自ら軛を断て。
あなたは縛られていないか。
会社に、上司に、組織に。
あるいは観念に、慣習に、古い理論に。
牛が曳かれてゆく。
首の上に木製の棒がつけられている。
軛(くびき)である。
牛は何も言わない。
ただひたすら下を向いて、
のろのろと歩いてゆく。
強制されているからか。
それが自分の役目だとでも観念しているからか。
それとも何も考えていないからか。
商人はもともと自由である。
一人の顧客と対面するとき、
一人の商人は奔放である。
ところがその自由な商人のなかに、
いつのころからか軛につながれる者が出てきた。
社畜と堕す者が生まれた。
ひたすら命令に従う者、
顧客や市場よりも体制に迎合する者、
権力や理論に従属する者。
強制されているからか。
それが自分の役目だとでも観念しているからか。
それとも何も考えていないからか。
2015年が終わろうとする今、
そんな軛を、自ら断ちたい。
正々堂々、顧客や市場と向き合いたい。
組織人でありつつ、
独立自営商人の気概をもちたい。
自分で考えぬく脱グライダー商人でありたい。
あなたは今も縛られていないか。
会社に、上司に、組織に。
あるいは観念に、慣習に、古い理論に。
〈結城義晴〉