。
遠くの山には雲がかかっている。
雨が降っているようだ。雲が近づいてくる。
山頂近くまで登って来た。
あと50メートル、ここからは道はなく、
岩を這い上がるしかない。
ステッキを置いて、岩を這い上がろうとするが、足がもつれる。
膝が笑うような状態だった。
雷が遠くで鳴っている。
先ほどから小雨がぱらついてきた。
「岩が濡れてくる可能性がある。
この岩登りは危険ですね。どうしますか?」
「危険なら、やめておきます。」と答えたかったものの、
山頂を目の前にして3307メートルを諦めるようでは、
キリマンジャロは夢のまた夢。
ここで止めるわけにはいかない。
止めてはあまりに情けない。
よしやるぞ。
恐る恐る、這いつくばってのぼり始めた。
足を滑らせれば、間違いなく、死の可能性がある。
彼の助言を聞きながら、なんとか登頂できた。
ヨセミテ360度の視界が見えた。
壮大なパノラマである。
いつもヨセミテ・バレーから見上げていた、
ハーフ・ムーン・ドームが眼下に見えた。
やはり登って良かった。静かな感動があった。
雨が強くなってくる。
早く下山しないといけない。
尻を岩につけながら、滑るように降りる。
出来るだけ立って歩かない。
道がある所まで降りた。
さあ、急ごう。雷が怖い。
帰り道、数組のグループに会った。
「君たち、バカな行為はやめた方がいいよ、雨が降るよ。」
と言いたかったが、若者にしたら、
この登山など、お茶の子さいさいかもしれない。
自分の器量で人に助言など、とんでもない話だ。
これを老婆心と言うのか?
何とか下山した。
登り始めたのは8時半、下山したのが午後2時10分。
合計5時間40分もかかった。
下山の途中はもう2度と山登りはしないぞと思ったが、
翌日になると、また山に登りたくなってくる。
自然の中に身をおいた心地よさは、都会では得られない。
水戸さん、またお願いします。
次回はできれば、赤い声をする人にも声を掛けてください。
体力がないと言うより、足腰が弱っている。
これから鍛え直さないといけない。
平地を歩いている程度では難しそうだ。
その気力があるか?
それこそ問題である。
浅野秀二
9月13日