なぜ、いま『自ら変われ』なのか
戦前から、日本の商業は、
「店」を最大の焦点としてきた。
それ以前、さらにさらにさかのぼれば江戸時代も、
「お店(おたな)」が、何よりも優先されるものだった。
「お店」がその事業の、ブランドそのものだった。
もちろん現在も、「店」が重要であることに変わりはない。
しかし、現在の店と比べると、
当時の「お店」は、生死をかけて守るべきものだった。
イオンの前身・岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」
あたりから、この観念が少しずつ変わってきた。
次に、重視された概念は、
「業(なりわい)」であった。
「業種から業態へ」といった表現は、
「業」がいかに重要か、を明示していた。
アメリカ小売業を説明するにあたって、
「業種」「業態」「フォーマット」
と仕分けして、
フォーマットはTPOSごとに形成される、
としたコンセプトは、実に見事な切り口だった。
日本にも、この考え方が、定着してきた。
スーパーマーケットやコンビニが、それを果たし、
ホームセンターやドラッグストアがそれを実現した。
では、次に時代が要求するものは何か。
私は、「人」であると思う。
「人」が価値をつくる。
「人」が人を呼ぶ。
「人」がブランドとなる。
「商い」という言葉は、
「ビジネス」という表現に移し替えてもよい。
むしろそのほうが、ぴったりくる人も多いかもしれない。
しかし「商い」には、重要なニュアンスが含まれる。
イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊さんの言う
「才覚と算盤」である。
もちろんビジネスにも、
才覚と算盤は不可欠だ。
営業と財務。
損益計算書経営と貸借対照表経営。
それらを「商い」は内包している。
商いする店が、あった。
商いという業(なりわい)が、あった。
商いする人が、いた。
いま、商いする店は、変わった。
商いの業も、変わった。
商いする人が、変えたのである。
21世紀のこれから、
商いする店が、変わらねばならない。
商いの業も、変わらねばならない。
そして何よりも、
商いする人が、変わらねばならない。
商いする人が、自ら、変わらねばならない。
〈2008年4月17日商人舎発足記念結城義晴講演会「日本商業現代化のロマンとビジョン」より〉