「まだまだ、ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ」
今年のゴールデンウィーク。
東北関東の大津波と大震災から50日を超え、
復旧しつつ復興を視野に入れた歩みが始まった。
それでもまだまだ、現地では、問題山積。
人々の暮らしの問題が解決していないし、
福島原発は現場の必死の努力にもかかわらず、
長期化することが確定された。
最悪のケースだったチェルノブイリでさえ、半年で一応の目途を立てた。
残念ながら、フクシマにそれを望むことは難しい。
商売やビジネスも同じ。
一気呵成の改革は難しい。
だから今月の商人舎標語。
「まだまだ、ひとつずつ、
すこしずつ、いっぽずつ」
ひとつずつだから、一気に進みはしない。
すこしずつだから、大幅な改善にはつながらない。
いっぽずつだから、長足の進歩は見込めない。
しかし、ひとつずつは、長続きする。
すこしずつは、取り組みやすい。
いっぽずつは、休みなく進むことができる。
結城義晴の最初の単行本『メッセージ』から、
「十箇月と一瞬」
調査・研究とは、
十箇月の妊娠のようなものであり、
問題の解決とは、
ある朝の分娩のようなものである。
多分、毛沢東の言葉だったと思うが、
私たちは、誕生の瞬間ばかりに関心を払い、感動する。
つまり、結果だけを求めたがる。
しかし、十箇月のプロセスとその後の発育・成長にこそ、
本来、意味がある。
人間も組織も、
企業も店舗も商品も、
本来、段階型に成長する。
階段を登るように発展する。
十箇月の停滞に耐えて、
ある、ひとつの階段を登る。
停滞が長く、つらいほど、
登るステージは高い。
ああ、つらい。
ああ長い。
ああ、しんどい。
ああ退屈。
だからこそ
たったひとつのステップアップが
ああ、うれしい。
ああ尊い。
たとえば十箇月の
調査と研究。
一瞬の
問題解決。
この繰り返しが
仕事である。
その積み重ねが
革新となる。
<第6章「イノベーション」より>