塩野七生「マキアヴェッリ語録」の「まったくもって情けない現実」

3月最初の日曜日。
1週間が過ぎたのに、
まだ時差ボケが残る。
とにかく眠たい。
ゆっくりと過ごして、
塩野七生さんの本をぺらペらめくる。
最初に読んだのが、
『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』
(1970年 新潮社)
衝撃を受けた。
それから、
『海の都の物語』
――ヴェネツィア共和国の一千年
(1980年 中央公論社)
1981年に続編が刊行された。
これはいい本だった。
だからイタリアでは一番最初に、
ヴェネツィアに行った。
それから三部作。
『コンスタンティノープルの陥落』
(1983年 新潮社)
『ロードス島攻防記』
(1985年 新潮社)
『レパントの海戦』
(1987年 新潮社)
発刊されるとすぐに読んだ。
そして、
『わが友マキアヴェッリ』
――フィレンツェ存亡
(1987年 中央公論社)
そして『ローマ人の物語』
(1992~2006年)
出るのが待ち遠しくて、
出版されるとすぐに読んだ。
私の書くものにも反映された。
正規軍は、勝たなければ、
すなわち負けである。
ゲリラは、負けなければ、
それで勝ちになる。
『わが友マキアヴェッリ』の続編というか、
語録編が『マキアヴェッリ語録』
冷徹な観察者のニコロ・マキアヴェッリ。
フィレンツェ共和国の外交官。
そして「君主論」「政略論」「戦術論」の著者。
「マキアベリズム」などと、
誤解もされているが、
塩野さんは共感して、
その語録をまとめた。
「まったくもって情けない現実だが、
人間というものは権力をもてばもつほど、
それを下手にしか使えないものであり、
そのことによって、
ますます耐えがたい存在と化すものである」
『フィレンツェ史』
500年後の現在、
世界最強国の首長たちの姿もそれだ。
「ある人物が、
賢明で思慮に富む人物であることを
実証する材料の一つは、
たとえ言葉だけであっても、
他者を脅迫したり、
侮辱したりしないことであると言ってよい」
マキアヴェッリに同感したい。
賢明であることも、
思慮に富むことも、
その価値観に中に認めない者もいる。
だから困る。
「なぜならこの二つの行為とも、
相手に害を与えるのに
何の役にも立たないからである」
脅迫したり、
侮辱したりしても、
何の役にも立たない。
「脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、
侮辱はこれまで以上の敵意を
かき立たせるだけである」
「その結果、相手は、
それまでは考えもしなかった強い執念をもって、
あなたを破減させようと決意するにちがいない」
『政略論』
「祖国の存亡がかかっているような場合は、
いかなる手段も
その目的にとって有効ならば
正当化される」
ウクライナは今、そんなときだ。
「この一事は、為政者にかぎらず、
国民の一人一人にいたるまで、
心しておかねばならないことである」
「事が祖国の存亡を賭けている場合、
その手段が、正しいとか正しくないとか、
寛容であるとか残酷であるとか、
賞讃されるものか恥ずべきものかなどについて、
いっさい考慮する必要はない」
「なににもまして優先さるべき目的は、
祖国の安全と自由の維持だからである」
『政略論』
「人間というものは、
一つの野心が達成されても、
すぐ次の野心の達成を願うようにできている」
『政略論』
ウラジーミル・プーチンのことのようだ。
「人間というものは、
危害を加えられると思い込んでいた相手から
親切にされたり恩恵を施されたりすると、
そうでない人からの場合よりは
ずっと恩に感ずるものである」
『君主論』
これ、ドナルド・トランプの、
プーチンへの気持ちを表している。
「宗教でも国家でも、
それを長く維持していきたいと思えば、
一度といわずしばしば
本来の姿に回帰することが必要である」
会社でも組織でも同じだ。
「それで、改革なるものが求められてくるのだが、
自然に制度の改革ができる場合は、最も理想的である。
だが、なにかのきっかけでその必要に目覚め、
改革に手を付けた場合も長命だ」
「つまり、はっきりしていることは、
なんの手も打たずに放置したままでいるような国は、
短命に終らざるをえないということである」
「改革の必要性は、
初心にもどることにあるのだが、
なぜそれが有益かというと、
それがどんな形態をとるにしても、
共同体である限り、その創設期には必ず、
何か優れたところが存在したからである。
そのような長所があったからこそ、
今日の隆盛を達成できたのだから」
「しかし、歳月というものは、
当初にはあった長所も、
摩滅させてしまうものである。
そして、摩滅していくのにまかせるままだと、
最後には死に至る」
私がセブン&アイの人たちに、
「伊藤雅俊に戻れ」というのは、
このことだ。
マキアベッリから500年後の今、
その言葉の意味を考えさせられる。
ニコロ・マキアヴェッリ――。
手元に置いてときどき読んでみてはいかが?
〈結城義晴〉
2 件のコメント
個人で言えば、これまで積み上げできたものがすべてかき消されるような逆境に立った時、初心に立ち戻る瞬間というものがあります。
しかし、それが組織になった途端、急に難しくなります。
自分たちは今、逆境にあるという危機認識の共有がなされず、メンバー間で温度感の差があると、組織として初心に立ち戻るのが非常に難しくなってきます。
危機認識の共有の難しさを、よく感じていつも悩んでいました。
吉本さん、危機認識の共有は、
ほんとうに最後の最後にならなければできません。
私も経験しました。
それを茹で蛙と言いますが、
辛い状態ですね。